キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

酷暑の名古屋

2015年08月05日 | Weblog
仕事で名古屋に来ている。クソ熱い名古屋になんてわざわざ来なくても良いだろうにと仰る方もいらっしゃるが、これが名古屋の夏であるとするなら、来ておかなければ名古屋の事は分からない。

昨夜は人形町で遅くまで打ち合わせをし、江戸路で焼鳥を食って酒を呑んだが、いかにも江戸の下町にいるという感じがして良かった。
家に付いたのが、それでも昨日の内であったが、今朝は少し寝過ごした。
夜の気温が25度を下回らないときは冷房をつけて寝るが、その所為だけではなく疲れていたため六時過ぎまで目が覚めなかった。

ここ数日で買った本を書いておく。
木内昇「浮世女房洒落日記」中公文庫 2011年、堀江敏幸が解説を書いているが、これは本物の日記なのか、創作なのか良くわからない。手の込んだ紹介をしているところを見ると、創作をいかにも本物の日記と見せかけているとも思えるが、それにしては無駄に手が込みすぎている。

小島政二郎「食いしん坊」1、2 朝日文庫 昭和62年、この本も良くわからない、1.2となっているからには3,4,5と続きがありそうだが、調べてみると1,2で後が無い。
数年前に河出文庫で出た「食いしん坊」との違いは何か。
内田樹「日本辺境論」新潮文庫 2009年、これは多分二三冊目だと思うが、娘が鯛に帰るときに持たせるつもりだ。

矢沢永一「人間通でなければ生きられない」PHP研究所 1996年、大ベストセラーの「人間通」は恥ずかしくて買えないから、同じようなことが書いてあるこういった本を買って読んでいる。
バカな話だが、ベストセラーはどうもいけない。

金曜日の夕刻、鹿島茂とマルキ・ド・サドとワインについて対談をすることになっているので、参考文献を読んでおかなければいけないのだが、かつて新潮か角川文庫にあった澁澤龍彦訳のサドの著作は、古本屋の店頭でも見かけることが無い。

家の書庫をひっくり返せば、高校時代に買った全ての翻訳文庫本があると思うのだが、この少ない時間にそれを読むことも出来ず、澁澤竜彦が書いた「サド侯爵の生涯」を読んでいる。
サド公爵夫人の純愛が見事に書かれているのだが、獄中にいて一人の女を惹きつけたサドという男はそれほど魅力的であったのだろうか。
サドという男はこの本から受ける印象だと、子供っぽくて、肛門性愛のところに留まっているような気がしてならない。
鞭で叩いて射精したところなどは、観念的なな大人の性愛というより、直接的な子供の性愛であるような気がしてならない。
そして、ルネ婦人の愛情は母性愛のような気がしてならないのだが・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする