世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ボクの就活 超氷河期に思う

2011年01月19日 | 仕事
大学生の就職内定率が


68.8% という


超就職氷河期だと報じられた。



見方を変えれば


求人はあるのに


就職しないとも聞く。




なんだかんだといっても


豊かな国。




これも成熟社会の一面なのだろうか。








もうかれこれ40年近く前のことになる。


大学4年になり、

ボクが就活をしていた時の頃の話をしよう。



ボクは、

商社に行くと決めていた。



それも総合商社に。



当時は、総合商社は10大商社の時代だった。


今は、7大商社かな。



ボクは、


たぶん


人より3つの負い目を抱えていた。




一つは、



浪人した上、留年していたこと。


つまり、2年のダブリがあった。




2番目は、



学生運動でパクられたことがあること。






そして3番目は、


学生結婚していたこと。






これだけ


ハンディを背負っていたら


誰だって敬遠する。





案の定



落ち続けた。





そこで



あまり気乗りはしなかったが


中堅の商社に挑戦してみることにした。



とはいえ

従業員が数百人いる鉄鋼専門商社で


れっきとした上場会社だ。






面接の結果、


数日して

人事部長から直接電話が入った。





驚いたことに


住んでいるアパートに来ると言う。



風呂なし6畳一間。



なんせ

「神田川」 や 「赤じょうちん」 も世界だったから。


(分かるかな? 南こうせつのかぐやひめの歌)




そうしたボクの生活の様子を実際見て


当時の奥さんにも会いたいとのことだった。




いわば会社の家庭訪問だ。






その結果

さらに驚くことが起こった。





社長に直接会ってくれという。




つまり


最終的には社長面接だった。





結果は、





その結果はというと








ジャ~ン!




「採用」 だった。




しかも



一年後


ベネズエラに行ってほしいとまで決まっていた。




そこは、


その会社が鉄鉱石の輸入先として


力を入れていた国だった。




たぶん

ボクのスペイン語と


体力と


ラテン的人柄(?)を買ってくれたのだろう。




社長も人事部長も


イイ人だった。



正直うれしかった。







ただ


ボクは決めかねていた。





その会社の将来性への疑問と


総合商社への未練が残っていた。