5月22日
雑費 洗濯洗剤 398円
グリンティー 320円
回数券 3700円
合計 4418円
5月累計 78402円
所用で外出。当然、飲みで。
帰宅して、明日休みなので部屋でマッタリと深夜テレビ鑑賞。
鳥居みゆきってオモロイのぉ。。。
さっきまで大阪ではスペシャル深夜放送の『アメトーク』を視てたら鳥居みゆきが出ててでんな、鳥居みゆきの芸風、電波系、精神系の芸風は好きやねんけど、いかんせん『芸』として面白くない。よってそれ程注目してなかったのだが、アメトークでのフリートークが抜群に面白かった。鳥居みゆきの芸の100億万倍面白かった。
と云う事で、今日から鳥居みゆきの芸以外のファンになろ。っちゅうか、まあああいうキャラの芸やから、それも含めての『芸』やねんやろうけど。まあ、R-1グランプリは一生無理やろ。フリートークで周囲の中での電波芸がピカ一やな。
鳥居みゆきの芸は電波芸。まあ、精神病患者ネタでんな。思いっきり私のピンポイント。
鳥居みゆきの『一人芸』は見苦しい。周囲との関係性の中で輝く。
そりゃそうだ。精神病患者は周囲との関係性の中でしか生じない事なのだから。
20年ぐらい前かな?小田晋という精神科医の本を読んでいて『三角教』の教祖様の話が出て来た。当然、教祖様だからどっかいってるわけだ。ただ、小田晋が「さすがは精神科医」という部分で書いてはった事は、「あれが世間に通じたら決しておかしくないのだ」と。
そりゃそうだ。精神病なんぞは基本『周囲の理解』である。周囲の理解があれば単に『そういう人』でしかない。
『そういう人』を認められずに排除する、つまり精神病院に送り込んで隔離するが故に、精神病院以外にいている人達が『正気』である、になる。
また、精神的に疲れた人はどうしても排他的になる。それは周囲の理解という『受け入れられる安心感』の問題もあるのだろうが、でもやはり排他的になる。
要するに、二つの排他的がある。
病院の外と、内。共に排他的である。
最近、何故かスーパー等で大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』をタマに聞く。なんかのドラマか何かで使われたのかな?よく知らん。
♪ひとつのこらず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてに すればいい
(『そして僕は途方に暮れる』より)
自分が望む、自分の『思い』でもって、自分『だけ』の世界を作り出す。
自分『だけ』が、共同体『だけ』になる。その共同体にとって『都合のイイ』環境を作り出す。
そして排除する。排除される。
排除されている人達、存在がある限りは決して
【かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。
究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。】
(天親菩薩『『無量寿経優婆提舎願生偈』より)
では決してあり得ない。
日本の伝統文化であろうが。
ただ、その伝統文化を受け継いで来た『人達』がいる。
その『人達』を無視し、あるいは『遅れた人達』と決めつける事も同じく排除の論理である。
そうやって、
♪ひとつのこらず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてに すればいい
(『そして僕は途方に暮れる』より)
の、世界を再構築している。
それを問うて来るのは常に『他者』『異なる人』
違う思想・宗教をもった人達。
あるいは鳥居みゆきはキャラだが、実際に居ている精神病患者。
あるいは、男性中心社会から排除された女性。
日本社会の中の『在日』の人達。
日本文化の中のアイヌ、琉球の人達。
何を中心として、どこまでを『我が世界』とするのか。その世界は限られた、閉ざされた世界なのか、それともそこからの解放を目指す世界観なのか。
私さえよければイイ。
私の家族さえよければイイ。
私の親しい人達さえよければイイ。
私が属する共同体さえよければイイ。
私の国だけがよければイイ。
私の国と友好国さえよければイイ。
人間さえよければイイ。
常にそういう在り方の中で問われてくる『働き』
声。叫び。
鳥居みゆきはエエでぇ。。。
