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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

芸術的造形物

2016年11月12日 12時25分05秒 | えいこう語る

 

私の考えだが、優れた芸術品とは、鑑賞する者に人間として生きる上での大切なことを語りかけることができる作品が、優れた作品と思っている。だが、鑑賞する者が、はたして作品が語ることを適格に理解するかは、別な話だ。例えば美術館に出かけ、ある作品の前で立ち止まってしまうことがある。その作品は、なにか自分に語りかけているような気がするからだ。その作品と向き合って会話するのが、鑑賞者の楽しみなのだろう。

私の身近にある優れた芸術品とは、北海道で最初の国宝となった縄文時代の土偶『中空土偶』だ。会いたいと思えば、車で20分の縄文交流文化センターの地下にいる。入場料は函館市の条例で、高齢者に属する私は150円なので、会うことには金銭的な抵抗がない。私が考えた唯一の縄文語で、心の中で感謝の意を表している。「ジョウモンアリガトウゴザイマス」だ。

中空土偶は、極度に発展した文明社会にいる私たちが、忘れ去ろうとしている人間の善のようなものを、語りかけてくれる。もちろん言葉を発するわけではないが、ただ「あなたが正しいと思うことが、正しいに違いない」と、そんな言葉を発している気がするからだ。

この土偶が発見されたのは、今は合併し函館市になっている、旧南茅部町だ。国宝の展示施設を計画していたが、合併特例債を使うことで、計画より数億円立派な施設ができた。合併のおかげだという声が聞こえてきたので、新聞の「読者の声」欄に投稿したことがある。「土偶は、立派な住まいを作ってもらい、自分は縄文人から弥生人になってしまったのではないか」と、思っているのではないかという内容の記事だ。

後で知ったが、縄文フアンのあるグループでは「待望の施設ができたのに、水を指す内容だ。一方、縄文時代の精神を傷つける行為をしてはならないという、戒めではないか」という声が出たという。人それぞれの考えは遮ることはできないが、中空土偶は現在の私たちになにを語っているのかということを、正確に捉える心を養うことも、縄文を学ぶ大切な要素のように感じる。

小樽にある「海猫屋」という店(飲食店)が、10月で閉店したのを新聞で知った。レンガ造りの倉庫のような建物を、蔦が覆っている。中は昼でも灯りが必要な薄暗さだが、函館同様に栄えた港街の雰囲気をたっぷり残している、まちの歴史を語ってくれる芸術的造形物だ。歴史ガイドの説明より、このまちに魅力を感じて訪れる旅人に、走馬灯のようにまちの歴史を物語ってくれる存在だ。

ただの老朽化した建物ではなく、小樽の歴史の生きた語り部なのだ。このような存在は、文化財として保存する価値はおおいにある。小樽も古い港町なので、旧態依然とした行政がはびこり、そこに若い体制が立ち上がったが、様々な反対があり、行政運営は芳しくないというのが報道されている。

小樽にとって、残さなければならないものはなにか、捨てるものはなにか。行政が混乱していて、本末転倒になっては、小樽の歴史にも傷を付けることになるのではないか。私は。港小樽といえば『海猫屋』思い出す。JAZZが静かに流れ、ニシン漁で栄え、キャバレーに集う漁師たちの笑顔が浮かんで来て、故き良き小樽のまちが蘇ってくる。それは、私が子供の頃見た、戦後の函館とよく似ているからだ。

海猫とはカモメのことだが、北海道ではゴメと呼ばれる。私には、ゴメを歌う北原ミレイさんや故浅川マキさんの歌声が、このまちの片隅から聞えてくるのだ。そして、中空土偶が発掘された南茅部町の詩人、竹中征機さんのあのゴメの詩もだ。

 

あれはごめだべ あの空のまん中を 飛び去るのはごめだべ 生きているものは空を飛んで 死んだものは空を飛ばない・・・・・・・飛ぶ しろいものはごめだべ   ふるさとの 腹の空いたごめだべ。


私はこの詩は、中宮土偶が竹中氏を通して、私たちに語りかけた縄文のメッセージだと思うからだ。

港小樽の「海猫屋」。小樽のまちから、ゴメがまた一羽いなくなってしまったようで、なんだか寂しい平成28年の晩秋だ。