元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ノー・エスケープ 自由への国境」

2017-05-13 06:33:07 | 映画の感想(な行)

 (原題:DESIERTO)いくらでも面白く出来る題材ながら、観ていてあまり盛り上がらないのは、作り込みが徹底していないからだ。アイデア不足とキャラクター設定の甘さがラストまで尾を引き、活劇としても社会派映画のテイストにしても、空振りに終わっている。場合によってはアメリカの現政権の批判にも成り得たはずだが、誠に残念だ。

 メキシコからの不法移民を乗せてアメリカとの沙漠の国境へ向かうトラック。ところが途中でトラックはエンスト。十数人の乗客は徒歩で国境を目指すハメになる。やっとのことで国境のフェンスを抜けてアメリカ側に入った一行だが、先行グループと後続集団との間には距離が空いてしまう。そこに突如として銃声が轟き、先行した者達が倒れていく。狙撃者からの銃弾から何とか逃れた後続グループだが、無慈悲なスナイパーは彼らも追い詰めていく。武器も通信手段も持たない難民達は、果たして助かるのだろうか・・・・という話だ。

 理不尽な“人間狩り”を敢行しているのは、マフィアでも国境警備隊の不良分子でもなく、ただの白人のオッサンだということが早々に明かされるのは興醒めである。まあ、昔からアメリカで一番怖いのはギャングではなく、助手席にライフル銃を置いてピックアップトラックを運転している南部のマッチョな白人オヤジであることは、よく言われている。何しろコイツらは有色人種やハミ出し者を見つけると、容赦なく狙撃するらしい(「イージー・ライダー」でもお馴染みだ ^^;)。

 だから本作で犯人として設定されても別におかしくはないのだが、そこには切迫した情念や、救いようのない狂気といったものは見受けられない。悪い意味で、フツー過ぎる。いっそのこと最初から最後まで顔を見せず、謎めいた存在にしていた方が、よっぽどインパクトは大きかっただろう。難民側の面々もキャラは立っておらず、感情移入出来る者がいないのも痛い。

 中盤以降は難民達と白人オヤジとの追いかけっこが延々と続くのだが、その段取りが凡庸極まりない。もっと山あり谷ありのドラマティックな展開に出来なかったのだろうか。特に終盤、難民のリーダーとマッチョなオッサンが、岩山の頂をぐるぐる回るだけのシーンが漫然と流れるのには参った。

 監督はアルフォンソ・キュアロンの息子であるホナス・キュアロンで、これがデビュー作ということだが、その仕事ぶりにはメリハリが感じられない。ガエル・ガルシア・ベルナルやジェフリー・ディーン・モーガンといったキャストの存在感も薄い。印象に残ったのは、白人オヤジが飼っている凶暴な犬と、荒涼とした沙漠の風景ぐらいだろうか。観る価値はあまり見出せない。
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「レスビアンハーレム」

2017-05-12 06:23:38 | 映画の感想(ら行)
 新東宝の製作によるピンク映画。87年作品で、監督はアダルトビデオを手掛けていたらしい(私はよく知らないけれど)細山智明。

 心中しようとして山の中に入った女の子二人が、いつの間にか不思議な迷宮に引き込まれる。そこは悪い女王に支配された空間で、同じようにそこに入り込んだ女たちがたくさんいて、やがて女王に対して反乱を起こす・・・・・という何やらSFチックな設定だが、これが実にピンク映画らしい安っぽく、それでいて奇妙な味わいを持つ作品に仕上がっている。

 なぜか迷宮の中に電車が走っていたり、高速道路があったり、そして女王の宮殿が地面にゴザ敷いてその上にほったて小屋建てたようなチャチなものだったり、徹底的にいいかげんな舞台背景ながら、どういうわけか現実の裏側にある異次元の世界の雰囲気がぷんぷん匂ってくるのはこの監督の独特の映像センスのためだろう。たとえれば、アンドレイ・タルコフスキー監督の「ストーカー」に出てくる“ゾーン”みたいな場所だと言うならこれはホメすぎだろうか(ホメすぎだろうな、やっぱり)。

 公開当時のキネマ旬報誌によると、この作品は通常の成人映画の倍の製作費をかけ、撮影日数も一週間以上(!)という“大作”らしい。さらにスーパー16ミリという実験的な試みがなされている。16ミリで撮影し、35ミリにブローアップしたものらしいが、画質にまったく問題がない。そしてこれはピンク映画には珍しい同時録音方式がとられている。

