五輪中継のため、大幅に放送時間が遅れてしまった今回、これも崇徳院の祟りか?
モスラ対ゴジラ(平家納経対怨霊・崇徳院)
怨念の塊と化してしまった崇徳院の様は凄まじかったが、やや中途半端。
呪いが局所的だった。鳥羽院(三上博史)、得子(松雪泰子)、信西(阿部サダヲ)、頼長(山本耕史)らが既に他界しているので、祟りの対象もあまりいなかったとはいえ、後白河院の方が恨みは深いと思うが、平家にしか及ばなかったのは中途半端。
結局、清盛の次男・基盛(渡部豪太)の急死(事故)と厳島神社への船旅での嵐だけだった。
その基盛の件にしても、西行(藤木直人)の証言だけ。映像もないのでは、西行の語り(作り話)という可能性だってある。清盛(松山ケンイチ)を騙し、仏教への信心を深めようとしたのかもしれない。その思惑が当たったのか、「平家納経」という一大事業に走る清盛。
時忠(森田剛)の流罪は、祟りというよりは、息子たちを陰謀に巻き込んだ時忠を懲らしめるためと、厄介払いのために、清盛が画策したのではないだろうか?
実際の崇徳院
番組最後の「清盛紀行」によると、里人には敬われ親しまれて一生を終えたそうだ。
都であれこれ不吉なことや不幸なことが起こると、遠く離れた崇徳院のせいにしたのだろう。崇徳院への後ろめたさがあったからなのかもしれない。
【その他の感想】
・後白河院の部下も部下だ。クシャクシャになった写経をご丁寧に送り返さなくても良いだろうに。
・平家納経の際、それぞれが緊張して写経する様は面白かった。字が下手くそな教盛(鈴之助)は大丈夫だったのだろうか?
【ストーリー】(番組サイトより)
1161年、崇徳上皇(井浦新)は配流先の讃岐で静かに悔恨の日々を暮らしていた。崇徳の弟・後白河上皇(松田翔太)は滋子(成海璃子)との間に憲仁(のりひと)親王をもうけていた。
清盛(松山ケンイチ)の命により、兎丸(加藤浩次)たちが博多から宋の高価な品々を持って帰ってきた。清盛は兎丸を遅いと叱るが、兎丸は文句があるなら博多を都の隣に持ってこいと言い返した。
清盛の義弟・時忠(森田剛)は平家の血をひく憲仁を次の帝にしようと画策し、強引に清盛の次男・基盛(渡部豪太)と弟・教盛(鈴之助)を計画に引き込んだ。しかしそのたくらみはすぐに二条天皇(冨浦智嗣)に知れ、清盛は帝から厳しく糾弾される。怒り心頭の清盛は、六波羅に戻るとすぐに三人の官職の返上を命じた。
崇徳上皇は、保元の乱での自らの所業を省み、写経を弟・後白河上皇に送る。しかし、これを気味悪がった後白河上皇から受け取りを拒否されたうえ、折悪く息子・重仁親王死去の知らせも届く。二重の衝撃を受けた崇徳上皇は、これまでの不遇な人生を振り返るうち、恨みが頂点に達する。ついには日本国の大魔縁となると、呪いの言葉を唱え始める。
そのころ、平家では基盛が不慮の事故で落命した。嘆き悲しむ清盛たちに西行(藤木直人)は、「基盛が亡くなった頃、怨念のかたまりが讃岐から飛んでいくのを見た。基盛の死は崇徳上皇の怨念のせいでは」ということだった。
ある日、藤原摂関家の長・藤原忠通(堀部圭亮)は、息子・基実(村杉蝉之介)とともに清盛を訪ね、基実を娘婿にしてほしいと頼んだ。摂関家の存続を願う忠通は、かつての誇りを捨て、見下していた武士に力添えを期待したのであった。
清盛はみんなを集め、 一門で経典を嚴島神社に納めることを命じた。それは、平家繁栄を祈願するためであり、保元・平治の乱で失われた人たちを弔うためでもあった。清盛はこの国最高の技と材料、莫大な財と労力を注ぎ込み、絢爛豪華な三十三巻の経典を完成させた。そして、平家一門はそれを嚴島の社に納めることとなった。その最中、時忠は帝を呪詛(じゅそ)した疑いをかけられ、出雲に流罪となり、これもまた崇徳のせいではないかと時忠はつぶやいた。清盛はそんなことはないと言い捨て、時忠を送る途中の福原(神戸)の海を見つめた。
平家一門と西行は船で安芸へ向かった。その途中、突然海が嵐にあい動揺する一門は、これも崇徳の呪いかと思い、経典を海に沈めて怨念をしずめようとするが、清盛は兎丸らになんとしても嚴島へ向かうよう命じる。そのころ讃岐では崇徳上皇が呪いつづけていた。必死に船を航行させる兎丸たち、西行はひたすら経を唱えた。そして夜明けをむかえると、崇徳上皇は朝日に溶けいるように息をひきとった。
かくして清盛は嚴島の社にたどりついた。そして納経の儀式が進む中、清盛の脳裏にはある記憶がよみがえっていた。兎丸が博多を都の隣に持ってこいと言ったこと、清盛が気をとめた、福原の海こと。そして清盛は興奮を抑えきれずに言った。「博多を都の隣に持ってくるぞ」と。清盛の新たなる目標が見つかった瞬間だった。
モスラ対ゴジラ(平家納経対怨霊・崇徳院)
怨念の塊と化してしまった崇徳院の様は凄まじかったが、やや中途半端。
呪いが局所的だった。鳥羽院(三上博史)、得子(松雪泰子)、信西(阿部サダヲ)、頼長(山本耕史)らが既に他界しているので、祟りの対象もあまりいなかったとはいえ、後白河院の方が恨みは深いと思うが、平家にしか及ばなかったのは中途半端。
結局、清盛の次男・基盛(渡部豪太)の急死(事故)と厳島神社への船旅での嵐だけだった。
その基盛の件にしても、西行(藤木直人)の証言だけ。映像もないのでは、西行の語り(作り話)という可能性だってある。清盛(松山ケンイチ)を騙し、仏教への信心を深めようとしたのかもしれない。その思惑が当たったのか、「平家納経」という一大事業に走る清盛。
時忠(森田剛)の流罪は、祟りというよりは、息子たちを陰謀に巻き込んだ時忠を懲らしめるためと、厄介払いのために、清盛が画策したのではないだろうか?