雑費 洗濯洗剤 398円
グリンティー 320円
回数券 3700円
合計 4418円
5月累計 78402円
所用で外出。当然、飲みで。
帰宅して、明日休みなので部屋でマッタリと深夜テレビ鑑賞。
鳥居みゆきってオモロイのぉ。。。
さっきまで大阪ではスペシャル深夜放送の『アメトーク』を視てたら鳥居みゆきが出ててでんな、鳥居みゆきの芸風、電波系、精神系の芸風は好きやねんけど、いかんせん『芸』として面白くない。よってそれ程注目してなかったのだが、アメトークでのフリートークが抜群に面白かった。鳥居みゆきの芸の100億万倍面白かった。
と云う事で、今日から鳥居みゆきの芸以外のファンになろ。っちゅうか、まあああいうキャラの芸やから、それも含めての『芸』やねんやろうけど。まあ、R-1グランプリは一生無理やろ。フリートークで周囲の中での電波芸がピカ一やな。
鳥居みゆきの芸は電波芸。まあ、精神病患者ネタでんな。思いっきり私のピンポイント。
鳥居みゆきの『一人芸』は見苦しい。周囲との関係性の中で輝く。
そりゃそうだ。精神病患者は周囲との関係性の中でしか生じない事なのだから。
20年ぐらい前かな?小田晋という精神科医の本を読んでいて『三角教』の教祖様の話が出て来た。当然、教祖様だからどっかいってるわけだ。ただ、小田晋が「さすがは精神科医」という部分で書いてはった事は、「あれが世間に通じたら決しておかしくないのだ」と。
そりゃそうだ。精神病なんぞは基本『周囲の理解』である。周囲の理解があれば単に『そういう人』でしかない。
『そういう人』を認められずに排除する、つまり精神病院に送り込んで隔離するが故に、精神病院以外にいている人達が『正気』である、になる。
また、精神的に疲れた人はどうしても排他的になる。それは周囲の理解という『受け入れられる安心感』の問題もあるのだろうが、でもやはり排他的になる。
要するに、二つの排他的がある。
病院の外と、内。共に排他的である。
最近、何故かスーパー等で大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』をタマに聞く。なんかのドラマか何かで使われたのかな?よく知らん。
♪ひとつのこらず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてに すればいい
(『そして僕は途方に暮れる』より)
自分が望む、自分の『思い』でもって、自分『だけ』の世界を作り出す。
自分『だけ』が、共同体『だけ』になる。その共同体にとって『都合のイイ』環境を作り出す。
そして排除する。排除される。
排除されている人達、存在がある限りは決して
【かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。
究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。】
(天親菩薩『『無量寿経優婆提舎願生偈』より)
では決してあり得ない。
日本の伝統文化であろうが。
ただ、その伝統文化を受け継いで来た『人達』がいる。
その『人達』を無視し、あるいは『遅れた人達』と決めつける事も同じく排除の論理である。
そうやって、
♪ひとつのこらず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてに すればいい
(『そして僕は途方に暮れる』より)
の、世界を再構築している。
それを問うて来るのは常に『他者』『異なる人』
違う思想・宗教をもった人達。
あるいは鳥居みゆきはキャラだが、実際に居ている精神病患者。
あるいは、男性中心社会から排除された女性。
日本社会の中の『在日』の人達。
日本文化の中のアイヌ、琉球の人達。
何を中心として、どこまでを『我が世界』とするのか。その世界は限られた、閉ざされた世界なのか、それともそこからの解放を目指す世界観なのか。
私さえよければイイ。
私の家族さえよければイイ。
私の親しい人達さえよければイイ。
私が属する共同体さえよければイイ。
私の国だけがよければイイ。
私の国と友好国さえよければイイ。
人間さえよければイイ。
常にそういう在り方の中で問われてくる『働き』
声。叫び。
鳥居みゆきはエエでぇ。。。