 この映画には男は一人も登場しない。20数名におよぶ女優だけである。中でも強烈なのは女王に扮する秋本ちえみで、ド派手なメイクと巨大な張り形を付けたフリークぶりは、スゴイ。橋本杏子扮するリーダー格の女を中心に暴動は起こり、女王はあえない最期をとげる。ところが、女たちは誰一人その迷宮を去ろうとはせず、女だけのユートピアをそこで築く、という結末になっている。

 映像の面白さと使用される音楽(なぜかナツメロ歌謡曲が多い)の奇妙な雰囲気、実際観なければちょっと言葉では表現できないような作品だ。“カルト・ムービー”とはこういう映画のことをいうのであろうか。
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「人生タクシー」

2017-05-08 06:25:05 | 映画の感想(さ行)

 (英題:TAXI)とても面白く観た。基本的にワン・シチュエーションの映画なのだが、巧妙な仕掛けと重層的なテーマ設定で飽きさせず、鑑賞後の満足度は高い。第65回ベルリン国際映画祭での大賞受賞作で、それも頷けるほどの高水準の作品だ。

 テヘランの街を流すタクシーのダッシュボードに備え付けられたカメラによって、客や運転手自身の人間模様を活写しようという作戦だ。ただし、ドライバーはこの映画の監督であるジャファル・パナヒ自身である。イランでは、タクシーは基本的に“乗り合い方式”を採用しているらしく、見知らぬ同士が“相席”になることも珍しくないようだ。

 偶然に乗り合わせた胡散臭い中年男と主婦は、犯罪者の刑罰について議論を始める。ふたりの老婆は、金魚鉢を大事そうに抱えて“正午までに絶対に目的地に到着してほしい”と無理難題を吹っ掛ける。かと思うと交通事故の被害者を病院まで乗せるハメになり、けが人である男は遺言書代わりに携帯電話の動画を利用しようとする。

 中にはパナヒ監督を見知った者もいて、ビデオの闇ブローカーは一緒に仕事をしようと持ちかけ、映画学校の学生はアドバイスを求めてくる。やがて彼は小学校の校門に待たせていた姪っ子を迎えに行くが、これがまた口の減らない女の子で、パナヒ監督は苦笑するばかり。彼女は後部座席で年配者向けの財布を見つける。どうやら件の老婆たちのものらしい。落とし物を届けるべく、運転手は彼女たちの行き先を追う。

 おそらくは最初から演出されているものと、偶然性を狙ったドキュメンタリーのパートが混在していると思われるが、見事に映画として一貫性が成立している。単なる“登場人物”のスケッチに留まらず、やがてそこには切迫したメッセージが内包されていることが分かる。

 運転手の親友が被ったトラブルとその対応や、コソ泥のくせに一罰百戒を狙った刑法の厳罰化を主張する奴、そして極めつけはパナヒ監督が懇意にしている女性弁護士を乗せるくだりだ。彼女は体制に刃向かったために、当局側から停職処分を食らっている。やがて2人の会話から、パナヒ監督自身も活動を制限されていることが分かる。

 拡大する貧富の差と、治安の悪化。そして言論の弾圧により国際映画祭で大きな実績を上げたパナヒ監督でさえ思うように仕事が出来ない。これは何もイラン国内に限った話ではなく、世界中を覆う暗鬱な状況を大きな普遍性をもって表現していると言って良い。さらに、女の子が持つデジタルカメラが貧しい少年をとらえるパートは、この監督の真骨頂であろう。

 姪っ子は自主製作の映像を学内で披露することになっているが、公開には厳しい制限がある。その理不尽な制約に挑むには大上段に振りかぶったようなメッセージ映画を作る必要は無く、市井の人々を映し出すだけで多大なインパクトをもたらす。作者は映像の持つ力を信じており、その心意気が嬉しい。

 重大な主題を扱っているにも関わらず、全編にわたってユーモアが散りばめられており、何度となく客席から笑いが起こった。上映時間は短いが、存分に楽しませてくれる。なお、この映画は本国ではいまだ公開できない状況にあるという。
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「2/デュオ」

2017-05-07 06:30:50 | 映画の感想(英数)
 97年製作。東京芸術大学の教授でもある諏訪敦彦監督の長編デビュー作で、シノプシスだけでセリフや所作はキャストの即興に任せるという、同監督の独自の手法が採用された最初の作品だと思われる。ただし、本作ではそれが上手く機能しているとは思えない。

