元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ソウルの春」

2024-09-14 06:37:03 | 映画の感想(さ行)

 (英題:12.12:THE DAY )韓国映画の好調ぶりを改めて確認できる一本だ。特に本作のような、近現代史にスポットを当てた大掛かりなシャシンでは、まさに正攻法のアプローチに徹して弛緩する箇所は見当たらない。これがもしも現時点で日本映画が似たようなネタを取り上げたならば、演技面で難のある“若手タレント”が少なからずキャスティングされて感心しない出来になったことだろう。

 1979年10月26日、独裁者として悪名が高かった韓国大統領が側近に暗殺される。国民は民主的な政治体制に移行することを望んだが、暗殺事件の捜査責任者のチョン・ドゥグァン保安司令官は、次は自分が大統領の座に就いて強権を振るうことを望んでいた。彼は陸軍内の有志団体“ハナ会”の将校たちを引き連れて同年12月12日にクーデターを起こす。これに対して首都警備司令官イ・テシンは、事態を正常化すべくチョン・ドゥグァンの一派に敢然と立ち向かう。

 70年代末に発生した監督の政変を、フィクションを交えながら映画化。本国では2023年で最大のヒット作になった。史実ではわずか9時間ほどの攻防だったらしいが、迫真性は高い。もっとも、鎮圧側の具体的な動きについては正確な資料が見つかっていない。そこで監督のキム・ソンスをはじめとするホン・ウォンチャンとイ・ヨンジュンによるシナリオ製作陣は、いかにも“それらしい”話を構築させている。そして、それは成功していると言って良い。

 チョン・ドゥグァンが抱える微妙な屈託と、それに呼応する“ハナ会”の連中の理屈では割り切れない同属意識。もちろん、高潔な軍人として知られるイ・テシンの矜持は確かなものだが、言い換えればそれは軍律を遵守しているだけの堅物と片付けられる隙を見せている。後半、チョン・ドゥグァンが38度線に展開している空挺部隊をソウルに呼び寄せるくだりは、いかに彼らが国益よりも権力欲に囚われているがが活写され、しかもそれが当然のこととして扱われることを目撃するに及び、一面的な見方を拒否するほどの複雑系の有り様に感心するしかないのである。

 キム・ソンスの演出は強力で、次から次へとヘヴィなモチーフを畳み掛けてくる。まさに息もつかせない。主役のファン・ジョンミンとチョン・ウソンをはじめ、イ・ソンミンにパク・ヘジュン、キム・ソンギュン、チョン・マンシク、チョン・ヘインなど、大半がオッサンのキャストも相まって、求心力は高まる一方だ。それにしても、韓国が民主制に回帰するまでにそれから長い時間を要したことは、このエリアが抱える地政的状況の複雑さを痛感せずにはいられない。
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「天守物語」

2024-09-13 06:29:33 | 映画の感想(た行)
 95年松竹作品。公開当時に“歌舞伎も知らず泉鏡花も読まない連中の場違いな批評なんて気にする必要はない”ということを、某雑誌で某評論家が書いていたようだが、こんなことを平気で言う者は映画を軽んじた能天気な御仁だったのだろう。歌舞伎も鏡花も知っていなければこの映画を観る資格はないとでも言いたいのだろうか。歌舞伎の“カ”の字も知らない観客をも圧倒させるような娯楽性を獲得しようとするところに、映画の存在価値があるのではないのかな。

 さて、5代目坂東玉三郎の3作目の監督作(ちなみに第1作は91年製作の「外科室」で、2作目は93年の「夢の女」)は初めて自身が出演し、泉鏡花の戯曲を映像化している。魔性のものが棲む姫路城の天守閣の主・富姫(坂東)と若侍(宍戸開)の関係を描く。



 94年の上演版を忠実になぞったとのことだが、大部分は舞台版とやらにおんぶに抱っこのものでしかないと想像する。これは舞台の再現に過ぎず、映画としての発想も工夫も何もない。舞台版を観ればこの映画の存在理由はないと思われる。いわば舞台版の宣伝用フィルムではないか。

 それにしても、セリフまわしから演技まで、これほど映画と合っていない内容も珍しい。映画を見慣れている人なら、一見して“こりゃおかしい”と思うはずだ。舞台らしい展開や仕掛が、映画の面白さとして何も機能していない。言い換えれば、これを見ておかしいと思わない作者の神経が映画向けでないのだ。

 とにかく、作者には“小津安二郎監督の歌舞伎のドキュメンタリー映画でも見て勉強したら?”とでも言いたくなった。脇を固めるはずの宮沢りえや隆大介も、何やら手持ち無沙汰な感じだ。なお、本作の評判が芳しくなかったことからか、玉三郎はこれ以降は映画演出から手を引いている。賢明な判断だったと言うべきかもしれない。
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「フォールガイ」

2024-09-09 06:21:23 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE FALL GUY)とても楽しめた。スタントマンを主人公に設定すると、当然のことながら映画の裏事情をネタとして採用しなければならない。だからストーリー作成に関するハードルは高いのだ。本作はそのあたりが上手く処理されていると同時に、アクション・コメディとしても水準をクリアしている。もっとも、洋画後退のトレンドの中にある日本の興行界では大ヒットは望めないと思うが、この明るい雰囲気はサマーシーズンの番組としては適切だ。

 腕の良いスタントマンのコルト・シーバースは、撮影中の事故によるケガのため一線を退いていたが、ようやく回復し復帰作の現場に赴く。そこで監督を務めていたのは元恋人のジョディ・モレノで、いまだにコルトは彼女に未練がある。そんな彼にプロデューサーから突き付けられたオーダーは、突如失踪した主演俳優トム・ライダーを探すことだった。仕方なくトムの行方を追うコルトだが、図らずもヤバい事件に遭遇してしまう。



 80年代のテレビドラマ「俺たち賞金稼ぎ!! フォール・ガイ」の映画版だということだが、私は元ネタは知らない。だが、それでも本作の理屈抜きの興趣は十分伝わってくる。基本的には、元カノに未練たらたらの野郎がヨリを戻すため奮闘するという単純かつ普遍性の高い話だ。その設定を映画製作のバックステージ物に放り込み、いろいろとエゲツないモチーフを(ライト路線を保ったまま)散りばめるという方向性は正しい。これならばスタントマンという主人公の造型の特殊性が薄まり、平易な面白さを獲得できる。

 それでも、ハリウッドの映画作りの阿漕と思われる点は大々的にフィーチャーされている。まず、クランクインしているのに主役がいないというシチュエーションは呆れるが、これには観客を納得させるだけの“事情”が用意されており、そこにコルトが巻き込まれる筋書きに不自然さがあまりない。

 しかも、主人公が被った事故の“真相”も実に怪しいというネタまである。撮影現場は賑々しいがどこか隙間風が吹いており、この程度のシャシンでも客は十分呼べると踏んでいる製作会社の夜郎自大ぶりも強調される。アクション場面は大味ながら、観る側に突っ込むヒマを与えないほど畳み掛けてくる。クライマックスはもちろんロケ現場の“特徴”を活かしたコルトの大活躍だ。

 監督のデイヴィッド・リーチもスタントマン出身だけあって、見せるツボを心得ているように思う。主演のライアン・ゴズリングをはじめ、ジョディ役のエミリー・ブラント、さらにウィンストン・デューク、アーロン・テイラー=ジョンソン、ハンナ・ワディンガム、テリーサ・パーマー、テファニー・スーら脇の面子も良い仕事をしている。
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「ザ・ユニオン」

2024-09-08 06:38:31 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE UNION )2024年8月よりNetflixから配信。あまりにも脳天気なスパイ・アクションで、観ていて笑ってしまった。しかしながら主要キャストは有名どころを起用している。スタッフやキャストとしては、いわゆる“歩留まりが高い”仕事で、ヘタに劇場公開用の大作に出るよりも実入りが良いのかもしれない。確かに、本作を映画館でカネを払って観たら腹も立つだろうが、配信ならば許せてしまう。気軽に接すればそこそこ満足出来る内容だ。

