今から30年前の今日にあたる1994年7月29日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
IBFスーパーミドル級戦:
王者ジェームス トニー(米)KO12回2分45秒 挑戦者チャールズ ウィリアムズ(米)
*ミドル級では常に減量との戦いを強いられていたトニー。そのため、試合毎にそのパフォーマンスにはばらつきがあり、評価も定まったものは至っていませんでした。しかしこのスーパーミドル級に転向して以来1年半、常に生き生きとしたボクシングを見せるようになったトニー。一試合毎にその評価を上げる結果を出すようになりました。
今回トニーが迎えたウィリアムズは、一階級上のライトヘビー級(175ポンド/79.4キロ)を主戦場にしてきたウィリアムズ。その50戦近いキャリアの内(通算成績37勝7敗3引き分け)、スーパーミドル級(168ポンド/76.2キロ)で戦ったのは、1978年6月に行ったプロデビュー戦と、このトニー戦の僅か2試合となります。
(トニーに挑戦するために階級を落としてきたウィリアムズ)/ Photo: The Ring
ウィリアムズはただの挑戦者ではなく、ライトヘビー級で一時代を築いた強豪中の強豪。1987年10月にIBF王座を獲得すると、1993年3月にその王座を失うまで8度もの防衛に成功しています。実力者がわざわざ階級を下げ、勢いのある新鋭(といってもトニーは既に2階級制覇を達成しています)に挑戦するという、話題性の高いカードが実現しました。
実力者同士の一戦は、一進一退の攻防が試合開始のゴングと同時に繰り広げられることになりました。188センチとライトヘビー級でも大柄の部類に入るウィリアムズが、一回り小柄(178センチ)なトニーに仕掛けるという攻防が続きます。先手を取るのはウィリアムズ。それをトニーが見事な近距離でのボクシングを披露し迎え撃つ。少し離れて試合を観ていた人からすれば、挑戦者の一方的な試合に見えたかもしれません。
(強豪ウィリアムズ相手に、持ち前のボクシングを展開したトニー)/ Photo: Pluto TV
ウィリアムズは「自分より小さなトニーなら、粉砕できる」と思ったのでしょうか?結果論になりますが、彼の取った作戦は最良のものではありませんでした。異常なぐらいに接近戦での防御技術が高いトニーに対し、ウィリアムズの攻撃はそれほど功を奏さず。ほとんどのパンチは天才的ともいえるトニーの体全体を使ったディフェンスの前に空回り。ブロックされるか、ターゲット(トニー)には当たらず仕舞いとなりました。逆にウィリアムズは、トニーの左右のパンチをカウンターで、上下に浴び続ける事になりました。そして少し距離が空けばトニーの攻撃を許す。トニーにとり思い通りのボクシング展開となり、逆にウィリアムズにとっては空回りのものとなっていしまいました。
(思い通りのボクシングを展開していくトニー)/ Photo: Ring Magazine
トニーのクリーンヒットを貰い続けたウィリアムズ。徐々に徐々にとダメージを蓄積していくことになってしまいました。最終12回にシャープな右をヒットし、ライバルをばたつかせたトニー。試合終了も間近となったその時、右クロスをものの見事にクリーンヒットさせついにダウンを奪うことに成功。ダウンをする際、ウィリアムズの上体はグニャリとし、まるで糸の切れた人形のようにフロアに送られていきました。
(まるで糸の切れた人形のように沈んでいくウィリアムズ)/ Photo: BoxRec
結局ウィリアムズはカウント内に立ちあがることが出来ずにKO負け。11回終了時までの公式採点では、トニーが3対0(106-102x2, 105-103)でリードしていました。試合終了目前に撃沈されたウィリアムズ。もしダウン後試合が再開されていたとしても、彼の勝利はなかったことになります。
名のある強豪相手に、見事な勝利を収めたトニー。この年の11月に予定されていた、IBFミドル級王者ロイ ジョーンズ(米)との注目の一戦に駒を進める事になりました。
階級を落としての2階級制覇ならなかったウィリアムズ。この試合後、本来のライトヘビー級に戻り、数戦実戦を行いますが、このトニーとの一戦が最後の世界戦となってしまいます。
30年前はまだまだ伝統のミドル級とライトヘビー級の中間に、おまけのように新設された階級と見られていたスーパーミドル級。しかし今回の試合のように、世界戦が行われるごとに注目度を上げていくことになりました。
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