▼今は函館市に吸収合併されたが、北海道旧椴法華村が私の故郷だ。昭和20年代、当時の小学校校長の教え子が、第41代横綱に昇進したというので、敗戦後の小さな漁村を元気づけるため、小学校グランドに土俵が作られ、横綱千代の山が来村した。
▼周辺の町からも、船で観客が押し寄せ「満員御礼」の如き写真が、我が家にも残っている。当時、私は小学未就学児だったので、その記憶は皆無だが、私の家には、行司木村庄之助が宿泊している。そんな歴史が、私を相撲フアンにさせた要因かもしれない。
▼大相撲九州場所11日目の22日。全勝街道まっしぐらの、横綱白鵬と関脇嘉風の対戦である。相撲が嫌いな妻も、偶然テレビを観ていた。妻の相撲嫌いは、父親が青森県出身で、初代若乃花の大フアンだった。ラジオ放送の時代で、若乃花の取り組みの時、ラジオの前を通り過ぎただけで、こっぴどく叱られたという。それが理由で、相撲が嫌いになったというのも少しはあるようだ。
▼その妻も、白鵬の土俵態度に怒り狂った。「なぜ、相撲取りが審判や行司に注文付けているの」。相撲フアンでない妻もそう感じたようだ。ましてや全国の相撲フアンなら、どんなに怒っただろうか。
▼昨夜の夢で、私は土俵の上にいた。私は木村庄之助になっていたのだ。審判に「待った」を要求し、土俵になかなか上がらない白鵬に対し、立行司の私は懐の短刀を引き抜き、白鵬に渡したのだ。会場が水を打ったように静まり返る。自分の行動をやっと理解した白鵬は、土俵の真ん中に正座し、おもむろに短刀を抜いた。・・・昨夜の夢はそこまでだった。
▼白鵬の人格の解剖だ。モンゴル相撲あっての日本相撲協会であり、協会よりモンゴル部屋が、今や勢力が上だと勘違いしているのだ。相撲界のしきたりも十分会得し、成績も史上最上位の白鵬。「心・技・体」の技と体は十分だが、心を「神」と間違えているようだ。相撲は神事とされ、神社に奉納土俵入りが行われる。日本相撲界最高位に位置する白鵬は、自らを神に一番近い人間と考え【神・技・体】と解釈しているのではないだろうか。
▼つまり、協会の理事長は組織の最高責任者ではあるが、自分はそれを超えた神のような存在で、国技である相撲界の、象徴的存在だと勘違いしているのだろう。「心」を「神」と思い込む、罰当たりな考えだ。
▼目覚めたのは午前4時頃だったが、二度寝をしないよう本を読んだ。もし二度寝をしたら、私が理事長になっていて、暴行現場にいた、白鵬も日馬富士も鶴竜にも引退を勧告し、ついでに、自己管理ができない、稀勢の里にも引退を勧告する夢を見たに違いないからだ。