 優はブティックの女子店員で、恋人で売れない俳優の圭を支えながら一緒に暮らしている。ある日、優は圭から結婚を申し込まれる。めでたい話のはずだが、彼女は圭の真意をイマイチ信用していない。圭に問い質しても、彼は結婚生活に対する手前勝手な願望を語るばかり。やがて2人の間に溝ができ、圭は感情に任せてDVに走るようになる。そして、ついに優は圭の元から姿を消す。数年後、俳優の夢をあきらめて就職した圭は、街で偶然に優と再会する。彼は関係の修復を持ちかけるが、優は首を縦に振らない。圭は全てに踏ん切りを付け、優と暮らしたアパートを引き払うことを決める。



 要するに、この2人は未熟な子供なのだ。子供同士が勝手に乳々繰り合って、勝手にキレて、勝手にヨリ戻そうとしたと、それだけの話。確かに内面をジリジリ描き出すこの監督独特のドキュメンタリーもどきのタッチは効果を上げているが、悩んでいる内容の程度が極端に低いものだから、時として脱力してしまう。

 それから、作者が登場人物にインタビューする場面には面食らった。明らかにこれは一回限りの“禁じ手”である。もしもまたやったら赤っ恥だ。

 しかし諏訪監督、次作の「M/OTHER」(99年)では題材をガキの遊びから家族・親子といった厳然たる社会構成単位に移し、いわば逃げ場のないスタンスに自らを追い込んでいるあたり、作家としての成長が感じられる。作風はどうあれ、進歩しているのは良いことだ。

 優を演じる柳愛里は芥川賞作家の柳美里の妹で、けっこう達者な演技を披露している(今は一線を退いてしまったのは残念だ)。圭に扮しているのは後にブレイクする西島秀俊で、この頃から目立った存在感を醸し出していた。撮影監督の田村正毅はドキュメンタリー畑で鳴らしたベテランだが、ここでも即物的で臨場感のある映像の創出に貢献している。
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「バーニング・オーシャン」

2017-05-06 06:50:10 | 映画の感想(は行)

 (原題:DEEPWATER HORIZON )実話を基にしており、その題材は深刻な問題を内包しているとは思うのだが、出来上がった作品は昔懐かしい“パニック映画”のスタイルを踏襲していて、その点は面白く観た。やはり映画は娯楽である以上、観客を楽しませてナンボのシロモノなのだ。

 2010年4月。ルイジアナ州沖約80kmのメキシコ湾にある石油掘削施設“ディープウォーター・ホライゾン”で、海底油田から逆流してきた天然ガスに引火した大爆発が起こる。それにより、施設内に126名の作業員が閉じ込められてしまう。技師のマイクや上司であるジミーらは、あまりの惨事に驚くばかりであった。そもそもこの事故の原因は、施設の出資元であるBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)社の幹部が、スケジュールの遅れを取り戻そうとして安全確認を疎かにしたまま掘削を強行したためだった。従業員を押しのけて脱出しようとするBP社の幹部を苦々しく思いつつ、マイク達は必死の救出活動に挑む。

 冒頭、事故後の諮問会にマイク達が呼ばれて証言するシークエンスが紹介されるため、主人公は助かることが早々に示される。要するに最初からネタバレしているのだが、それが欠点にはならない。良い意味で観る側に過度のプレッシャーを与えず、肩に力を入れないで楽しんで欲しいという、作劇上のサービスだと思いたい(笑)。

 海底油田のシステムは素人には分かりにくく、何がどうなっていて何をどうすれば解決するのか判然としない。だから脚本の御膳立てとしては上手くいっていないのだが、そんなことを忘れさせてくれるのが、圧倒的な映像効果である。海底から汚泥が噴出して、やがてガスが漏れ出し大火災が起きるまでの畳み掛けるような展開はスペクタクルそのものだ。

 泥と油と血にまみれながら一人でも多くの仲間を救おうとするマイクの奮闘をあざ笑うかのように、火は全てを焼き尽くし設備を倒壊に追い込んでいく。“パニック映画”全盛期だった70年代から技術は格段の進歩を遂げ、大災害の現場を再現することは可能になったが、テクノロジーに寄り掛からずに演出力で臨場感を醸し出しているピーター・バーグ監督の手腕は確かだ。

 主演のマーク・ウォールバーグは大熱演。カート・ラッセルやジョン・マルコヴィッチ、ジーナ・ロドリゲス、ケイト・ハドソンといった脇の面子もよくやっている。それにしても、技術を過信して安全策よりも利益を優先させると、カタストロフに陥るというのはこの事故も我が国の原発事故も一緒だろう。タイトな作劇とスケール感で飽きさせず、その中に確固としたメッセージ性も織り込むという、まことに見上げたシャシンだと思う。
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サッカーの試合を見に行った。

