坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

世間と鳥居みゆき

2008年05月22日 | 坊主の家計簿
 5月22日

 雑費  洗濯洗剤        398円
     グリンティー      320円
     回数券        3700円

 合計             4418円
 5月累計          78402円

 所用で外出。当然、飲みで。
 帰宅して、明日休みなので部屋でマッタリと深夜テレビ鑑賞。

 鳥居みゆきってオモロイのぉ。。。
 さっきまで大阪ではスペシャル深夜放送の『アメトーク』を視てたら鳥居みゆきが出ててでんな、鳥居みゆきの芸風、電波系、精神系の芸風は好きやねんけど、いかんせん『芸』として面白くない。よってそれ程注目してなかったのだが、アメトークでのフリートークが抜群に面白かった。鳥居みゆきの芸の100億万倍面白かった。 
 と云う事で、今日から鳥居みゆきの芸以外のファンになろ。っちゅうか、まあああいうキャラの芸やから、それも含めての『芸』やねんやろうけど。まあ、R-1グランプリは一生無理やろ。フリートークで周囲の中での電波芸がピカ一やな。

 鳥居みゆきの芸は電波芸。まあ、精神病患者ネタでんな。思いっきり私のピンポイント。
 鳥居みゆきの『一人芸』は見苦しい。周囲との関係性の中で輝く。
 そりゃそうだ。精神病患者は周囲との関係性の中でしか生じない事なのだから。
 
 20年ぐらい前かな?小田晋という精神科医の本を読んでいて『三角教』の教祖様の話が出て来た。当然、教祖様だからどっかいってるわけだ。ただ、小田晋が「さすがは精神科医」という部分で書いてはった事は、「あれが世間に通じたら決しておかしくないのだ」と。
 そりゃそうだ。精神病なんぞは基本『周囲の理解』である。周囲の理解があれば単に『そういう人』でしかない。
 『そういう人』を認められずに排除する、つまり精神病院に送り込んで隔離するが故に、精神病院以外にいている人達が『正気』である、になる。
 また、精神的に疲れた人はどうしても排他的になる。それは周囲の理解という『受け入れられる安心感』の問題もあるのだろうが、でもやはり排他的になる。
 要するに、二つの排他的がある。
 病院の外と、内。共に排他的である。

 最近、何故かスーパー等で大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』をタマに聞く。なんかのドラマか何かで使われたのかな?よく知らん。

 ♪ひとつのこらず君を
  悲しませないものを
  君の世界のすべてに すればいい
  (『そして僕は途方に暮れる』より)

 自分が望む、自分の『思い』でもって、自分『だけ』の世界を作り出す。
 自分『だけ』が、共同体『だけ』になる。その共同体にとって『都合のイイ』環境を作り出す。
 そして排除する。排除される。
 排除されている人達、存在がある限りは決して

 【かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。
  究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。】
 (天親菩薩『『無量寿経優婆提舎願生偈』より)

 では決してあり得ない。

 日本の伝統文化であろうが。
 ただ、その伝統文化を受け継いで来た『人達』がいる。
 その『人達』を無視し、あるいは『遅れた人達』と決めつける事も同じく排除の論理である。

 そうやって、

 ♪ひとつのこらず君を
  悲しませないものを
  君の世界のすべてに すればいい
  (『そして僕は途方に暮れる』より)

 の、世界を再構築している。
 それを問うて来るのは常に『他者』『異なる人』
 違う思想・宗教をもった人達。
 あるいは鳥居みゆきはキャラだが、実際に居ている精神病患者。
 あるいは、男性中心社会から排除された女性。
 日本社会の中の『在日』の人達。
 日本文化の中のアイヌ、琉球の人達。

 何を中心として、どこまでを『我が世界』とするのか。その世界は限られた、閉ざされた世界なのか、それともそこからの解放を目指す世界観なのか。

 私さえよければイイ。
 私の家族さえよければイイ。
 私の親しい人達さえよければイイ。
 私が属する共同体さえよければイイ。
 私の国だけがよければイイ。
 私の国と友好国さえよければイイ。
 人間さえよければイイ。
 
 常にそういう在り方の中で問われてくる『働き』
 声。叫び。

 鳥居みゆきはエエでぇ。。。