Dancing Across Borders

  昨夜、テレビをザッピングしてたら、東洋系の青年がバレエのレッスンをしているシーンが映ったんで、そのまま観ました。TOKYO MX テレビの「松嶋×町山未公開映画を観るTV」(金曜夜11:30~12:30)で、日本で公開されなかったドキュメンタリー映画を詳しく観ていく番組です。

  映っていたのは“Dancing Across Borders”というアメリカ映画で、今週と来週と2回に分けて紹介されるそうです。もうDVDが出ている映画なので、もちろんネタバレあり。

  この“Dancing Across Borders”はすごく面白くて、日本で限定上映の形でも公開されなかったのは不思議としかいいようがないです。「小さな村の小さなダンサー」が公開されるんなら、“Dancing Across Borders”も公開されてもよさそうなもんですが。

  この映画はドキュメンタリー映画なので、出演はもちろん当事者たちです。バレエを踊っていたのは、ソクディナラ・サール(Sokvannara Sar)、愛称は「シー(Sy))」というカンボジア出身の青年です。

  番組(映画)を観ていくうちに驚いた。このシーは、カンボジアの寺院で民族舞踊を踊っていたところ、バレエの後援者であるアン・バスに、バレエ(!)の天賦の才能を見出されて、アメリカに連れて来られます。

  シーはバレエをやったことがなく、英語もまったく分からない。ニューヨーク・シティ・バレエのプリンシパル、ピーター・ボールは、まず自分がバレエの動きをやってみて、シーに真似させます。すると、バレエをまったくやったことがないシーは、不完全ながらもその動きをこなしてしまい、ボールやバレエ・マスターたちを驚愕させます。

  しかし、シーはもう16歳で、いくら天賦の才能があるとはいえ、これからバレエを始めるには遅すぎる。みなはそう判断します。それでも、シーを見出したアン・バスは、シーにロシア人バレエ・マスターの個人レッスンを2年間受けさせます。

  シーがバレエを始めて1年後の映像を観て私もびっくりしました。バレエの技がもうあらかたできているのです。映画は2年後、3年後、4年後とシーの成長を追っていきます。シーは18歳でスクール・オブ・アメリカン・バレエに入学、卒業します。シーがバレエを始めて4年経ったころには、シーはもう数分のソロの踊りを通しで踊れるようになっており、バレエ学校の卒業公演では、バランシン振付の「クープランの墓」でメイン・パートを踊ります。

  そして、バレエを始めてからたった6年で、シーはヴァルナ国際バレエ・コンクールに参加することになるのです。

  “Dancing Across Borders”には 公式サイト があります。それから、ソクディナラ・サールはパシフィック・ノースウェスト・バレエを経て、現在は スザンヌ・ファレル・バレエ に所属しています。ちゃんとプロのバレエ・ダンサーになったんですね。

  映像から見る限り、ソクディナラ・サールは女性並みの柔軟な身体能力を持っているようでした。動きがとにかく柔らかくて軽いです。マッチョな硬さがありません。また身体を引き上げる能力が高いのか、半爪先立ちもファルフ・ルジマトフみたいにまっすぐです。爪先での動きもすごく細かくて、まだバレエを始めて5、6年しか経ってない人間の動きかこれが!?と驚かされました。

  来週の後編が楽しみです♪

  そうそう、ナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』は5月13日から公開だそうですね。これはぜひ観に行くつもりです。題名を聞いたときは、一瞬、山岸涼子の漫画「ブラック・スワン」の映画化かと思ってしまった(笑)。映画館で予告編を観ただけだけど、主題もなんだか似てますね。一個の人間のうちにある光と闇、的な。

  『ブラック・スワン』の予告編は、『英国王のスピーチ』を観に行ったときに観ました。『英国王のスピーチ』は、確かに面白くない映画ではなかったけど、アカデミー賞で賞を総嘗めにするほどの作品とは思えませんでした。去年はよっぽど映画が不作だったのでしょうか。

