世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

相手のため

2013年06月24日 | 人間関係
自分のためより相手のためになることを考える。


世のため、人のためなどという思い上がり(egotism)は全くない。

気負い(excited mood)もない。


ただ、出会った人のことを想うだけだ。


星の数ほどいる人たちの中から、この人に出会うということは


この人のために何かをしてあげなさいというか、

自分がしてあげる何かがあるからなのだ、と感じる。



この人が自分にとって意味のある人ではなく、

自分がこの人にとって意味付けをしなければならない立場にあるのだ、と。



縁を大切にするということは、そういうことなのだ。


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よく、give and take だとか、win-winの関係だとかいわれる。


お互いにとっていい関係、お互いが利益を得る関係のことだ。



だがそんな虫のいい話は少ない。


どちらかが得し、一方が損をするまではなくても

利益が一方に偏(かたよ)ることはよくあることだ。

そこに妬みや僻(ひが)み根性が芽生え、人間関係が崩壊する。



得とは、基本的にはお金の多少で測ることが多い。

いわゆる儲けだ。


どちらにせよ、あいつだけが儲けやがって、と妬みや恨みを買う。




儲けは相手にくれてやる、的な大きな心を持ちたい。


ボクが手がける社会起業、NPOはその精神を貫く。



信じてくれないでしょうが、ボクは今貧困のどん底にいる。


ボクの表面上の行動や活動を見ている人は、

資金的に裕福だと思うかもしれない。


真実は真逆。



借金苦に喘ぎ、日々の食事もままならない。


何も同情を買うために言っているわけではない。

なぜなら、今人生で最高の幸福感を噛みしめているから。


最も心が裕福な状態にある。


それは、素晴らしい仲間たちに囲まれているから。

そして、みんなから生かされているという充実感を味わえるから。


だから同情はいらない。

(同情するなら金をくれ!などとは口が腐っても言わない)



これは、どんなに儲けて、お金持ちになろうが

決して手に入れることのできない感覚(充実感)だと思う。



一期一会。


出会った人すべての人が幸せになってくれるよう、

どうすればその人の役に立てるかを常に考える。


それぞれの人にはそれぞれの幸せがあって、姿形は違う。

一律ではなく、その人に見合った幸せを実現させたい、と願う。



だから、話を聞く。

一緒に考える。

アドバイスする。


出来ることは、一緒に行動に移す。


そうすることが自分の役目であり、それだけでぼくは十分幸せになれる。



相手が誠実であればあるほど、

ボクは命を懸けることができる。



時に誤解を招く。

恨みも買う。

裏切りにも出会う。


それはそれでイイ。



死にかけている人に、ボクの命を捧げようと思った。

神に祈った。

命は捧げなっかったが、その人は生きながらえた。

逆に恨みを買ってしまった。



それでいいのだ。


ボクはそういう役回りを演じるためにこの世に生まれてきたのかもしれない。


自分にウソをつくことは出来ない。

ボクは自分の信じた道、正しいと思える道をテクテクと死に向かって歩くだけ。



ボクは、何かを行動に移す時、

いつも自分自身に問いかける言葉がある。



それは正しい道なのか?

自分の意に沿った道のなのか? と。



とはいえボクも人の子、凡人であるからして、

時に邪悪な考えが頭をもたげる。

それはご愛嬌。


何処までも凡人であり続けたいから。

その方が気が楽だしネ。



世の中、聖人ぶる人のなんと多いことか。

多くの人は、「理にかなう」ことより「利にかなう」ことの方を考えがちだ。

つまり、情理より場利(その場の利益)の方を優先する。



ボクは、grate になることを望まない。

あわよくば、 grace でありたい。



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昨日、二つの新しい試みがあった。


一つは、ベトナム語講座。




もう一つは、ワッフルの店頭販売。




彼らの純真無垢なひたむきさに打たれた。


お二人に祝福あれ、と願う。




【感想】


ワッフルは「輪フル」

人の輪をいっぱいにすることかな。

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