元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「人生タクシー」

2017-05-08 06:25:05 | 映画の感想(さ行)

 (英題:TAXI)とても面白く観た。基本的にワン・シチュエーションの映画なのだが、巧妙な仕掛けと重層的なテーマ設定で飽きさせず、鑑賞後の満足度は高い。第65回ベルリン国際映画祭での大賞受賞作で、それも頷けるほどの高水準の作品だ。

 テヘランの街を流すタクシーのダッシュボードに備え付けられたカメラによって、客や運転手自身の人間模様を活写しようという作戦だ。ただし、ドライバーはこの映画の監督であるジャファル・パナヒ自身である。イランでは、タクシーは基本的に“乗り合い方式”を採用しているらしく、見知らぬ同士が“相席”になることも珍しくないようだ。

 偶然に乗り合わせた胡散臭い中年男と主婦は、犯罪者の刑罰について議論を始める。ふたりの老婆は、金魚鉢を大事そうに抱えて“正午までに絶対に目的地に到着してほしい”と無理難題を吹っ掛ける。かと思うと交通事故の被害者を病院まで乗せるハメになり、けが人である男は遺言書代わりに携帯電話の動画を利用しようとする。

 中にはパナヒ監督を見知った者もいて、ビデオの闇ブローカーは一緒に仕事をしようと持ちかけ、映画学校の学生はアドバイスを求めてくる。やがて彼は小学校の校門に待たせていた姪っ子を迎えに行くが、これがまた口の減らない女の子で、パナヒ監督は苦笑するばかり。彼女は後部座席で年配者向けの財布を見つける。どうやら件の老婆たちのものらしい。落とし物を届けるべく、運転手は彼女たちの行き先を追う。

 おそらくは最初から演出されているものと、偶然性を狙ったドキュメンタリーのパートが混在していると思われるが、見事に映画として一貫性が成立している。単なる“登場人物”のスケッチに留まらず、やがてそこには切迫したメッセージが内包されていることが分かる。

 運転手の親友が被ったトラブルとその対応や、コソ泥のくせに一罰百戒を狙った刑法の厳罰化を主張する奴、そして極めつけはパナヒ監督が懇意にしている女性弁護士を乗せるくだりだ。彼女は体制に刃向かったために、当局側から停職処分を食らっている。やがて2人の会話から、パナヒ監督自身も活動を制限されていることが分かる。

 拡大する貧富の差と、治安の悪化。そして言論の弾圧により国際映画祭で大きな実績を上げたパナヒ監督でさえ思うように仕事が出来ない。これは何もイラン国内に限った話ではなく、世界中を覆う暗鬱な状況を大きな普遍性をもって表現していると言って良い。さらに、女の子が持つデジタルカメラが貧しい少年をとらえるパートは、この監督の真骨頂であろう。

 姪っ子は自主製作の映像を学内で披露することになっているが、公開には厳しい制限がある。その理不尽な制約に挑むには大上段に振りかぶったようなメッセージ映画を作る必要は無く、市井の人々を映し出すだけで多大なインパクトをもたらす。作者は映像の持つ力を信じており、その心意気が嬉しい。

 重大な主題を扱っているにも関わらず、全編にわたってユーモアが散りばめられており、何度となく客席から笑いが起こった。上映時間は短いが、存分に楽しませてくれる。なお、この映画は本国ではいまだ公開できない状況にあるという。
コメント
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