フェデラー伝説 1-2


 ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第1章(Chapter 1)その2。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。

  第1章の後半は、ロジャー・フェデラー様ご幼少のみぎりについての逸話でございます。


   ・ロジャー・フェデラーの両親、ローベルトとリネットが勤務していたチバ製薬会社が、バーゼル近郊にあるテニス・クラブを後援することになったのにともない、フェデラー一家は揃ってテニスに打ち込むようになった。
   ・特に、リネットはすばらしい才能を発揮し、スイス・テニス・クラブのシニア大会チームの一員に選ばれたばかりか、テニス・クラブのジュニア部のコーチになったほどだった。後に、リネットはスイス室内(スイス・インドア)組織委員会の仕事に携わることになる。
   ・ローベルトもテニスに夢中であり、地域ランキング入りするに至った。もっとも、後に夫妻は、ゴルフに熱中するようになったが。

   ・リネットは赤ちゃんだったロジャーをよくテニス・コートに連れて行った。1歳半にして、ロジャーはテニス・ボールで何時間も遊び続けた。まだ歩けなかったけれども、ロジャーは自分の手より大きなボールをうまくつかむことができた。
   ・ロジャーは3歳半で、初めてボールをネットの向こうに打った。4歳のとき、ロジャーはボールを20球か30球も立て続けに打てるようになった。父ローベルトは「ロジャーの動きは信じられないくらい美しかったんですよ」と力説した。(←多分に親の欲目が入っていると思われる。)

   ・フェデラー家は裕福でもなく貧しくもない、堅実なスイスの中流階級だった。ロジャーはバーゼル郊外のミュンヘンシュタインにある、静かな環境の中の庭付き団地(日本でいえばメゾネット・タイプのアパートみたいな建物)で育った。(←後の章を読むと、経済的余裕のほとんどない質素な家庭だったようです。)

   ・ロジャーは感情が激しくて気の強い、難しい子どもだった。ボード・ゲーム(人生ゲームみたいなやつ)でさえ、ロジャーにとって負けることは大惨劇を意味した。ロジャーは普段は「良い子」だったが、何かが気に入らないと、とたんに攻撃的になった。癇癪を起こしたロジャーによって、ボード・ゲームのコマが居間にぶちまけられることは日常茶飯事だった。(←プチ星一徹)

   ・学校で教師たちに対してであれ、また家で両親に対してであれ、スポーツに対してであれ、ロジャーはいつも自分が満足するようにやったし、状況を自分の思いどおりに変えようとした。(←ガキのくせに「オレはオレのやりたいようにやる」というナマイキな性格だったということ。)
   ・ロジャーは活発で、元気の塊であり、時どき手に負えなくなった。気に入らないことをやるよう強制されると激しく反抗し、飽きると口答えするか無視した。父のローベルトが、テニス・コートでロジャーに教えているときでさえも、ロジャーは父のほうを見向きもしなかった。
   
   ・ロジャーは友だちの間では人気者で、人懐っこく、偉ぶらず、お行儀も良くて、そして運動神経が良かった。ロジャーはスキー、レスリング(←へぇ~)、水泳、スケートボード(←ほぉ~)などをひと通りやったが、とりわけ球技、サッカー、ハンドボール、バスケットボール、卓球、テニスに夢中になった。家では、隣の家との塀を使ってバドミントンもやった。(←お隣から苦情が来たのでは?) 学校の行き帰りにはボールを常に持ち歩き、憧れの存在の一人はマイケル・ジョーダンだった。

   ・一方、学校の授業では、勉強に集中することやじっと座っていることが嫌いだった。学校ではやる気のない生徒であり、成績も平凡だった。(←授業中のフェデラーのやる気のない態度は後にもっとひどくなり、学校側がしょっちゅう激怒するほどになる。)

   ・両親は息子のしたいようにさせ、強制はしなかった。ロジャーはとにかく動いていなければ落ち着かず、そうでないと我慢の糸が切れてしまうからだった。両親は息子があらゆるスポーツに挑戦することを重んじ、ロジャーが幼いころに地元のサッカー・クラブに連れて行った。チームメイトたちとの協調性を育むことを学び、選手にもなれるようにとの考えからだった。

   ・母リネットは、自分自身で息子にテニスを教えようとはしなかった。自分には充分な適性がないと考えたからである。それに、息子とテニスをしても、母は息子のプレーにとにかく意表を突かれっぱなしだった。「ロジャーはいつもふざけてばかりでした。あらゆる変わったストロークを試みて、普通にボールを打ち返してくることは決してありませんでした。これでは楽しいわけないですよね。」

   ・ロジャーは何時間もテニス・ボールを打ち続けた。最初は外壁、次に車庫のドア、更に自分の部屋の壁、ついには家の戸棚にまでボールを打ちつけるようになった。絵画、写真、食器類が粉々になり、姉ダイアナの部屋も弟による破壊の被害を蒙った。

   ・姉ダイアナは弟のせいで心休まる時がなく、乱暴者の弟の悪行を耐え忍ばなければならなかった。ダイアナが友だちと一緒にいると、弟ロジャーが常に乱入して騒ぎまくり、ダイアナが電話していると、弟は姉から受話器をひったくってしまうのだった。「あの子は本当に小さな悪魔だったわ」とダイアナは言った。

   ・才能に恵まれた者の兄弟姉妹の例に漏れず、自分が弟の陰に隠れてしまうことは、ダイアナにとっては辛いことだった。後にロジャーがテニス選手として有名になると、家族で出かけたときには、ロジャーがおのずと人々の注目を一身に集めることになった。
   ・しかし、母リネットはダイアナに味方した。「ダイアナ、あなたは私よりまだマシよ。多くの人々が私に話しかけてくるわ。でも、彼らの話題といえば、いつもロジャーのことばかりよ。」

   ・姉ダイアナは後に仕事熱心な看護師となり、弟ロジャーの試合はたまにしか観なかった。母リネットも同じで、2005年、ロジャー・フェデラーが上海マスターズに出場していたとき、ロジャー・フェデラーの母と姉は、試合中だったにも関わらず、試合会場を去って南アフリカ旅行に出かけてしまった。
   ・ダイアナは弟のロジャーのことを誇りに思っているが、しかし弟の陰に隠れるつもりは毛頭なく、弟のキャリアの詳細を熱心に知ろうともしなかった。よって、弟の対戦相手がどんな選手であろうと、彼らの対戦成績や過去の事情についてもまったく知識がなかった。   


  冷静沈着で紳士でスマートで華麗なるロジャー・フェデラーは、両親でさえ手のつけられない乱暴者の悪ガキだった!こんな悪ガキが家の中にいたらイヤだよなあ。ところで、フェデラーが家の中でところかまわずラケットでボールを打ちまくり、家具や調度を破壊し尽くしたというくだり、何かを思い出しません?

  そう、ナイキのあの大爆笑CMです。フェデラーが家に帰ると、なぜかコーチがタンスの中から飛び出してきて、フェデラーとボールを激しく打ち合って部屋中を破壊しまくり、最後にフェデラーがタンスにフォアの強打でボールを打ち返し、コーチごとタンスを倒して壊してしまうというオチ。あれはフィクションではなく、事実に基づいた(?)内容だったんですね(笑)。

  あと、フェデラーのお姉さんであるダイアナさん(←リネットさんにそっくり)に関するくだりでは、母リネットさんの賢明さが際立ちます。

  多くの場合、両親は才能のある子どもにばかり目を向けて、他の兄弟姉妹のことは気にかけなくなります。シュテフィ・グラフ一家はその典型例です。グラフの両親は娘のシュテフィを溺愛し、シュテフィの弟はテニス選手として大成できず、他の職業に就いて自立もできず、結局はシュテフィ・グラフの名ばかり「マネージャー」として、姉の後につき従い、姉の収入に依存して生きる結果となりました。

  フェデラー母リネットさんと姉ダイアナさんが、フェデラーの試合中にさっさと旅行に出かけてしまったというエピソードには爆笑でした。まさに、この家族にしてこの子あり。家族のそれぞれが自立し、互いに適切な距離を保つことがいかに大事かがよく分かります。

  そういえば、選手である息子/娘の試合にいつでもどこでも駆けつけ、一家揃って応援している家族がいるけど、彼らは何の仕事してるんだろうか?20代の選手の親とかなら、まだ働き盛りの年齢だろうに、もし無職とかで、息子/娘の収入で生活してるんだったらイヤな話だなあ。

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