▼1964年(昭和39年)の東京オリンピックには、東洋の魔女が確かにいた。私もこの目で確かにみたからだ。戦後の焼け跡の匂いが、まだ東京のあちこちに漂っていた時代、日本の女子バレーが、まさかの金メダルを獲得したのだ。奇襲作戦の「回転レシーブ」は、私は、小型のゼロ戦が大空を縦横無尽に駆け巡り、敵を撃ち落とした勇姿にかせねてみた記憶がある。
▼だが、再びその東洋の魔女がテレビに現れた。2020年の東京オリンピック、まるでオリンピックが聖域でもあるがごとく、莫大な施設整備の建築費などが問題になっている。経済が疲弊して国民が悲鳴を挙げている現在、地方から見ると信じられないような、首都東京の無駄遣いに思える。東京だけではなく、近隣の既存の施設を整備し、使用したほうがいいのではないかと、考えている国民は多いのではないか。
▼だが“オリンピック・レガシー(遺産)”などといい、世界一立派な施設を整備し、後世に残そうとしているようだ。まさにオリンピックの精神的側面である「国威発揚」のみを前面に出した“アスリート・ファースト”だ。オリンピックの様々な施設の建設予算が、あまりにもでたらめな数字であるのは、私たちでも呆れ返る。そこで、小池知事は、経費の削減を打ち出した。
▼バレーボールの会場に、横浜の施設の使用を打ち出したが、バレーボール連盟は総力をあげ、有明アリーナの新設を要望している。「世紀のスポーツの祭典に、ケチケチするな」といっているように聞こえる。“アスリート・ファースト”とは、選手が主役ということではない。国民に尊敬される、スポーツマン・シップを発揮できて、初めてファーストと認められるのでないだろうか。
▼そして、1964年の東洋の魔女の生き残りまで参加させて、涙ながらの有明アリーナ新設の要請だ。兄や姉のお下がりをリフォームして、新品同様で着せようとする母親の心を踏みにじり「新しいのでなければ嫌だ」と、床に転げ回る子供のような気がしてならない。私なら、こんな競技など見たくもない。
▼「もったいない」という日本語は、世界から最も尊敬される言葉だ。「おもてなし」という言葉も、贅沢三昧をして歓待するということではない。身の丈でまごころを込めて接するのが、この言葉の本来の意味だ。
▼2020年の東京オリンピックは、「国威発揚」をボイコットし「もったいないとおもてなし」で、世界から信頼され尊敬される日本を発信してほしいものだ。そのためには開会式に、アベ総理と森元総理はいないほうが望ましい。もはや「東洋の魔女」も「東洋の魔男」も次期オリンピックには、必要ない人物だからだ。