世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

顔施

2009年04月14日 | 
「楽しそうですね」

「夢をいただきました」

「いつも笑顔ですね」

「明るくなります」

「いい生活してますね」

「幸せでしょう」


おっしゃるとおり。

毎日が楽しくて仕方がない。

毎日が幸せでいっぱいだ。

だから、自然に笑みがこぼれる。



多くの励ましや慰めの言葉は要らない。

ただ、微笑んで、話を聞いてあげる。

そして、そっと手を差し伸べるだけでいい。


その底流にあるものは、


『感謝』 の心。


天皇、皇后両陛下がいみじくもおっしゃられた、

「感謝状」 を差し出そう。


毎日、誰かに、何かに、どこかに、そして自分自身にも

「ありがとう」、

「おかげさまで」

と、言ってみよう、笑顔を添えて幸せのおすそ分け。

開き直り

2009年04月13日 | 苦境
ときどき使う手。


「もうどにでもなれ!」

「矢でも鉄砲でももってこい!」

仕舞いには、

「サア!殺せ!!」


ある意味、 ヤケクソ。

別の意味で、無心の境地。



切羽詰る、

とことん追い詰められたとき、開き直る。

「窮鼠猫を噛む」 状態?



不思議と、パーッと視界が開けたりする。

これでずいぶん救われてきた。



「開き直る」 ことって、

心を 「開くと治る」 ってことかも?

美しすぎるゥ!?

2009年04月12日 | 勉学
先週から大学の授業が始まった。

今年度はチョッと趣が違うゾ。


英語がボツで、「地域経済学」と、「比較都市開発」を選んだからだ。



片や、怪しげな日本語を操る韓国人の経営学教授、

モウ一つは、









あまりにも 『美しすぎる准教授』



どこかの美しすぎる議員さんに勝るとも劣ることはないぐらい(?)

世界一美しい大学教授・准教授を選ばせたら、ナンバーワン間違いなし!?




毎週一回、90分間、ウキウキ、ワクワク、

講義室の最前列で、ポカーンと口をあけて見入ってしまいそう。

授業内容は上の空・・・カモ。



毎度のことながら、動機は不純。

3人乗り

2009年04月11日 | 社会
日本では、自転車の3人乗りがようやく容認されることとなった。



だが、バイクの3人乗り,4人乗りは当たり前、最高一家6人乗りまでしてるとこ目撃しちゃった。

人間だけでなくなんでも (洋服ダンスとか、家畜の豚まで) バイクに乗っけて運んじゃう。


日本製のバイクはとてつもなく頑丈だ。

断らない

2009年04月10日 | 人生
今や飛ぶ鳥をも落とすほどの勢いのカツマ女史に楯突いたところで、勝ち目がないのは百も承知の上で、敢えて言おう。

「断らない力」 こそ大事だと。


頼まれたら、イヤとはいえない性分。

「来るものは拒まず、去るものは追わず」 に通じるだろう。



断らないことは、受け入れることだ。

清濁併せ呑む懐の深さこそ 「大器」 といえる。


「受け入れる力」 は、 「許す力」 とともに、

『楽力』 の源となる。


どんな困難や重圧をも逃げずにしっかりと受け入れ、消化する。

敵対するものすら許し、苦境に甘んじるほどの寛大さを持つ。



一流のアスリートたちは声を揃えて言う。

「このゲームを楽しみたい」 と。

イチローしかり、浅田真央、石川僚などなども。



人生というゲームを楽しむことが 究極の 『楽力』 だ。

自分の身に降りかかるあらゆることを受け入れ、真の楽しみに昇華できれば、達観したことになるだろう。




もしも、どうしても断りたいときは、



チョッとズルイやり方だが、




相手に断らせればいい。

そうすれば、貸しを作ることにもなる。




自慢じゃないが、


ボクは、女性に断られた(フラレた)ことは数え切れないくらいある。

だけど、こちらから、断った(フッた)ことはない、・・・タブン。

ナンカ、関係あんのかな?



五里霧中

2009年04月09日 | 苦境
「先が見えない」 と人は言う。

そうだろうか。


いつの世も、先(将来)は見えないものだ。

見るものでなく、自分で描くものだろう。


正確には、自分の将来が描けないのかもしれない。



人生を描くには、

筆とキャンバスを、夢と希望に置き換える必要がある。

絵の具は、勇気だ。

薄め液は、愛だろう。




余談だが、

ボクは、山で遭難しかかったことが2度ある。

一度は、スキーで上った山の頂からどの方向に降りればいいか分からなくなったのだ。

もう一度は、大草原の真っ只中で、どちらに進めばいいか分からなくなった。

いずれも、足元さえも見えないくらいの濃い霧のせいだった。


進む方向を間違えば、死が待っていた。

こういうときの鉄則は、いたずらに動かないこと。


とはいえ、日も暮れ、体は芯から冷えてくる。

恐怖と不安が容赦なく襲い掛かる。


どうしたか。













草原では、目を瞑りジッと耳を済ませた。

遠くでかすかな車の音が聞こえた。

その方向に進んで事なきを得た。



山の頂では、ジッと目を凝らした。

一瞬、薄らいだ霧の合間にかすかな光が揺らいだ。

その方向に一気にスキーで下った。


かすかな音と光が、ボクの希望と夢をつないだ。




五感を研ぎ澄まし、神経を集中させる。

的確な情報を瞬時につかみとる。

後は、勇気を持って、判断と行動あるのみ。




さて、この暴風雨のさなか、

どうする?


フライト手配

2009年04月07日 | 
来月、ニューヨーク行きの片道航空券を手配中だ。

もちろん、娘の留学のためだが。


格安航空券を探すと、どうしてもソウル経由になってしまう。

インチョン空港は、香港やシンガポールと並び、今や世界のハブ空港として上り詰めた。


確かに、何度行っても、何時間いても飽きない。

まさに大型ショッピングモールだ。

コンサートイヴェントはやっているし、無料の体験コーナーなどもある。


旅人として重宝するのは、無料のシャワールームやゆったりとした仮眠ソファーがあることだ。

それに、パソコンコーナーも充実していて、無料で何時間でも利用できる。

成田や関空、中部など足元にも及ばないぐらい、至れり尽くせりの設備だ。


空港税も安いので、不便な日本の空港を利用するより格安であることは言うまでもない。

燃料サーチャージもグーンと下がって、6万円台で行けるようになったのはウレシイ。



それに裏技(?)を使えば、もっと優雅に使用できる。

ストップオーバーがその一つ。

ただで、一泊二日のソウル観光が出来てしまう。

旅行会社の人も知らない裏技がまだまだあるよ。



そんなこんなで、今回もソウル経由になりそうな予感。

(写真は、インチョン空港の仮眠室で爆睡する筆者)

ボクの朝

2009年04月06日 | 人生
春の温もりが帰ってきた。

いつものように、コーヒーを入れる。

決まって、濃い目のブレンドだ。

それも、5人分のコーヒーメーカーにタップリと。


パソコンのスイッチを入れる。

起動する間に、顔を洗い、口を漱(すす)ぐ。

パンをオーブンに入れる。

一通りメールをチェックし終えると、ちょうどコーヒーが出来上がるころだ。


マグカップになみなみと注ぐ。

当然、ブラック。


ミュージックバード(音楽専用CS)のスイッチを入れ、チャンネルをクラシックに合わせる。

朝は、優しいメロディーに限る。


焼きあがったパンとコーヒー、モバイルPCをテラスに持ち出す。


チョッピリひんやりとした空気とやわらかい朝の日差しを受け、コーヒーを胃に注げば、身も心も幸せの程よい温もりに包まれる。


今日もまた、

この幸せを誰かにおすそ分けできますように。





YOUTUBE

2009年04月05日 | 
YOUTUBE にアップしてます。

http://www.youtube.com/asaykaji



「英会話ドラマ」 の作品や

「Long Distance Love」 のライブ風景を

youtube にアップしていますので、よろしければ見てくださいネ。


http://www.youtube.com/asaykaji

左下の 「ブックマーク」 のYOUTUBE をクリックしても見れますヨ。


ドラマ、曲ともに、まだまだ試行錯誤の段階ですが、

コメント (感想、アドバイス、ご批判など) お待ちしてます。

よろしくー。

エッ、雪?

2009年04月04日 | 社会
朝起きて、寝ぼけ眼でカーテンを開けると

「雪が舞っている」

と一瞬思った。

「まさか」 と感じると同時に、

その正体が、

桜吹雪、だと分かった。

まるでボタン雪かと見間違うように、

やわらかい雨の間隙を縫ってヒラヒラと空を舞い落ちる。


2階の窓から下を見ると、

一面に淡いピンクの絨毯が敷き詰められていた。


その目の先には、ポッテリとした濃いピンクの八重桜が、

ソメイヨシノや山桜に取って代わって、春の情緒を醸している。



はかない花のあとには、しっかりとした青葉が引き継いで芽吹いていた。

筍旬

2009年04月03日 | 社会
今、うちの裏山ではタケノコが取り放題。


夜中に行くと、イノシシがタケノコ掘ってるとこに出くわすよ。


しばらくは、タケノコで食いつなげそう。


いらっしゃいませんか? タケノコ掘りに。

モチ、タダだよー。

想いを形に

2009年04月02日 | 
熱き男、森田健作。

さて、手腕は・・・?



熱き想いを実践するためには。

それは、







「たい」 から 「する」 へシフトさせること。


ああしたい、こうしたい、こうなりたい

から

ああする、こうする、こうなる

と、考え、言葉に出して言う。



書き出してみる。

今あるもの、出来ること (可能性も含めて) のみ書き出す。

否定語は一切使わない。



そして、動く (ここがポイント)。

プラス思考 × プラス行動 = 実現

どちらかがゼロなら、答えはゼロだ。

どちらかがマイナスなら、答えはマイナスとなる。

(では、両方マイナスなら、プラスの答えが得られるか?



その場合は、掛け算でなく、足し算になるので、答えはマイナスとなる)




家の外に飛び出し、叫んでみるのもいい。

友達に会って、熱く語ることも時には必要。



バカと思われてもいい。

いや、


バカと思われるくらいでないと、いけない。




大なり小なり何かをやり遂げたものは、

最初はみんな、多かれ少なかれ、「バカ」 だった。

ボクが子供たちだったころ

2009年04月01日 | 人生
現在、35歳の娘、24歳の息子、18歳の娘と、3人の子供たちがいる。


それぞれの子供たちの歳のときに、自分が何をしていただろうかと、ふと思いを馳せてみた。



18歳 (1967年)

大学受験に失敗し、浪人生活に入る。

しばらくは、フワフワしていたが、ゴールデンウイーク明けごろから、怒涛の浪人時代が始まる。

たぶん、一生で一番勉強(受験勉強)に没頭した10ヶ月だった。



24歳 (1973年)

一浪、一留年して、24歳で大学を卒業、総合商社に入社。

華の商社マンとして、東京での生活。

この年の秋に、長女が生まれる。

折りしも、昭和48年、第一次オイルショックの年。

スタグフレーションで国中がパニックになった。




35歳 (1983年)

移住を決意。

翌年、息子の誕生。

そして、馬と犬を連れ、阿蘇から久住へ移住。

もっともエキサイティングな、大草原でのアドヴェンチャー・ライフがスタートした。



こうしてみると、

それぞれがターニング・ポイントだったナー。

シミジミ・・・・・・。