英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

コメントを削除され、考えてみた

2013-03-15 17:29:41 | その他
 昨日、あるブログに、コメントを書き込んだ。
=======================================
いつも楽しく拝見しています。
今シリーズの『相棒』は浅くて粗さが目立つなど、残念な点が多く、○○さんの記事に同意することが多く、新たに、「なるほど」と感心することも多いです。
今回の話も、同意する点も多いのですが、「子役の賞味期限も切れている」という表現は、書き過ぎだと思います。(私は、加藤君のファンでもありませんし、加藤君だけでなく、特に子役に思い入れを持つことはないのですが)
初めて書き込むのに、失礼なコメントだと思います。好きなブログなので、ファンとしての言葉と解釈して、お許しください

=======================================

 トラックバックのやり取りもあり、まるっきりの初対面ではない(と私は思っていた)が、コメントしたのは初めて。
 今シリーズの『相棒』の残念さについては共感するものが多く、氏の記事を楽しみにしていた。今回の記事も、同意する点も多かったが、子役についての言及に同意できないものを感じたので、余計なことと思いつつ書き込んでしまった。
 今朝、訪問していると私のコメントは消されていた。さすがに悲しい。
 しかし、よくよく考えると、私は毎回、氏の記事を読み共感を得ていて、「共感を得ていました。でも、あの表現はきつい」と書いても、「共感を得ていました」という部分は、撮ってつけただけのように感じてしまい、初書き込みなのに、いきなり批判する「攻撃」を受けたと感じ、悲しい思いをしたのかもしれない。う~ん……



ブログの記事を書く行為は……
 ブログの記事を書く行為……その意味、意義、目的、覚悟などは人それぞれであろう。
 いろいろ考えたけれど、まとまらず、これ以降は、脈絡が前後左右上下してしまう文になりそうで、そのつもりでお読みください。

 次に挙げるのは、いろいろな考え方を列挙しただけで、私がこうあるべきと言っているわけではありません。(列挙していますが、すべてが完全に並立ではなく、ややかぶっている考えかたもあります)
★「ブログ」は管理人(運営者)が主である
 あくまでも管理人が主である。つまり、訪問者は管理人の家を訪れ、その家で読書したり会話したりして楽しませてもらっている。管理者ももてなす心は持つべきだが、お客も無遠慮であってはいけない。

★「ブログ」を訪れてもらい、読んでもらっているのだ
 その上(批判的な内容でも)わざわざコメントを付けてくれることに感謝しなければならない。

★記事を書く覚悟、削除する権利
 記事を発信し、コメント欄を設けている以上、業者の書き込みや悪意のかたまりのコメントは除き、批判的なモノも含めて、コメントを受ける覚悟が必要。ただ、コメントにレスを付けるのも、レスをしないのも、コメントを削除するのも、すべてコメントに対する応答であり、自由である(権利がある)。
 コメントする方も、(悪意ではなく)自分の意見をコメントで述べる権利がある。そして、そのコメントがどういう対応を取られても、それを受け止める覚悟が必要。

 もっと、列挙できると思っていたが、取りあえず上の3つは頭に置いておく必要はありそう。

 運営者が記事を書く動機(目的)はいろいろあるだろう。
 社会に問題提起したい。自分の素晴らしい考えを発表したい。不満や欲求の解消。日々の記録(日記)。自分の考えの整理。データの整理、保管場所。作品(小説や写真)の発表……
 ブログの管理人の考え方はいろいろあり、いろいろあって良いと思う。

 今回は、良い記事を書いているのに、もったいないなあという気持ちと子役に対する表現に反感があった。しかし、コメントが上から目線だったと反省している。それでも、一生懸命考えたコメントが、削除されるのはやはり悲しい。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする