世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

日常 非日常

2014年03月12日 | 生活
日常に埋没しそうな今日この頃。


変化のない風景。


街が少しずつピンク色に染まりだしたというのに。

心は灰色のままだ。


人のfacebookの記事がなんとなく白々しく思えてくる。


食べ物の写真。

ペットの写真。

幸せそうな笑顔の写真。


何気ない日常がつまらなく感じるのはなぜだろうか。



自分に日常はないものと思っていた。

非日常的生き方を求めてきた。


だけど、毎日が非日常の生活なんてあるのだろうか。


旅に出るのは、旅そのものが非日常だったからかもしれない。


だけど、旅を日常にしてしまったら、

何が非日常になるんだろう。


むしろ、なんの変哲もない日々の暮らしこそが非日常なんだろうか。

ならば、もっとキラキラと輝いているはずだ。


食べモノがどうだとか、

環境がどうだとか、

政治がどうだとか、

文句ばっかりいって、自分の生活がままならないやつら。


黙って、しっかりと生活に根付いている人々。

どれも日常の姿なのか。



母親が元気な頃、

台所で玉ねぎを刻みながらこぼした言葉が妙にボクの心に響いた。


「あ〜、毎日毎日同じことばっかり」

そうして涙を拭った光景が脳裏に焼き付いている。


あの涙は、玉ねぎのせいではなかったのかもしれない。



同じ毎日の繰り返し。

ある意味、それが幸せではなかったのか。


何も起きない、変化のない生活。

平凡な暮らし。



最近facebookをやらなくなった彼女。

「どうしたの?」って聞いたら、


「だって、みんな幸せそうなんだもん。

余計に自分が惨めになっちゃう」


そう言う彼女はうつ病を患っている。



結構みんな突っ張って生きてるのかもしれない。

案外なんでもない生活に、小さな幸せをみつけようと必死なのかもしれない。



食べ物の写真。

ペットの写真。

笑顔の写真。


自分で載せたタイムラインの中に

小さな幸せを分かち合おうとしているのかもしれない。



そして、他人のそれをしゃくにさわる君がいる。


人は人、君はキミ。

一緒に幸せになろうと誓ったあの日は遠い昔の非日常だったのかもしれない。



あんなに欲しかった自由を手にした。

あんなにしたかった旅をしている。


それでも何かが足りないと不満を漏らす自分がいる。


それは一緒に歩くパートナーなのだろうか。


非日常が日常に変わる時、

人はまた非日常を求めて歩き出すのだろう。


どこまでも、どこまでも、果てしなく、終のない旅。


Why am I here?

Where am I going to?



【追記】


海の向こうから時折届くSOS信号。

”Help me.”


ボクはその声を無視することはできない。


その呼びかけに応えるべく、

非日常の旅を繰り返す。

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