 ニュージャージー州の田舎町に住むマイク・マッケンナは、中年ながら独身の建設作業員だ。人当たりは良く友人も多いが、何となく張り合いの無い日々を送っていた。そんなマイクの前に、高校時代の恋人ロクサーヌ・ホールが突然姿を現す。喜ぶ彼に彼女はいきなり鎮静剤を打って眠らせ、彼を拉致してしまう。

 マイクが目覚めたのは、ロンドンにある国際スパイ組織“ザ・ユニオン”の本部だった。この“ザ・ユニオン”は各国の情報部も手を焼く凶悪な陰謀を潰すために結成されたシンジケートだが、最近思わぬトラブルから多くのエージェントを失ったため、マイクを組織にスカウトしたのだ。マイクは戸惑いながらも、そのオファーを引き受ける。そして2週間の過酷な訓練の後、危険な任務に挑む。

 いくら建築の仕事で高所作業とバランス感覚に優れているとはいえ、ズブの素人であるマイクが2週間程度でスパイの荒仕事をこなせるわけがない。しかも、相手は人の命など何とも思わない国際的な経済ヤクザやテロリストどもだ。もちろん、手向かう奴は容赦なくブチ殺していかないと“ザ・ユニオン”の任務は達成できない。ニュージャージーの大工が容易くそこまでフッ切れるはずがないだろう。

 だが、ジュリアン・ファリノの演出は明朗そのもので、活劇場面は派手に盛り上がる。加えて、主演がマーク・ウォールバーグとハル・ベリーだ。そんな御膳立てならば、何も考えずに最後まで観ていられる。深く突っ込むのも野暮だとも思えてくるのだ。

 そして思わぬ黒幕(という割には意外性は希薄 ^^;)との大々的なバトルになる、舞台をイタリアに移しての終盤部分は、観光映画も顔負けの美しい映像をバックに展開し、観ていて得した気分になってくる。ジャッキー・アール・ヘイリーにJ・K・シモンズ、ロレイン・ブラッコといった脇の顔ぶれも多彩だ。ラストは何やら続編の製作も匂わせるが、本作同様に配信専用でコンバクトな尺に収めてくれれば、またチェックするかもしれない。
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「ディヴォーション マイ・ベスト・ウィングマン」

2024-09-07 06:25:16 | 映画の感想(た行)
 (原題:DEVOTION)2023年1月よりNetflixから配信。アメリカ海軍初の黒人パイロットと、彼の僚友である白人パイロットとの友情を描く実録映画。これは出来れば映画館のスクリーンで観たかった。それだけ映像に訴求力がある。正直、作劇は上出来とは言い難いが、某「トップガン」シリーズとは違って不自然な展開が見られないだけでも数段マシだ。

 1950年、ロードアイランド州のクォンセット・ポイント海軍航空基地に赴任したトム・ハドナー大尉は、同僚となるジェシー・ブラウン少尉と出会う。ジェシーは米海軍初の黒人パイロットで、腕は確かだが日頃から人種差別に悩まされていた。最初はぎこちなかった2人の関係だが、訓練を通して互いの距離を詰めていく。やがて朝鮮戦争が勃発し、彼らが属する機動部隊は日本海に展開。北軍に占拠された半島のエリアを奪還するという、困難な任務に挑む。



 上映時間が約2時間40分というのは、このネタでは長すぎる。そもそも、余計なシークエンスが多い。代表的なものは主人公たちがフランスのカンヌに寄港して、そこで人気女優と知り合った後にカジノ会場に繰り出すあたりや、そこで他の部隊員と一悶着起こすシークエンスだ。こんなのは丸ごと削って構わない。ジェシーの家族とトムとの触れ合いも、タイトに切り詰めて良かった。

 しかし、それら難点があっても本作には魅力がある。それはまず飛行シーンの素晴らしさだ。トムたちが搭乗するのは、F4Uコルセアというレシプロ単発単座戦闘機である。これが見た目が実にカッコ良く、前半に編隊を組んでロードアイランド州の海岸沿いを飛行する場面の美しさは特筆ものだ。空母への着艦場面もスリリングだし、朝鮮での空戦シーンは手に汗握る迫力だ。

