阿部四段の完勝であった。
習甦が無理攻めを仕掛け、それをうまく受け止め指し切らせてしまった。コンピュータソフトの終盤がいくら強くても、それが関係ない将棋にしてしまった。駅伝に例えると、アンカーにいくら快速ランナーがいても姿が見えないほど差をつけてしまえば逆転は不可能。リードしている選手は転倒、襷を落とす、脱水症状にならないようにさえ走ればいい。これは、安定した走りができるランナーならたやすいことである。本局の終盤は、プロならば勝ちきるのは簡単なほど差がついてしまった。
本局を見る限り、阿部四段は、コンピュータソフト、少なくとも、習甦の特性を見抜いていたような気がする。隙を見せれば攻めてくる。隙に近いものを見せても攻めてくる。この場合、「隙に近いもの」は本当の隙でなく、「誘いの隙」なので、攻めれば「無理攻め」になる。
習甦は誘われ、無理攻めをしてしまった。もしかすると、阿部四段は、本局の形になれば必ず仕掛けてくると踏んで誘導したのではないだろうか。
さて、私は本局のニコニコ生中継を直接観戦したわけでなく、2chやミラーサイト?で観ていた。
習甦が飛車を切って桂馬を成り込んだ辺りは、習甦の攻めは切れているように思えた。しかし、観戦中の声は「阿部、危うし」だった。これは、市販のPCソフトの形勢判断を見ての声のようだった。形勢判断に使われたソフトは、多種にわたっていて、そのほとんどが「習甦、優勢」と示していたようだ。
となると、本局はコンピュータソフトの弱点をはっきり示し、第2局以降の指し方の指針となったと言える。
しかし、この電王戦に出場するソフトは、市販のものとは格段に強いので、本局の形勢を正しく判定していた可能性もある。
それに、本局の将棋は、コンピュータソフトの形勢判断基準を調整する指針となったとも言える。
本来、将棋は個人戦で、団体戦と言っても、精神的なものを除くと、個人対個人の戦いである。しかし、上記のようなことを考えると、一局ごとに指し方の指針が示され、それを修正や改良していくといった要素も小さくはない。まさに、「人間対コンピュータ」の団体戦である。
習甦が無理攻めを仕掛け、それをうまく受け止め指し切らせてしまった。コンピュータソフトの終盤がいくら強くても、それが関係ない将棋にしてしまった。駅伝に例えると、アンカーにいくら快速ランナーがいても姿が見えないほど差をつけてしまえば逆転は不可能。リードしている選手は転倒、襷を落とす、脱水症状にならないようにさえ走ればいい。これは、安定した走りができるランナーならたやすいことである。本局の終盤は、プロならば勝ちきるのは簡単なほど差がついてしまった。
本局を見る限り、阿部四段は、コンピュータソフト、少なくとも、習甦の特性を見抜いていたような気がする。隙を見せれば攻めてくる。隙に近いものを見せても攻めてくる。この場合、「隙に近いもの」は本当の隙でなく、「誘いの隙」なので、攻めれば「無理攻め」になる。
習甦は誘われ、無理攻めをしてしまった。もしかすると、阿部四段は、本局の形になれば必ず仕掛けてくると踏んで誘導したのではないだろうか。
さて、私は本局のニコニコ生中継を直接観戦したわけでなく、2chやミラーサイト?で観ていた。
習甦が飛車を切って桂馬を成り込んだ辺りは、習甦の攻めは切れているように思えた。しかし、観戦中の声は「阿部、危うし」だった。これは、市販のPCソフトの形勢判断を見ての声のようだった。形勢判断に使われたソフトは、多種にわたっていて、そのほとんどが「習甦、優勢」と示していたようだ。
となると、本局はコンピュータソフトの弱点をはっきり示し、第2局以降の指し方の指針となったと言える。
しかし、この電王戦に出場するソフトは、市販のものとは格段に強いので、本局の形勢を正しく判定していた可能性もある。
それに、本局の将棋は、コンピュータソフトの形勢判断基準を調整する指針となったとも言える。
本来、将棋は個人戦で、団体戦と言っても、精神的なものを除くと、個人対個人の戦いである。しかし、上記のようなことを考えると、一局ごとに指し方の指針が示され、それを修正や改良していくといった要素も小さくはない。まさに、「人間対コンピュータ」の団体戦である。