元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フィルス」

2014-01-13 06:59:11 | 映画の感想(は行)

 (原題:Filth )観た後に苦いものが残るブラック・コメディだ。原作は「トレインスポッティング」で知られるアービン・ウェルシュの小説だが、映画版としてはいたずらに映像ギミックに走ったダニー・ボイル監督の「トレイン~」よりも訴求力がある。観て損は無い怪作だ。

 スコットランドの警察署に勤務するブルース刑事は、同僚を出し抜いて一人出世しようとする機会を虎視眈々と狙っている野心的な男だ。ある日彼は、署の管内で起こった日本人留学生殺害事件の陣頭指揮を任せられる。このヤマを解決すれば、昇進確実。愛する妻も喜んでくれるに違いない。だいたい同僚・上司は揃いも揃ってボンクラばかりだし“チャンスさえあれば自分がトップを取るのは至極当然だぁ!”とばかりにハッスルする。

 しかし、話が進むうちに主人公の言動にチグハグになってくる。ブルースは大事な捜査を放り出して有給休暇を取り、悪友と共に旅行に出かけてしまう。仕事に復帰しても別に事件を追うような素振りをあまり見せず、乱暴狼藉と悪態に邁進するばかり。

 しかも時折幻覚じみたものが目の前に現れ、通い続けている心療内科の医師からは、あまり良いことは言われない。やがて、ブルースの“真の姿”が明らかになり、映画は切迫度を増してくる。

 要するに「トレイン~」と同じく、ヤクと酒にまみれた男のラリラリの日々を追った映画なのだが、そこに“そうなるに至った背景”が丁寧に(ただ、決して饒舌にならずに)示されているところがポイントが高い。またそれが説得力を持っているので、話が絵空事になることを回避している。

 特に印象的だったのが、ブルースが知り合う未亡人とその幼い息子との関係性だ。必死になって人命救助をしようとした彼をこの親子は尊敬していることを見ても分かる通り、ブルースは根っからの“くされ外道”ではないのだ。本来は人並みに正義感や優しさを持ち合わせた男だったのだが、それがどうして悪行三昧の生活に手を染めるようになったのか、その過程を考えると実に切ない。

 ジョン・S・ベアードの演出は、狂騒的なコメディ・タッチとしんみりとした内面のドラマとを上手く両立させて好印象。主演のジェームズ・マカヴォイはまさに怪演と言うしかなく、ジョー・ライト監督の「つぐない」での精悍さとは大違いである。ジェイミー・ベルやイモージェン・プーツ、ジム・ブロードベントといった脇の面子も良い。またクリント・マンセルの音楽も効果的だ。
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「ジャンヌ」二部作

2014-01-12 07:14:55 | 映画の感想(さ行)
 94年作品。 第一部が「ジャンヌ/愛と自由の天使」(原題:Jeanne la Pucelle Les Batailles )、第二部が「ジャンヌ/薔薇の十字架」(原題:Jeanne la Pucelle Les Prisons )で、本来は一本の映画であるが、各2時間ずつ別個に公開された。監督は「ランジェ公爵夫人」などのジャック・リヴェットで、主演はサンドリーヌ・ボネール。ジャンヌ・ダルクの戦地での活躍から悲惨な最期までを描く。



 さて、ジャンヌ・ダルクといえば、昔イングリット・バーグマンが主演したハリウッド製スペクタクル大作を思い浮かべてしまうが、当然そんな雰囲気は皆無。ならばカール・テオ・ドライヤー監督の「裁かるるジャンヌ」のように、とことんストイックにヒロインの実像に迫るのであろうと予想した。

 しかし、観た印象は“なんじゃこりゃ”である。確かに舞台劇のような静的な場面が目立ち、スペクタクル性は微塵もないはず・・・・なのだが、時おり出てくるママゴトのような珍妙な戦闘場面は何? みっともないし意味もないのでやめた方がよかった。ヒロインはなぜ神の啓示を受けたのか、それがどうしてフランス軍全員を鼓舞していったのか、なぜ火あぶりになったのか、彼女の魂は救済されたや否やetc.知りたいことは何も教えてくれない。



 登場人物の激しい葛藤や苦悩をジリジリ描き出す演出もなく、あるのは棒読みのセリフとつっ立ったままの場面説明だけ。リヴェット監督の旧作「美しき諍い女」のようなワクワクするような展開は皆無で、歴史的事実とやらを忠実に追っているに過ぎない。観客無視も甚だしい。ただ時代考証はしっかりしているらしく、このへんは歴史学者が大喜びしている要因だろう。

 主役のボネール以外に知っているキャストはおらず、観た印象は恐ろしく地味。各地の映画祭で絶賛されたのはホントかいなと疑いたくなる。ジョディ・サバールによる音楽だけは秀逸。
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「カサブランカ」

2014-01-11 07:01:48 | 映画の感想(か行)

 (原題:Casablanca)1942年作品。言わずと知れたメロドラマの古典とされている映画だが、私は東宝系で展開されている“午前十時の映画祭”のプログラムの一つとして今回初めてスクリーン上で観ることが出来た。印象としては悪くない。特にハンフリー・ボガート扮する主人公の“ダメっぷり”には納得してしまう(笑)。

 1941年、ドイツの侵略によるヨーロッパの戦禍を逃れるため、中立国のポルトガル経由でアメリカへの亡命を図る人々が大勢いた。モロッコのカサブランカはその中継拠点である。ここでナイトクラブを経営するアメリカ人男性のリック(ボガート)は、陥落する前のパリで恋仲であったイルザと偶然再会する。

 かつて彼女はリックの前から理由も告げずに去ったのだ。久々に会う彼女はチェコスロバキア人のレジスタンス指導者ヴィクトル・ラズロの妻になっていて、何とリックと付き合っていた当時もラズロと結婚していたのだという。そんな中、ナチスから現地に派遣されてきたシュトラッサー少佐は、ラズロ夫妻に出国許可証が渡ることを阻止しようとする。

 リックはかつての“失恋”のショックから立ち直っておらず、彼の経営する店ではピアニストに彼女との思い出の曲は絶対弾かせない。それでもイルザに対して未練たらたらで、再会した後も何とかヨリを戻せないかとあれこれ悩むが、結局は“ダンディズム”という名の“やせ我慢”に走ってしまう。

 そもそも彼がカサブランカに居住し続けていたのは、いつかイルザに再会出来るのではないかという淡い期待があったからこそだ。この女々しさには失笑してしまうと同時に、共感もしてしまう。男というのは、そういう“場違いなロマン”に身を焦がしてしまうのだ(爆)。

 対してイルザの方は、何とも日和見的で感情移入しにくいキャラクターだ。演じるイングリッド・バーグマンのとびきりの美しさをもってしても、軽量級の扱いは免れない。だが、それは逆にリックの内面描写を引き立てる“小道具”として機能しているとも言える。

 戦時中に作られたプロパガンダ映画という側面はもちろんある。しかし、監督マイケル・カーティスは無粋なスローガンの連呼に走ることもなく、しっかりと娯楽映画の体裁を整えているあたりは好感が持てる。

 ボガートは個人的には後年の「黄金」や「アフリカの女王」みたいなワイルドな面を強調した役作りの方が好きだが、ここでのカッコつけた振る舞いも悪くはない。クロード・レインズやピーター・ローレ、ドーリー・ウィルソンといった脇の面子も的確な仕事ぶりだし、有名な劇中曲の使い方も言うまでもないだろう。
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渡邊二郎「歴史の哲学 現代の思想的状況」

2014-01-10 05:56:16 | 読書感想文
 著者の渡邊は生前は東大文学部の名誉教授の座にも就いた哲学の研究者なので、本書で歴史研究に関する自前の哲学論を披露しているのかと思ったら、近現代の主要な歴史哲学の紹介本としての側面が強かったのには少々拍子抜けした。しかしながら、歴史哲学論の概観をコンパクトにまとめているという意味では存在価値はあると言える。

 ただ、日頃哲学の文献とは縁遠い身としては、かなり読みにくかったのも事実。特にカギ括弧の多用による独特の言い回しは、接しているうちに面倒臭くなってくる。ハッキリ言って、内容をすべて理解したかと聞かれると、曖昧な返事をせざるを得ない(笑)。



 では読む価値は全然無かったのかというと、決してそうではない。そもそもこの本のタイトルは「歴史の哲学」なのであり、個々の歴史的事実を紹介・検証していくような、よくある“歴史本”の類ではないのだ。歴史そのものをどのように見るか、歴史を学ぶスタンスはいかにあるべきか、そういった“史観”の立脚点に関して哲学的なアプローチを展開している。