  ジョージ6世役のコリン・ファース、エリザベス王妃役のヘレナ・ボナム=カーター、言語療法士役のジェフリー・ラッシュの演技はすばらしかったです。でも、優れた俳優の無駄使い、と個人的には思いました。特に、ボナム=カーターは完全に役不足で、彼女ほどの女優ならもっと良い使いようがあったろうに。優れた俳優陣のおかげと、そして主人公が王様だったことで、辛うじて「名作」になったという印象でした。

  予告編を観て、「よく見りゃ似てるこの二人」。

   『ツーリスト』のアンジェリーナ・ジョリーと浅岡ルリ子。激似すぎ。   
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


時事ネタ

  最近、日常ネタが続いていますが、今回も時事ネタです。2月はバレエを観に行かなかったんです。だから話題がない(笑)。3月も特に興味をそそられる公演はないんですが、しいていえば新国立劇場バレエ団のトリプル・ビル(「ダイナミック・ダンス!」←なんちゅうダサいネーミングだ)が面白そうだから観に行こうかな。

  久々に興味深い事件が起きましたね。大学入試の問題の「実況中継」事件です。

  びっくりしたのは、京大をはじめとする各大学が開いた会見で、彼らがみせた異常にヒステリックな、みるからに物凄い怒りに燃えた反応、文部科学省がすぐに各大学に対策を講ずるよう指示したこと、警察が異様に迅速に動いたこと、ヤフーが早々に情報提供を表明したこと、マスコミが連日大騒ぎしていることなど、各組織が一致団結して「犯人」に対して共闘する姿勢でいることです。

  大学は国家に従順な人間を産出するがために、国家にとっては最も重要な下部組織なので、その大学の秩序が今回のように破られることは、つまり国家の秩序が破られることに等しく、今回の事件は国家の危機に直結する一大事であり、だからこそ国を挙げてパニックに陥っているのだ、と興味深く思いました。

  各大学の反応は別の意味でも興味深いものでした。大学の本質とされている「公正さ」、「公平性」といった要素は、実はまったくの虚偽です。でも彼らは絶対にそれを認めるわけにはいかないので、必死になって、公正さや公平性の体面を保っています。体面を保っている支柱はいくつかあって、その一本が入学試験です。

  その大事な支柱が簡単に折られ得ることが分かったので、彼らはあんなに怒っているのです。怒っているというより、恐慌状態に陥っているのです。同時に、この事件を逆利用して、世間とそして自分たち自身に向けて、「大学は不正を絶対に許さない、公正かつ公平な聖域である」とがむしゃらにアピールしているわけです。

  また、問題を実況中継した人は、大学がやはり必死に保とうとしている「権威」というものを、あっさりと無視して打ち破ってしまいました。

  この人は結果的に、今の日本の大学が持っているあらゆる虚構への攻撃に成功しました。

  「学校制度は仮借ない心理的野蛮さをもって、すべての生徒たちに全面的な判決と最終的な宣告を下すのです。こうしてすべての生徒たちは試験の成績、それも今日では数学の成績が最優先する、そしてもっとも有名な国立行政学院とか理工科学校とかが最上位を占める、優劣の単一のヒエラルキーに組み込まれるのです。この序列から排除された生徒たちは、共同体によって認知され承認された基準、したがって心理的に反論の仕様がないし、事実反論されることがない基準、つまり知能という基準の名において断罪されるわけです。脅かされたアイデンティティを取り戻すために彼らに残された唯一の逃げ道は、学校秩序および社会秩序との暴力的な断絶だけです。もう一つの逃げ道は心的な危機、つまり精神病とか自殺です。」(ピエール・ブルデュー「エリートと学歴資本」)

  上の文の中の「国立行政学院」、「理工科学校」をそれぞれ「東京大学」、「京都大学」とかにおきかえてみれば、今回の事件が理解できる気がします。  

  ひとつ心配なのは、端から受かるつもりなどなく、いたずらでやったことならいいのだけど、ああいうことをしてまで受かりたかったのなら、かなり気の毒です。

  各大学の、凄まじい復讐心を露わにしたあの反応をみる限り、いずれ誰がやったのかが特定されたとき、ひょっとしたらその人はこの先、どこの大学にも受からないかもしれません。大学同士で情報を「流出」させてね(笑)。そのぐらい陰険で凶悪なことは、大学という組織ならやるでしょう。大学は本来、そういうところだと思います。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »