キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ここまで言っていいんですか

2024年09月14日 | Weblog
伊藤貫の新しいセミナーを視聴した。
中川昭一と安倍晋三についてだったが、伊藤は中川と同い年で育った環境も似ていて、会ったときから気が合い深い交流があったとのことだ。
東京とワシントンで会い、しらふで真剣な話をしてから酒を飲むと、1時間か1時間半で中川が泥酔したらしい。
伊藤は国際政治学者だから、中川の質問に対して解説をしていたことが多かったようだが、その折にはでっかいノートにきちんと書き取っていたとのことだ。
私的な話では、一度会ったときに女優かモデルのような女を連れてきたことがあり、こんな女と付き合っているのかと思ったことがあった。
また、女がいるもんで女房と娘が話をしてくれないんだとぼやいていて、酒癖と女癖の悪い愛すべき政治家だと思っていた。

だが、2006年に北朝鮮が核実験を成功させたとき、日本は核を持って自主防衛をするべきだと発言したら、日本はアメリカが核の傘で守るから核を持つ必要が無いと、直ぐにアメリカの国務長官のライスがやって来た。
その時に、それまで同調していた仲間の政治家は蜘蛛の子を散らすように逃げていき、官僚、メディアはアメリカの味方となり、孤立無援となった。
逃げた政治家の一人に安倍晋三がいる。
しかし、麻生さんが、君の云っていることは正しいと激励してくれた。

2008年リーマンショックのリカバリーのため、その資金をアメリカから要求された時に、国民の税金をアメリカの金融不祥事のために使えないとキッパリと断った。
この時、例のイタリアでの酩酊会見が仕組まれた。
会見の前の昼食会には読売新聞の女性記者(ちなみに読売新聞社主であった正力松太郎はCIA)と財務省の官僚と日本銀行の人達が同席していたことは良く知られていて、この読売の女性記者がワインに薬を盛ったと云われており、女性記者はそれを否定していない。
会見場には横に財務省と日本銀行の人がいたのに何も対処をしなかった。
その後、落選し、伊藤の説では、米、中、露に接触すると体調が悪くなり一週間で死ぬ毒があり、その毒を盛られて亡くなった。

安倍晋三については、保守層にアイドル的に人気があるが、西部邁は教養がなく、頭がそれほど良くないので深い思考が出来ないが、政治家としての調整力が優れていると評していたらしい。
彼の祖父の岸信介は商務官僚で満州で陸軍に気に入られ、東条内閣で商工大臣として手腕を振るった。
A級戦犯となるもアメリカに寝がえりCIAとなり無罪放免にされる。
この時児玉誉士夫 、笹川良一もCIAとなり戦後のアメリカ統治の駒となった。
これによりアメリカが統治する戦後体制が作られた。
CIAは今も同じやり方を馬鹿みたいに繰り返しているが、相手国の有力者を一本摺りし、莫大な資金を投下して、望む政治体制に作り上げる。
その手腕は圧倒的で見事だが、自由と民主主義を掲げる国家の組織として、果たしてその理念に適うのかどうか。

アイゼンハワー、ニクソン、キッシンジャーの時代に2度、世界を5極体制のバランス・オブ・パワーで統治すべきで、日本は核を持って自立し、その一極を構成すべきだとのオファーがあったようだ。
だが、頭の悪い佐藤栄作はバランス・オブ・パワーの概念さえ分からず、アメリカの属国としての安全保障に固執したとのこと。

また、トランプからも十数度、日本は自主防衛をすべきだとのオファーを受けたが、叔父同様安倍晋三はそのチャンスを潰した。
安部晋三も暗殺されたが、中川昭一も少なくとも2006年の時点で、アメリカか中国に命を狙われるとの自覚があり、政治家である以上その覚悟をしていたようだ。

伊藤貫の話しは以前から面白くて、ここ10年近く熱心に聴いてきたが、ここへきて、彼も最後の時がそれほど先のことではないと自覚しているのか、実名を挙げて事実を直截に話すようになっている。
話の内容がより具体的で直截になった森永卓郎や馬淵睦夫も、先が無いとの自覚があり、もう死を恐れない。
そして、生きているうちに真実を伝えたいとの強い意志があるのだろう。




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