2017-05-05 06:31:23 | その他
 去る4月29日(土)に、福岡市博多区の東平尾公園内にある博多の森球技場(レベルファイブスタジアム)にて、サッカーの試合を観戦した。対戦カードはホームのアビスパ福岡と東京ヴェルディである。

 アビスパは前シーズンはJ1に属していたが、地力の弱さは如何ともしがたく、あえなく1年でJ2に逆戻りすることになった。だが、このまま手を拱いていれば、ずっと二部リーグのままだ。何としても早めのJ1復帰が望まれる。しかも、相手のヴェルディはこの試合の時点では“首位”である。上位相手にどういう試合をするのか、今年(2017年)の動向を見極める上で大事なゲームだと言っていいだろう.



 前半は両チームの主要メンバーの“個人技”が炸裂し、観ていて面白かった。だが、優勢だったのはアビスパの方だ。身体能力の高い相手チームの外国人選手にも果敢に対応し、決定的なチャンスを作らせない。やがて両サイドから上手い具合にクロスが入り始め、ヴェルディのゴールに迫る。だが、シュートがゴールポストやクロスバーにはじかれる場面があり、なかなか点が入らない。後半になってもこの構図は変わらなかった。

 しかし、後半37分にFWのウェリントンのヘディングシュートが決まる。あとはディフェンスが踏ん張り、勝ちを呼び込んだ。



 これでアビスパは勝ち点がヴェルディに並んだが、他の上位チームも勝ちを収めたので、この時点で5位になった。残念ながら続く5月3日のアウェイのゲームには負けてしまい、まだ波に乗り切れていないのは確かだ。しかしながら、10位まではさほど差がなく、混戦はまだまだ続くようだ。決して楽観はできないが、アビスパもこの試合のような頑張りを見せれば道が開けるかもしれない。ぜひともベストを尽くしてほしいものだ。
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「LION/ライオン 25年目のただいま」

2017-05-01 06:29:35 | 映画の感想(英数)

 (原題:LION)実録映画だが、実話であることに寄り掛かったような作りで、内容自体は褒められたものではない。しかも、よく考えれば題材そのものも特にクローズアップされるような話ではないと思う。主人公は単に運が良かったのだ。それ以上でも以下でもない。さらに言えば、他のキャラクターにも共感できず、観ている間は居心地の悪さを感じるばかりだった。

 インド中西部の田舎町に住む5歳のサルーの家庭は貧しかったが、それでも優しい母や頼りになる兄と一緒に楽しく暮らしていた。ある夜、仕事を見つけに行くという兄に無理矢理付いてきたサルーは、駅で停車中の客車の中で眠り込んでしまう。目が覚めると列車は走っていて、しかも回送車だから外に出られない。やっと停車した場所は大都市コルカタだった。あてもなく街をさまよう彼は、最終的に施設に入れられる。25年後、養子に出されたオーストラリアで成長したサルーは、ふとした切っ掛けで故郷を思い出す。彼はおぼろげな記憶だけを頼りに、自身のアイデンティティを探ろうとする。

 主人公が迷子になって養父母と巡り会うまでが、必要以上に長い。もちろん、彼の地での過酷な社会環境と辛酸を嘗める子供達の実情を描こうという意図は悪くはない。しかし、この映画のポイントは大人になったサルーが故郷にたどり着くまでのプロセスなのではないか。それをドラマティックに扱ってこそ、娯楽映画としての興趣が出てくるはずだ。

 サルーはGoogle Earthを使って自らの出生地を探ろうとするが、仕事も恋人も放り出して引き籠もった挙げ句、結論に達するくだりが拍子抜けするほどあっさりとしている。あとはお決まりのお涙頂戴劇が展開するだけ。

 この養父母も問題ありで、自分たちの子供を持たずに、第三世界の恵まれない子を迎え入れることを最初から決めていたという。世の中には子供が欲しくても出来なかったり、事情により子供を作ることを断念する夫婦もけっこういるのに、このオーストラリア人夫婦の過度にリベラルな姿勢は、一体何だと思ってしまう。さらに、サルーの他にもう一人養子を取るのだが、その扱いは不憫でやるせない。

 ガース・デイヴィスの演出は平板で、ここ一番の踏ん張りが利いていない。主演のデヴ・パテルは好演ながら、自分勝手であまり好きになれないキャラクターなので損をしている。ルーニー・マーラやニコール・キッドマンのパフォーマンスも悪くはないのだが、印象に残らない。エンドクレジットでの“インドでは毎年8万人行方不明の子供がいる。寄付は日本ユニセフへ”といった表記を見るに及び、力が抜けてきた。
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