実際の崇徳院
番組最後の「清盛紀行」によると、里人には敬われ親しまれて一生を終えたそうだ。
都であれこれ不吉なことや不幸なことが起こると、遠く離れた崇徳院のせいにしたのだろう。崇徳院への後ろめたさがあったからなのかもしれない。
【その他の感想】
・後白河院の部下も部下だ。クシャクシャになった写経をご丁寧に送り返さなくても良いだろうに。
・平家納経の際、それぞれが緊張して写経する様は面白かった。字が下手くそな教盛(鈴之助)は大丈夫だったのだろうか?
【ストーリー】(番組サイトより)
1161年、崇徳上皇(井浦新)は配流先の讃岐で静かに悔恨の日々を暮らしていた。崇徳の弟・後白河上皇(松田翔太)は滋子(成海璃子)との間に憲仁(のりひと)親王をもうけていた。
清盛(松山ケンイチ)の命により、兎丸(加藤浩次)たちが博多から宋の高価な品々を持って帰ってきた。清盛は兎丸を遅いと叱るが、兎丸は文句があるなら博多を都の隣に持ってこいと言い返した。
清盛の義弟・時忠(森田剛)は平家の血をひく憲仁を次の帝にしようと画策し、強引に清盛の次男・基盛(渡部豪太)と弟・教盛(鈴之助)を計画に引き込んだ。しかしそのたくらみはすぐに二条天皇(冨浦智嗣)に知れ、清盛は帝から厳しく糾弾される。怒り心頭の清盛は、六波羅に戻るとすぐに三人の官職の返上を命じた。
崇徳上皇は、保元の乱での自らの所業を省み、写経を弟・後白河上皇に送る。しかし、これを気味悪がった後白河上皇から受け取りを拒否されたうえ、折悪く息子・重仁親王死去の知らせも届く。二重の衝撃を受けた崇徳上皇は、これまでの不遇な人生を振り返るうち、恨みが頂点に達する。ついには日本国の大魔縁となると、呪いの言葉を唱え始める。
そのころ、平家では基盛が不慮の事故で落命した。嘆き悲しむ清盛たちに西行(藤木直人)は、「基盛が亡くなった頃、怨念のかたまりが讃岐から飛んでいくのを見た。基盛の死は崇徳上皇の怨念のせいでは」ということだった。
ある日、藤原摂関家の長・藤原忠通(堀部圭亮)は、息子・基実(村杉蝉之介)とともに清盛を訪ね、基実を娘婿にしてほしいと頼んだ。摂関家の存続を願う忠通は、かつての誇りを捨て、見下していた武士に力添えを期待したのであった。
清盛はみんなを集め、 一門で経典を嚴島神社に納めることを命じた。それは、平家繁栄を祈願するためであり、保元・平治の乱で失われた人たちを弔うためでもあった。清盛はこの国最高の技と材料、莫大な財と労力を注ぎ込み、絢爛豪華な三十三巻の経典を完成させた。そして、平家一門はそれを嚴島の社に納めることとなった。その最中、時忠は帝を呪詛(じゅそ)した疑いをかけられ、出雲に流罪となり、これもまた崇徳のせいではないかと時忠はつぶやいた。清盛はそんなことはないと言い捨て、時忠を送る途中の福原(神戸)の海を見つめた。
平家一門と西行は船で安芸へ向かった。その途中、突然海が嵐にあい動揺する一門は、これも崇徳の呪いかと思い、経典を海に沈めて怨念をしずめようとするが、清盛は兎丸らになんとしても嚴島へ向かうよう命じる。そのころ讃岐では崇徳上皇が呪いつづけていた。必死に船を航行させる兎丸たち、西行はひたすら経を唱えた。そして夜明けをむかえると、崇徳上皇は朝日に溶けいるように息をひきとった。
かくして清盛は嚴島の社にたどりついた。そして納経の儀式が進む中、清盛の脳裏にはある記憶がよみがえっていた。兎丸が博多を都の隣に持ってこいと言ったこと、清盛が気をとめた、福原の海こと。そして清盛は興奮を抑えきれずに言った。「博多を都の隣に持ってくるぞ」と。清盛の新たなる目標が見つかった瞬間だった。