紫陽花が、広場の向こうの日陰でスケッチやら歓談される方々を眺めています。
年を取ると運動量は減り筋肉は衰え内臓の働きも気力も衰えます。これは細胞の破壊や、細胞の再生力が低下した老化細胞の蓄積による生体機能低下によるところのものです。命は時限であるということでしょう。
時限があるなら「座して待つ」的な老後の過ごし方がいいのでしょうか?せっかく生まれてきているのに…
死ぬと多くの方は火葬に付され、骨壺に、お墓の骨納室に、納められます。遺灰は海洋散骨など自然に返されるケースがありますが、火葬の際、細かな塵となって飛散し、空中にも帰ります。自分は「また自然に帰る」ものだと信じています。
自然に帰るなら「座して待つ」より生きている間は出来るだけ自然に親しんでおきたいと思います。遠出などしなくても近場の公園や里山や庭でもいい。土の匂い、香草木のざわめき、せせらぎ、鳥のさえずりのなかに自分をおきたいものです。
紫陽花もこちらの様子をうかがっていますね。そのうち会話が始まったりして…
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