今朝は久し振りに味噌汁を作った。
エノキとエリンギと豆腐に春菊、野菜出汁に大豆の煮汁を加えたが、フルーティな香りと甘味があるひじょうにいい味噌昼に仕上がった。
タジンは人参・ジャガイモ・玉葱・エノキ・シメジ・スティックブロッコリー・スナップエンドウと豚肉で、酒を少しだけ入れて蒸し焼きにした。
干物は妻が作った鯖の干物で、これは塩加減が良く十分干してあったので旨味が濃縮していてよかった。
漬け物は胡瓜を糠床から出したが、最近糠の温度がかなり高くなっているので、攪拌を一日2度はしないといけない時期に入ったようだ。
思えば今日は海軍記念日で、5月も残り僅かだ。
海軍記念日を選んで大磯の眼医者を予約したが、最近、評判が良いので患者の数が半端じゃなく、息子と若い女医が応援に来ているが待合室に患者がごった返している。
団塊の世代が後期高齢者の中心に居るから病院は今混雑しているが、今後この年齢の人口減少と共に閑散とするだろう。
医療費も厚生年金も今が一番厳しい時で、近頃の政治家は目の前のことにしか考えられないが、今後の推移を考えて右下がりの対応を考えておく必要がある。
日本海海戦は1905年だったから、今から120年も前のことになる。
明治維新の後、列強から植民地化されることを恐れ、色々なものを犠牲にして富国強兵に励み、運よくこの海戦でほぼパーフェクトゲームを成し遂げ、世界から一目置かれる国になったが、同時に列強各国からは長い時間を掛けた日本無力化のスケジュールが組まれ、思い上がった少し頭の足りなかった政治家と官僚がまんまとその罠にはまり、1945年の敗戦を味わった。
先の敗戦で戦前を全否定したが、同じことは明治維新の時にも起きていて、江戸期を全否定して欧米先進技術を取り入れた結果敗戦を迎えた。
云ってみれば、戦後の大きな問題は、明治以降についての分析が十分になされていなかったことに拠るわけで、二度同じ轍を踏んでいる。
GHQ統治による戦後民主主義教育がここへきて大きく効いているが、果たして明治に取り入れた西欧教育の模倣に問題が無かったのかについても検討してみるべきだと思う。
そうなるとどうしても、江戸期に唐心の影響を受ける前の大和心を求めて三十数年を費やし、古事記の解明に命を懸けた本居宣長の意図に感心しざるを得ない。
既に優れたモノがあるのに、その成果を十分に使っていない子孫に対して、宣長は何を思っているんだろうか。
これからの日本を考えるに当たって、先ずは「古事記」と「万葉集」を読むことから始めるのは最も基本的なことに思う。