キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

平塚へ東海道線で出かけた

2024年10月10日 | Weblog
昼ガパオライスを食べて、小津安二郎の「お早よう」を観た。
つい最近観たような気がする、面白いとも何とも思わないが、ラストシーンの朝、八丁畷駅のホームで久我美子と佐田啓二が出会い「いい天気ですね」と無駄に言い合う場面の空がやけに綺麗でいいシーンだなと感じた。

二日酔いで身体の節々が居たかったけれど、今日が平塚図書館への川本三郎2冊の返却期日で、先に次男が用があり平塚へ出かけているので、待ち合わせることにして出かけることにした。
駅の図書館の出先機関で本とCDを受け取ったときに、面談が終わったとのメールが入ったので、具合よく逢うことが出来た。
CDはアンドラース・シフのシューマン、ベートーベン、シューベルト、バッハとカシュケナージの平均律クラーヴィーア曲集、本は「つげ義春が語る 旅と隠遁」筑摩書房 2024年と呉明益「穂小津教の魔術師」白水社 2015年

二人でBOまで歩き、僕は中野剛志「奇跡の経済教室 基礎知識編」と「戦略編」KKベストセラーズ 2019年を買った。

イナリヤトまで歩くことにして西へ向かい、途中の公園で休んで少し色付いてきた木々を眺めた。
イナリヤトでは常連のカリフォルニア出身の女性が居て、ワインを飲んでいた。
ジンジャエールを飲みながら小一時間話をして、5:19のバスで帰って来た。
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久方ぶりの横浜ナイトクルージング

2024年10月10日 | Weblog
昼飯抜きで試飲をしていたので3時過ぎに浜松町で腹を満たそうとしたが、いいところは3時に店仕舞いしていて、チェーン店の焼肉屋に入ったが、これが不味かった。
しかも割と高いので、個人でやっている食堂は十分に勝ち抜いてゆけるんじゃないかと感じた。
大店舗法改正で大型店が街にやって来て、それだけで勝ち目がないと商いを放棄した人が多かったが、大型店には大型店の欠点があり、そこを突いて行けばいくらでも商機はあった。
特に生鮮3品と総菜屋については可能性が高く、確かに魚屋と八百屋の多くはつぶれてしまったが、残ったところがあるし、総菜屋は肉屋が揚げ物に総菜をプラスして大いに繁盛している店が我が街にもある。

友人に美濃屋の柿の種を約束したのが夏前で、酷暑のために横浜へ出ることもなく無為に4か月が過ぎた。
浜松町から桜木町まで京浜東北線で40分くらいかなあ、だいたい座って一本で行けるので寄り道しやすいのだが、先日TVで観た蕎麦屋の後を継いだ河村屋の娘さんの姿を眺め、地下へ下りて美濃屋へ行くと馴染みのオバサンがいて5年振りくらいだった。
柿の種など6種類を買いこみ、馬車道へ向かった。
先日二宮のイタリアンのシェフから聞いた健蔵さんがオープンした店Kennzoへ向かったが、生憎オープンが5時半だったので開店前の忙しい時には顔を出すのがはばかられ、利休庵で菊正宗の燗を3本呑んだ。
蒟蒻の味噌おでん、大根と人参と焼椎茸と油揚げを細切りにしたサラダ様のもの、アサリと葱のぬたを肴に取り、もりで〆た。
吉田町の「はし本」で久し振りに元気そうな橋本さんに会い、あん肝で燗酒を吞んで小一時間話をして出た。
野毛の「福屋」で白子酢で福寿の燗を2本呑んだ。
カウンターの右端に座りスーパーニッカのグラスの氷をぐるぐる音を立てて回し、タクシーで帰る80になっていると思われる整体院のチェーンの社長が未だ週3回やって来てるそうだ。
ベラボーに高いわけではないが、夏は鰻、冬は河豚の店だから、一人で軽く飲んでも1万円にはなり、それを週3回、相鉄線の沿線までタクシーで帰るというのは相当な贅沢だと思う。
だが、それが彼の生きがいで最も大切な時間なんだろう。
ほぼ向かいの「Brilliant」に10年振りに入り、ギムレットとマティーニを飲む。
助手の女の子がいたのに驚いたが、お客が割と入っているから人気店なんだろうな。
最後に「R」に寄って塚ちゃんに会い、マティーニとラフロイグ10年を飲んだ。
髪に白いものが混じり初老の感じがしたが、こっちはすっかりジジイだけど、前のプロレス好きのオーナーから店を引き継いでもう20年以上になるから、青年だった彼も50男になるわけだ。

馬車道も新しいビルが建ち、かなり変わったが、吉田町から野毛も随分と変わっていた。
毎日通っていた時にはその変化が分からなかったが、久し振りに見るとよく分かるものだ。
日本人は新しいものを好むが、横浜の古い建物や路地が無くなるのは寂しい。
まあ、僕よりもっと前の人は、僕が観ていた横浜をすっかり変わり果てて寂しいと思っていたんだろうけどね。
変わってしまった町は何だかよそよそしい。

店の人たちは二通りで、久し振りに来たことを懐かしみ歓迎してくれる人と、かつては上得意でも、今はたまにやって来たケチなジジイだから、そういった扱いの人とに。
まあ、かつて会社が倒産した時に掌を返すような人とそうでない人に別れた。
その時、人とはそういうものだと分かったが、こういったところで人の価値が問われるから気を付けなきゃいけない。




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二日酔いの頭で考えた

2024年10月10日 | Weblog
お台場のホテルでの試飲会では、イタリア白ワインのマスタークラスに参加して、司会進行のソムリエが選んだワインを6種試飲をしながら説明を聴いた。
だが、そんなに新しいワインというものが無いという事が分かった。
まあ5千年もの昔からグルジアにワインがあったという事だが、今まで夫々の時期に画期的なことはあったにしろ、この30年の流れはさほど変わらない。
80年代にフレッシュ&フルーティという事で、完熟して健康なブドウから綺麗なワインを造る流れとなったが、あまりに綺麗すぎて詰まらないとの反省から、幾つかの試みがなされてきた。
だが、それは昔のやり方に帰るといった方向性であった。

一つ面白いなと思ったのは、プラスティックボトルのワインをチェビコが持って来ていたことで、僕がやっていた頃にもボージュレ・ヌーボーで航空運賃を軽減するために軽量であるこのボトルを使ったが、新酒がウリのそれほど目を見張るワインでもないのに高価ゆえ、プラスティックボトルではその価値を損なってしまい、その後あまり出回っているのを見かけない。
しかしながら世界各国から大量の瓶詰めワインが日本へ入って来て、それが出て行くことなくゴミとして蓄積されるわけだから、大きな問題であった。
今流行りの継続的な世界を維持するためには、リターナブルでなければならないし、少なくとも姿形が無くなるような処理の仕方をしなければならない。

11時から3時まで4時間ワインを試飲していたが、イナリヤトにぴったりのメーカーは見つからなかった。
一店舗で近隣の客相手にワインを売るか、湘南の数店の業務店にワインを売っているだけだから、売り上げが知れている。
量販店との競合を避けるので価格がミディアムから上になっていて、なおさら販売先が限定される。
しかも世間はアルコールには否定的な流れだから、酒業界はタバコ業界ほどではないにしろシュリンクしている。

しかしながら売春と飲酒は無くならないと云われるように、人間の本性に根差した欲望であり、少量のアルコールは人生を豊かにすると思われ、そこに望みをかけている。
但し今朝のような二日酔いになるとやっぱりアルコールは世の中にない方がいいと思う。

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