 加えて、終盤近くの展開は戦争の悲惨さが強調され、忘れられない印象を残す。またエピローグではハドナー家とブラウン家の交流は今でも続いていることが示されて、胸が熱くなった。J・D・ディラードの演出は冗長な部分もあるが、全体としては及第点だろう。

 主演のグレン・パウエルとジョナサン・メジャースは好調。クリスティーナ・ジャクソンやダレン・カガソフ、ジョー・ジョナスといった他のキャストも万全だ。なお、カメラマンは現時点でアメリカ人の撮影監督ではトップクラスの実力を持つであろうエリック・メッサーシュミットで、ここでも流麗な仕事ぶりを披露している。
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「ぼくの家族と祖国の戦争」

2024-09-06 06:21:47 | 映画の感想(は行)
 (原題:BEFRIELSEN)これはかなり厳しい映画だ。第二次大戦中のエピソードの一つを取り上げた実録物だが、それだけでも戦争の理不尽さをイヤというほど印象付けられる。特に、戦況とヒューマニズムの相克という価値観が揺れ動く事象を、ある一家の行動を中心に描くという方法論は出色だ。ロバート賞(デンマーク・アカデミー賞)の各部門にもノミネートされている。

 第二次大戦末期の1945年、いまだドイツに占領されていたデンマークに、敗色濃厚なドイツから難民が押し寄せてくる。地方都市ノルドフュンも同様で、当地の市民大学の学長ヤコブは大勢の難民を学内に受け入れるようドイツ軍司令官に命じられる。だが、困窮している難民たちを助ければ周囲から裏切り者と見なされるのだ。とはいえ、何とか援助してやらなければ多くの難民が飢えや感染症で命を落とす結果になる。そんな中、ヤコブの12歳になる息子セアンは難民の少女と仲良くなるが、彼女は感染病に罹り危篤状態になってしまう。



 誰だって、困っている人々が目の前にいれば助けたくもなる。しかし、それが“敵国”の構成員ならばどうか。もちろん難民には罪は無い。だが、一方から見れば戦争の当事者であろうが無辜の市民だろうが、“敵国”に所属していることに関しては同じなのだ。主人公の一家は純粋に人道的立場から難民を支援する。しかし、それを利敵行為だと即断してしまう者たちは圧倒的に多い。そんな道理の通らないことを形成してしまうのが、すなわち戦争というものなのだ。

 脚本も担当したアンダース・ウォルターの演出は力強く、ヤコブたちが被る過酷な運命をドラマティックに描出する。特に、病気の少女を抱えてヤコブとセアンが病院に急ぐシークエンスの盛り上がりは素晴らしい。そして何より、いわば“自国の黒歴史”とも言える出来事を堂々と取り上げた果敢な姿勢には感服するしかない。

 ヤコブに扮するピルウ・アスベックは、状況に苦悩しながらも正しいと思う道を決然と歩くキャラクターを力演している。妻のリスを演じるカトリーヌ・グライス=ローゼンタールのソフトな雰囲気も良い。子役のモルテン・ヒー・アンデルセンをはじめラッセ・ピーター・ラーセン​、ペーター・クルトといったキャストは馴染みは無いが、皆良いパフォーマンスだ。ラスムス・ハイゼのカメラによる深みのある映像も要チェック。
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「ノン・ネゴシアブル ソレは譲れない!」

2024-09-02 06:30:57 | 映画の感想(な行)

 (原題:NON NEGOTIABLE)2024年7月よりNetflixから配信されたメキシコ製のサスペンス編。チャラい邦題とは裏腹に、けっこう骨のある作品だと思った。なおかつ、筋立て自体が陰惨にも残酷にもなっておらず、鑑賞後の印象は悪くない。また、この国が抱える問題をも垣間見せているあたりもポイントが高い。

 メキシコシティの警察署に勤務するアラン・ベンデルは人質解放の交渉人としてキャリアを積んでいたが、精神科医である妻のヴィクトリアとの仲はしっくりいかず、小学生の娘との関係も万全ではない。ある晩、本署から彼に呼び出しが掛かる。愛人宅を訪ねた大統領が誘拐され、しかも偶然居合わせたヴィクトリアも人質になっているというのだ。早速現場になったマンションを取り囲む特殊急襲部隊と合流したアランだが、何と犯人はかつての同僚だったことを知り愕然とする。

 序盤で価値観が合わないアランと妻とのやり取りが描かれるが、これがけっこう笑わせてくれる。それでも彼は窮地に陥ったヴィクトリアを救うために奮闘するのだが、その段取りはスムーズで違和感が無い。犯人の行動は無謀だが、動機は決して欲得尽くのものではなく、それなりの“大義”があるというのが出色だ。

 庶民派をアピールして当選した大統領だが、実は裏で阿漕なことを多数やらかしており、国益を侵害している。事情を知る犯人はそれを明るみにするため、実行に及んだのだ。その真相が一つ一つ示されるプロセスは、スリリングでけっこう見せる。さらに、事件をもみ消すために現職の閣僚たちが大統領の口を塞ごうとするくだりは、驚き呆れるしかない。

 これだけの騒ぎにもかかわらず、無駄な血が流れることがなく良い案配で事が終息するという作劇の処理も見上げたものだ。解決後のエピローグはライトな扱いだが、背後にはメキシコ社会に存在しているであろう格差の問題をも炙り出して、手応えを感じる。

 フアン・タラトゥトの演出はテンポが良く、1時間26分というコンパクトな尺も相まってストレス無くドラマを見せる。主演のマウリシオ・オフマンは決して二枚目ではないが、悩みを抱えた中年男を上手く表現している。ヴィクトリアに扮するタト・アレクサンデルは好演で見栄えも良く、エノック・レアーニョやレオナルド・オルティズグリスといった脇の面子もイイ味を出している。
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“鴨池ダイエー”が閉店。

2024-09-01 06:27:12 | その他
 2024年8月末をもって、鹿児島市鴨池2丁目にある大型商業施設“イオン鹿児島鴨池店”が閉店した。私は十代の頃に鹿児島市に何年か住んでいたことがあるが、この店に対しては個人的にちょっと思い入れがあり、今回営業を終えてしまったのは寂しさを感じる。たぶん私だけではなく、ある年代から上の鹿児島市民であれば何らかの感慨を抱くことだろう。

 イオン鹿児島鴨池店の前身であるダイエー鹿児島ショッパーズ・プラザ(通称:鴨池ダイエー)がオープンしたのは1975年。それまで当地には大手ショッピングモールが無く、開店当時は大変な騒ぎだったという。我が家が鹿児島市に引っ越してきたのはそれから後の話だが、大きな吹き抜けが特徴のその店の垢抜けた出で立ちには驚いたものだ。



 日曜日の午前中には、我が家では父親が運転する車で鴨池まで出掛けて行き、この店で食料品や日用品をまとめて仕入れることがルーティンになっていた。時には日用品等だけではなく、家電品やちょっとした外出着なども購入した。もちろん、鹿児島市は天文館などの中心地に行けば大抵のものは揃えられるのだが、この鴨池ダイエーでは店内だけで買い物が“完結”してしまうのが有り難かった。

 そういえば、高校卒業時に大学の入学式に着るためのジャケットを親に買ってもらったのも、この鴨池ダイエーだった。また、クラスメートたちとの待ち合わせ場所にもよく利用したものだ。本当に懐かしい。

 店の経営がダイエーからイオンに移ったのは2015年だが、その後も多くの市民の間では鴨池ダイエーという呼び名が一般的だったらしい。だが、近年は鹿児島市には別にショッピングモールが次々とオープンし、加えて建物の経年劣化も避けられず、このたび49年の歴史に幕を閉じた。跡地の利用は未定とのことだが、また新たな商業施設が建つのだろう。だが、その際にはエンタテインメントの要素もフィーチャーして、他店との差別化を図った仕様にして欲しいものだ。
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