ボクがマチュピチュを訪れたのはかれこれもう14~5年前になる。
エジプトのルクソールと並んで、最も印象深かった世界遺産だ。
洪水の被害のニュースを見るたびに、クスコの町から同じ列車で川沿いを走ったことが思い起こされる。
当時日本人はほとんど見かけなかった。
取り残された3,800人(内日本人77人)の観光客もほとんど救助されてホッとしている。
その時の思い出の一つに、”Good-By Boy” がある。
列車を降りるとマチュピチュの空中都市までつづら折りの道をバスで上がることになる。
帰りは当然同じバスで下るのだがそのとき一人の少年が現れる。
そして、彼は我々観光客に向かって「Good-by(グッバーイ)!」と大声で叫びながら大きく手を振る。
思わず我々もにこやかに手を振り返す。
バスが、次のカーブを曲がると再びその少年が現れ、同じ動作を繰り返す。
そして、その次も、その次も。
彼は、バスに手を振るとすぐさま一気に直線コースをたどって下の道に駆け降りるのだ。
バスが、終点に着くとその男の子がドアーの前で待っている。
チャッカリと手を差し伸べて。
みんな彼にお金を渡すという訳だ。
立派な働きだと感心させられた。
彼はすでに20歳を超している。
もう引退しているだろう。
彼の後継ぎの ”Good-by Boy" は今でもいるのだろうか。
エジプトのルクソールと並んで、最も印象深かった世界遺産だ。
洪水の被害のニュースを見るたびに、クスコの町から同じ列車で川沿いを走ったことが思い起こされる。
当時日本人はほとんど見かけなかった。
取り残された3,800人(内日本人77人)の観光客もほとんど救助されてホッとしている。
その時の思い出の一つに、”Good-By Boy” がある。
列車を降りるとマチュピチュの空中都市までつづら折りの道をバスで上がることになる。
帰りは当然同じバスで下るのだがそのとき一人の少年が現れる。
そして、彼は我々観光客に向かって「Good-by(グッバーイ)!」と大声で叫びながら大きく手を振る。
思わず我々もにこやかに手を振り返す。
バスが、次のカーブを曲がると再びその少年が現れ、同じ動作を繰り返す。
そして、その次も、その次も。
彼は、バスに手を振るとすぐさま一気に直線コースをたどって下の道に駆け降りるのだ。
バスが、終点に着くとその男の子がドアーの前で待っている。
チャッカリと手を差し伸べて。
みんな彼にお金を渡すという訳だ。
立派な働きだと感心させられた。
彼はすでに20歳を超している。
もう引退しているだろう。
彼の後継ぎの ”Good-by Boy" は今でもいるのだろうか。