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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

人は戦争を裁くことができるか

2017年11月04日 21時26分02秒 | えいこう語る

▼昨年の12月、私は手術を前にし、点滴だけの生活を送っていた。体重が50キロ台に落ち、気持ちも少し落ち込んでいた。その時観たのがNHKスペシャル「東京裁判」だ。熱心に観たつもりだが、手術が終わると安心したのか、内容を忘れてしまった。

▼先日、再放送を観た。体調も完全に戻っていたので、よく理解できたつもりだ。「健全な精神は健全な身体に宿る」というが、多くの憲法学者が、アベ総理の憲法解釈が間違っているというのは、アベ総理の病気「潰瘍性大腸炎」は、完治していないのではないかと考えてしまう。そういう私も「アベシンドローム」という、立派な精神病の一種に違いない状態だが。

▼テレビ東京裁判のテーマは「人は戦争を裁くことができるか」だ。当時の世界情勢の中で、始まった戦争だが、私は単純に考えて、誰に責任があるということではないような気がした。天皇、政治家、軍人などは、戦争の先頭に立っていたので、責任はないとは言えないが、報道機関も国民も、一丸となって行ったのが先の戦争だ。この裁判では「侵略の罪」は問われ「人道に対する罪」は適用外となった。

▼裁判で、特に印象に残ったのが、オランダのレーリンク判事だ。法を捻じ曲げないで正しく解釈することを主張し、法以外の付けたしの解釈で、人を裁いてはいけないと訴えた。さらに、インドのパール判事は、当時の植民地主義政策は世界の主流だったので、当時の国際法では、裁判で罰することができないとし、被告全員の無罪を主張した。

▼当時の我が国の国家主義者たちは、パール判事が日本に味方してくれたと解釈しているようだが、あくまでも、当時の国際法の法令順守の精神を、法律家として真っ当に解釈したからではないかと思う。

▼アベ総理なら、国家国民を守るためなら、自衛のための戦争は許されるとするので、我が国に経済制裁を加え、戦争に駆り立てたのは米国だとし、戦争で勝ったものだけが、正義を主張するのはおかしいと考え、喧嘩両成敗で、罪にするのもしないのも、同じでなければならないという考えではないかと思う。つまり、自衛のためのやむなき戦争で、日本には戦争責任者はいないという考えに違いない。

▼さらにアベ総理は「世界から戦争はなくならない。資源の乏しい国は、自国防衛のためには強力な軍隊を持たなければ、抹殺されてしまうので、現憲法を改正し、世界と同列の軍事国家でなければ、生きていけない」というのが、アベ総理の『美しく強い国日本』の姿なのだろう。これでは北朝鮮の若大将と、同じ考えのようだ。

▼首相になる前のアベさんは「日本国憲法は自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているのではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ」と発言していると、学習院大学の青井未帆教授は「政治が越えていけない一線がある、それが立憲主義です」という文章の中で、記述している。

▼アベ総理は立憲主義をまったく間違って解釈しているのだ。だから、日本国憲法前文すら、解釈ができないのだ。もし、現憲法を大学で教授から教わった通り理解しながら、それを恣意的に改竄しようとしているなら、世界最高レベルの憲法ペテン師なのだ。

▼私の病気「アベシンドローム」は、この辺で終了しなければ、救急車を呼ぶはめになりそうだ。最後に国立国会図書館の壁に明記されている、現憲法制定時に尽力された国務大臣、金森徳次郎氏の言葉を引用したい。『真理が我らを自由にする』という言葉だ。憲法とは、人間生活に一番大切なものという意味のようだ。

▼戦争の放棄を謳った新憲法成立の夜、金森氏の自宅に見知らぬ青年が「ビールとスルメ」を持参し、深々と頭を下げて帰ったと、金森氏の家族が語っている。新憲法の成立がどれほどうれしかったのか、この出来事が物語っている。

▼真理を見る心を失ったアベ総理に、5日会いにくるのは、世界で最も真理なき人物といわれる、博打王トランプ米大統領だ。以前、小泉元大統領は、ブッシュ大統領の前で、プレスリーの「♪ラブ・ミー・テンダー」を歌い、親米感情を示した。そのお返しに、トランプ大統領は、博打法と呼ばれるIR法を推奨するため、プレスリーの映画の題名と同様の主題歌「♪ビヴァ・ラスベガス」を熱唱する、そんな気がしてならない。

▼私は若い頃、この映画の主演女優、アン・マーガレットの大フアンだったのが、今日のブログを書かせているのかもしれない。