新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』-4


  一人になって憂いに沈む王子の前にリラの精が現れます。リラの精と王子との対話もすべてクラシック・マイムで行われました。嬉しいことです。イーグリング、ありがとう。

  それから眠るオーロラ姫の幻影が現れ、心奪われた王子はオーロラ姫と踊ります。イーグリングは、オーロラ姫の幻影と王子が踊るなんて非現実的な設定なので演出を修正した、っぽいことを述べていましたが、すみません、私にはどこをどう直したのか分かりませんでした。他の『眠れる森の美女』と変わらない演出に見えました。

  ここはリラの精と妖精たちを挟んで、オーロラ姫(の幻影?)と王子が踊ります。妖精たちの衣装が衝撃的でした。明るい緑のチュチュで、スカート部分がデカい葉っぱの重層構造になっていました。頭にも同じ緑色の葉っぱをかぶってたような?クリスマス・ケーキの上によく載っている、飾り物のあの葉っぱにそっくりです。まー、クリスマスが近いといえば近いからねえ。イギリスでは、11月はもうクリスマス・シーズンだしね。

  この超明るい緑の葉っぱのチュチュ軍団が、くすんだ灰色の地味で暗い舞台の上で目立つ目立つ。端的にいえば、色的に合ってないっちゅ~ことですが。葉っぱ軍団の衣装が浮きまくりになることは、衣裳デザインのトゥール・ヴァン・シャイクは当然分かっていたはずなので、よく分かりませんけど何かしらの意図があるんでしょう。分かったところで理解不可能な意図でしょうが。

  オーロラ姫の米沢唯さんの衣装は、うすいみずいろにぴんくやあおのちっちゃいおはなのもようがたくさんついたかわい~のでした。まるでガキが着るパジャマ柄。米沢さんが気の毒すぎる。ヴァン・シャイク、ロリコン決定。

  衣装の衝撃度の大きさのせいで、米沢さんとムンタギロフの踊りがどうだったのか、ほとんど覚えてません。でも、普通に良かったのだろうと思います。ひどければ記憶に残るはずなので。

  リラの精が王子をともない、眠るオーロラ姫の許へと案内します。リラの精と王子が乗り込む銀色の白鳥のゴンドラが登場。これが非常に大型で重厚な造りのゴンドラでした。

  これが動くわけですが、私は最初、これはよくある片面張りぼての装置で、舞台の奥を人力でまっすぐに横切るだけだろうと思っていました。ところがびっくり、ゴンドラは舞台上をぐる~り、とゆっくりS字走行したじゃありませんか!

  このゴンドラは片面張りぼてではなく、両面造り、つまり完全に舟の形をしている、遠隔操作で動く機械装置だったのです。英国ロイヤル・バレエ団が現在使用しているゴンドラと基本的に同じものです。一場面でしか使わない装置なんぞにカネかけんな、と言いたいところですが、正直言って感心してしまいました。装置のゴージャスさも大事なんですね。

  特に、リラの精と王子が旅するこのシーンはかなり長く、その間に踊りは設けられていません。ですから、どうしてもゴンドラや移り変わる周囲の風景といった舞台装置が「見どころ」になるわけです。

  デヴィッド・ビントリーが舞台装置によるエンタテイメント性を重視していることは、『美女と野獣』、『アラジン』、『パゴダの王子』などで明らかなわけですが、同じイギリスのバレエ界で活動してきたウェイン・イーグリングも、バレエといえど装置も舞台を構成する重要な要素、と考えていることが分かります。このあたりは、ロシア系のバレエ団、ボリショイやマリインスキーでさえも、舞台装置をさほど重視していないらしいこととは対照的です。

  王子がオーロラ姫の眠る城にたどり着き、リラの精とともにカラボス率いるコウモリ軍団と戦います。リラの精とカラボスとの直接対決で、リラの精が劣勢になったりしていたのが面白いと思いました。でも、そこでたとえば王子の愛の力とかでカラボスをはねのけるとか、演出にもうひと工夫ほしかったところです。王子もカラボスにはかなわなかったみたいなのに、結局、勝敗はどうなったのかが曖昧なまま、カラボスとコウモリ軍団は退いてしまいました。

  オーロラ姫の様子を見た王子が「彼女は眠っています、どうしたらよいのですか!?」とリラの精に助けを求めるマイム、リラの精が「自分でよくお考えなさい」と諭すマイム、王子がしばらく考えた後に「口づけをすればいいんですね!」と思いつくマイム、これらもちゃんと残してありました。ここまではありがとう、イーグリング。

  でも、こっからまた不満です。王子がオーロラ姫にキスして、オーロラ姫が目覚める「目覚めの音楽」が削除されていました。あの明るい音楽のおかげで、観ている側も気分が晴れやかになるといいますか、強い開放感を抱くわけです。ところが、あの音楽がないおかげで、私はフラストレーションを感じました。公演によっては、この音楽による目覚めの場面で、観客の間から拍手が起こったりするのですから、やはりこの目覚めの音楽は大事だと思います。それを削除したのはいかがなものかと。

  目覚めの音楽の代わりに始まったのが、今ではほとんど演奏されない『眠れる森の美女』間奏曲。長いヴァイオリンのソロがあるあれね。あの間奏曲に合わせて、王子とオーロラ姫が踊り始めました。「目覚めのパ・ド・ドゥ」(注:勝手に命名)らしいです。オーロラ姫はチュニック・タイプの白いネグリジェを着ています。

  オーロラ姫の衣装が白いチュニック・ドレスだったせいで、余計にそう見えたのかもしれませんが、このパ・ド・ドゥは、ケネス・マクミラン版『ロミオとジュリエット』の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」にそっくりでした。気のせいではなく、イーグリングの振付も明らかにケネス・マクミランの影響を強く受けていると思います。

  イーグリングの振付による、この余計なパ・ド・ドゥのおかげで気づくことができました。『眠れる森の美女』の振付は、全体として形がかっちりと決まっているのです。踊りが同じ様式で統一されているのです。形や様式の異なる振付を一部に混ぜてしまうだけで、全体の形と統一感が崩れるのです。だから改訂振付や追加振付をする人々は、原型を壊さないよう、似たような動きの無難な振付にとどめるか、さもなければ原型をあえて壊して、まったく新しい振付を試みる(マリシア・ハイデ版、スタントン・ウェルチ版など)しかないのでしょう。

  イーグリングが新しく振り付けたこのパ・ド・ドゥは、マクミラン版『ロミオとジュリエット』の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」を想起させるだけで、振付の上で見るべきものは何もないように感じました。演出の上でも特に必要な場面とは思えません。したがって、新演出としても、また追加振付としても大きな失敗だと思います。

  (その5に続く。今度こそ次で終わります。)

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