滋子の婚礼
「滋子の心は滋子のもの」
「帰れ……政の道具になるだけぞ」
けっこうな純愛だった。
巻き髪が障害となった。
特徴である巻き髪が短所と考え矯正しようと考えたが矯正しきれず。
拗ねる後白河院も可愛い。
「台無しじゃ!」と嘆いた清盛は、滋子の純粋な思いを知り、折れて協力。
巻き髪を短所と考えず、長所と考え、宋の衣装で着飾り、巻き髪の美しさを強調。固定概念にとらわれず、グローバルな視野で物事を考える清盛らしい機転であった。
次なるステージへ
・ついに公卿(くぎょう)の座へ
公卿に上るのが最終目的ではない清盛、新しき世を作るためにさらなる力を得、交易をし宋銭の流通、政の実権を握るなど、次なるステップを目指す。
なので、公卿の座に就くことは単なる通過点なのだろう。しかし、父・忠盛以来の長年の念願を果たしたのだから、忠盛、忠正、家盛らの映像をフラッシュバックさせるくらいの演出をして欲しかった。
・家貞、美福門院、退場
家貞が亡くなる前に、清盛に「忠盛、忠正、家盛、鳥羽院、頼長、信西、義朝らの名を上げ、今後、彼らのすべての思いを背負うて生きてゆかねばならない」(実際は、家臣としての言葉で言っています)
先述したフラッシュバックの代わりを、家貞が果たしてくれた。家成(佐藤二朗)の名が上がらなかったのは悲しい。
ドラマ序盤より、清盛を支えてきた重臣の家貞、障壁的存在の美福門院が退場した。次なるステージに上った象徴的な出来事のように思えた。
その他の感想
やはり、上西門院(愛原実花)の声と話し方は気品があるなあ。
【ストーリー】(番組サイトより)
1160(永暦元)年、平清盛(松山ケンイチ)はついに公卿(くぎょう)の座にのぼった。それは武士として誰もなしえなかった偉業であった。新しい世の始まりは清盛と後白河上皇(松田翔太)の長い双六遊びの新たなる始まりでもあった。
六波羅の清盛の館には衣装も立派に様変わりした一門が集まっていた。清盛が公卿になることで一門もそれぞれ出世し、平家と呼ばれるようになった。
一方、筆頭家人の家貞(中村梅雀)は病にふせっていた。清盛は唐果物を持って家貞を見舞うと、病床の家貞は、唐果物が食べたくて宋との交易をさかんに進めてきたと告白。欲こそが力の源であり、欲のために生きて死んだ者たちの思いを清盛は背負って生きろと告げた。そして家貞はほどなく亡くなった。
安芸の嚴島の社で参拝した清盛は、何を祈願したかをたずねられると、もっと強くなることと答えた。宋の銭を使いおもしろき世にしようとするために政治の頂点に立つ力を求めていたのだ。そして清盛は朝廷で開かれる公卿議場の場に参議として列座する身分となった。
そんなある日、清盛は美福門院得子(松雪泰子)に呼ばれ、思い描く国造りを聞かれた。清盛は宋と取り引きし、宋銭を国中に広め、さまざまな品を巡らせ豊かな世にすることを訴えた。美福門院は驚きながらも清盛の考えを支持する。実は美福門院は病を得ていたが、そんなそぶりを見せずに清盛に思いを託していたのだ。そして11月、美福門院は息をひきとった。
清盛は二条天皇(冨浦智嗣)に近づくため、妻である時子(深田恭子)の妹・滋子(成海璃子)を入内させようと画策していた。そのころ、滋子は上西門院(愛原実花)の女房として宮中に勤めていた。時忠(森田剛)は清盛の意を察して、二条天皇のもとへ入内しないかと妹・滋子にもちかけるが、自分は好きな人の妻となると言って拒否する。
後白河上皇は清盛から贈られた宋の青磁器を投げ捨てて、怒りをあらわにしていた。清盛が二条帝に気を配り、自分をないがしろにしていることに、腹を立てたのだ。
不満がたまった後白河は宴を催した。そこに居合わせた滋子は、今様を歌いまくる後白河上皇の姿に目をとらわれていた。その夜、院御所で滋子は朗らかに今様を歌いながら廊下を歩いていた。すると後白河に引き止められ、朗らかに歌うなと怒られる。しかし滋子は動じず、後白河は弱く情けない、歌のほかにぶつけられるものを見つけろと説教する。後白河は滋子の無礼を怒りながらも、心ひかれ、やがて滋子を抱きしめた。
数か月後、清盛は怒って、滋子を呼びつけた。滋子は後白河の子を宿していたのだ。平家一門は大騒ぎ。滋子は後白河への真剣な思いを語り、時子も滋子の意思を尊重したいと言うが清盛は許さなかった。
また、上西門院も滋子の婚礼に反対した。滋子の巻き髪が上皇の妃にふさわしくないという理由だった。滋子はなんとか巻き髪を直そうと試みるが失敗に終わり、ついには婚礼をやめると言いだした。そんな滋子を清盛は、困ったように見ていた。後白河は滋子の心変わりを知ってひどく落ち込んでいた。無関係を決め込んでいた清盛は一計を案じ、滋子を連れ出す。
数日後、院御所では婚礼の宴が催された。あらわれた新婦の滋子は宋の衣装を着て、巻き髪を宋風に美しく結いあげていた。古いしきたりにこだわらない、清盛の発案だった。みんなが滋子に見とれ、後白河はいとしげに滋子の手を取った。そんな二人を清盛はほほ笑ましく見ていた。
「滋子の心は滋子のもの」
「帰れ……政の道具になるだけぞ」
けっこうな純愛だった。
巻き髪が障害となった。
特徴である巻き髪が短所と考え矯正しようと考えたが矯正しきれず。
拗ねる後白河院も可愛い。
「台無しじゃ!」と嘆いた清盛は、滋子の純粋な思いを知り、折れて協力。
巻き髪を短所と考えず、長所と考え、宋の衣装で着飾り、巻き髪の美しさを強調。固定概念にとらわれず、グローバルな視野で物事を考える清盛らしい機転であった。
次なるステージへ
・ついに公卿(くぎょう)の座へ
公卿に上るのが最終目的ではない清盛、新しき世を作るためにさらなる力を得、交易をし宋銭の流通、政の実権を握るなど、次なるステップを目指す。
なので、公卿の座に就くことは単なる通過点なのだろう。しかし、父・忠盛以来の長年の念願を果たしたのだから、忠盛、忠正、家盛らの映像をフラッシュバックさせるくらいの演出をして欲しかった。
・家貞、美福門院、退場
家貞が亡くなる前に、清盛に「忠盛、忠正、家盛、鳥羽院、頼長、信西、義朝らの名を上げ、今後、彼らのすべての思いを背負うて生きてゆかねばならない」(実際は、家臣としての言葉で言っています)
先述したフラッシュバックの代わりを、家貞が果たしてくれた。家成(佐藤二朗)の名が上がらなかったのは悲しい。
ドラマ序盤より、清盛を支えてきた重臣の家貞、障壁的存在の美福門院が退場した。次なるステージに上った象徴的な出来事のように思えた。
その他の感想
やはり、上西門院(愛原実花)の声と話し方は気品があるなあ。
【ストーリー】(番組サイトより)
1160(永暦元)年、平清盛(松山ケンイチ)はついに公卿(くぎょう)の座にのぼった。それは武士として誰もなしえなかった偉業であった。新しい世の始まりは清盛と後白河上皇(松田翔太)の長い双六遊びの新たなる始まりでもあった。
六波羅の清盛の館には衣装も立派に様変わりした一門が集まっていた。清盛が公卿になることで一門もそれぞれ出世し、平家と呼ばれるようになった。
一方、筆頭家人の家貞(中村梅雀)は病にふせっていた。清盛は唐果物を持って家貞を見舞うと、病床の家貞は、唐果物が食べたくて宋との交易をさかんに進めてきたと告白。欲こそが力の源であり、欲のために生きて死んだ者たちの思いを清盛は背負って生きろと告げた。そして家貞はほどなく亡くなった。
安芸の嚴島の社で参拝した清盛は、何を祈願したかをたずねられると、もっと強くなることと答えた。宋の銭を使いおもしろき世にしようとするために政治の頂点に立つ力を求めていたのだ。そして清盛は朝廷で開かれる公卿議場の場に参議として列座する身分となった。
そんなある日、清盛は美福門院得子(松雪泰子)に呼ばれ、思い描く国造りを聞かれた。清盛は宋と取り引きし、宋銭を国中に広め、さまざまな品を巡らせ豊かな世にすることを訴えた。美福門院は驚きながらも清盛の考えを支持する。実は美福門院は病を得ていたが、そんなそぶりを見せずに清盛に思いを託していたのだ。そして11月、美福門院は息をひきとった。
清盛は二条天皇(冨浦智嗣)に近づくため、妻である時子(深田恭子)の妹・滋子(成海璃子)を入内させようと画策していた。そのころ、滋子は上西門院(愛原実花)の女房として宮中に勤めていた。時忠(森田剛)は清盛の意を察して、二条天皇のもとへ入内しないかと妹・滋子にもちかけるが、自分は好きな人の妻となると言って拒否する。
後白河上皇は清盛から贈られた宋の青磁器を投げ捨てて、怒りをあらわにしていた。清盛が二条帝に気を配り、自分をないがしろにしていることに、腹を立てたのだ。
不満がたまった後白河は宴を催した。そこに居合わせた滋子は、今様を歌いまくる後白河上皇の姿に目をとらわれていた。その夜、院御所で滋子は朗らかに今様を歌いながら廊下を歩いていた。すると後白河に引き止められ、朗らかに歌うなと怒られる。しかし滋子は動じず、後白河は弱く情けない、歌のほかにぶつけられるものを見つけろと説教する。後白河は滋子の無礼を怒りながらも、心ひかれ、やがて滋子を抱きしめた。
数か月後、清盛は怒って、滋子を呼びつけた。滋子は後白河の子を宿していたのだ。平家一門は大騒ぎ。滋子は後白河への真剣な思いを語り、時子も滋子の意思を尊重したいと言うが清盛は許さなかった。
また、上西門院も滋子の婚礼に反対した。滋子の巻き髪が上皇の妃にふさわしくないという理由だった。滋子はなんとか巻き髪を直そうと試みるが失敗に終わり、ついには婚礼をやめると言いだした。そんな滋子を清盛は、困ったように見ていた。後白河は滋子の心変わりを知ってひどく落ち込んでいた。無関係を決め込んでいた清盛は一計を案じ、滋子を連れ出す。
数日後、院御所では婚礼の宴が催された。あらわれた新婦の滋子は宋の衣装を着て、巻き髪を宋風に美しく結いあげていた。古いしきたりにこだわらない、清盛の発案だった。みんなが滋子に見とれ、後白河はいとしげに滋子の手を取った。そんな二人を清盛はほほ笑ましく見ていた。