書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

恩師の事を去来する地域住民の葬儀

2008-03-22 21:50:00 | 日記

恩師の事を去来する地域住民の葬儀

今日同じマンションに住む住民の葬儀があった。
同じところに住む人間として、多少顔見知りだったが別に親しかったわけではない。
取りあえず近所の礼儀というもので葬儀に参列した。
年齢としては、84歳と言うから亡くなった死因が何であれ天寿だろう。
しかし、その葬儀へ行く途中の車の中で去来したのは、昨年亡くなった中学時代の恩師の葬儀についてだった。
普通その様な恩師の葬儀など、卒業して何年も経てば音信不通となり、そして病気にでもなれば年賀状の返事も来なくなる。
結局忘れ去られて、葬儀にも出ないというか気がつかないというのがほとんどだ。
事実、小学校6年の時の恩師は、早くに病気で知らぬうちに亡くなっていた。
又、高校時代の恩師は、書を通じて何度か晩年会ったことがあったが、誰も通知されることもなく、亡くなったようだ。
「ようだ」とは、確認できていないからだ。
さて、中学の恩師の場合、昨年6月に同期生の全体同窓会があった関係もあって、葬儀の連絡が来たのも「例外中の例外」だった。
それは、同級生が恩師の甥に嫁いでいたという特殊の関係のためだったろう。
そして、今から思えば連絡してきたのが「弔辞」を頼まれて辞退した「ヤツ」だった。

去来するもの。
実は、その弔辞を自分でしてやれば良かったと言うものだった。
なぜなら、甥に嫁いだ旧姓Kがとりとめのない弔辞を読んだからだった。

そんなのだったら、幾らでも読んでやったのにと思うが、「弔辞」というのは頼まれないと思いつかないものだ。
又、喪主となった場合、結構弔辞を頼むのを忘れたりする。
いずれにせよ、別に弔辞を頼まれて断ったわけではなく、なんと言うことはなかったのであるが、何やら心に残ることがあった。

そして、今後そんな恩師への弔辞を読むと言うことはほとんどあり得ないと言うことも確かだ。
一方、書家に対しての弔辞は、これから嫌と言うほど読まされると覚悟しなければならないだろう。
それにしても、今日の葬式は大会場だった。
生前は、燃料会社の役員をしていたというし、息子は医者のようで、大学医学部の教授や病院長などの弔電がたくさん来ていた。

孫も随分いて、賑やかな葬式だったが、小生の時のは家族も少ないから寂しいものになるなあと、何やら思ったりするものだった。合掌。