 マルクスやマックス・ウェーバー、ディルタイ、ヤスパース、ニーチェ等々、それぞれの主張を引用しながら強調していることは、単に歴史的資料を集めるだけの“雑学”じみたことには意味が無く、また特定の史観のみに則って歴史を検証するのもナンセンスだということだろう。ましてや、いたずらに“客観性”を振りかざして、結局は無自覚的に単一の史観に収斂されてしまうのは愚の骨頂なのだ。

 歴史の“客観性”というものがもしあるとすれば、それは史実(とされる出来事)とその(確固としたアイデンティティを持つ現在の各個人としての)解釈との間に存在すると言える。

 それにしても、歴史を学ぶ者は自らの思想的傾向を“棚卸し”することは大事だと思う。たぶん筆者の渡邊からすれば、相変わらずマスコミや論壇にはびこる左傾の進歩史観や、はたまた頑迷な皇国史観なんぞは、“歴史”の名に値しないと一蹴することであろう(爆)。
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「永遠の0」

2014-01-09 06:37:26 | 映画の感想(あ行)

 山崎貴監督らしい、突っ込みの足りない映画だ。司法試験の受験に失敗して悶々とした毎日を送る青年・佐伯健太郎は、祖母の葬儀で母と姉から自分には戦死した実の祖父がいることを知らされる。本当の祖父は戦時中に特攻隊として戦死し、祖母は娘である健太郎の母を連れて現在の祖父と再婚したのだという。母親の“おじいちゃんのことを調べてほしい”という言葉をきっかけに、健太郎は姉の慶子と一緒に実の祖父である宮部久蔵のことを調べ始める。

 二人は手始めに宮部のかつての戦友たちを訪ねるが、“戦いから逃げてばかりの臆病者だった”という話ばかりを聞かされ、落胆してしまう。しかし、かつて宮部の部下だった井崎は、彼が命を惜しんでいたのは確固とした動機があったからだと言う。やがて健太郎たちは、知られざる宮部の実像に迫ることになる。

 宮部のキャラクターが練り上げられていないことが、最大の敗因かと思う。彼は“生きて家族のもとへ帰りたい”という理由で自分の命を惜しみ、また仲間の命をも惜しんでいる。だが、彼がどうしてそういう“合理的な”考えを持って行動するに至ったのか、映画は全く示さない。

 家族のために、生きて戦地から帰りたいと願っていた者はそれこそ大勢いたはずだが、大半は理不尽な境遇に甘んじて辛酸を嘗めたのだろう。だが、どうして宮部だけが自分の信条を行動に反映させたのか、その背景がまるで見えない。単に“飛行機乗りとして卓越した技量を持っていたから(周囲も黙認していた)”というだけでは、説得力に欠ける。

 さらに、そんな彼が特攻隊の護衛任務に就いたことから惨い現実を目の当たりにすることになり、自身も特攻隊に志願することになったという筋書きは、あまりにも図式的だ。確かに特攻は無茶な作戦だが、それまでも人命を軽視し続けていた日本軍の実相から考えれば、主人公としても“むべなるかな”という結論に行き着いてもおかしくはない。それがどうして特攻隊の任務に関与した時点で突然捨て鉢な態度に転じたのか、そのあたりがまるで描けていない。

 狂言回し役の健太郎にしても、演じているのが“軽量級”の三浦春馬だということもあり、チャラい若者が改心して立派になったという凡庸なルーティンを実体感も無くトレースしているに過ぎない。宮部に扮した岡田准一は好演で、井上真央や吹石一恵、風吹ジュン、夏八木勲、田中泯といった脇の面子も悪くないパフォーマンスなのだが、ドラマ自体に深みがあまりないので“お疲れ様”と言うしかない。

 見所のひとつである戦闘シーンは健闘していたとは思うが、ハリウッド作品に比べれば見劣りする。唯一特筆出来るのが音楽で、佐藤直紀のスコアは厚みのあるサウンド・デザインを体現していたし、サザンオールスターズによるエンディング・テーマ曲も良かった。
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「プロヴァンス物語 マルセルのお城」

2014-01-08 06:36:38 | 映画の感想(は行)
 (原題:La chateau de ma mere )90年作品。マルセル・パニョルの自伝的小説「少年時代の思い出」の第二部と第三部を映画化したこの「マルセルのお城」は前回紹介した「マルセルの夏」の完全な続編に当たる。夏休みも終わり、マルセル一家はマルセイユに帰るが、マルセル少年のプロヴァンスへの思いはつのるばかり。ところが、父親の転勤が決まり、一家は週末ごとにプロヴァンスに行けることになる。

 ここでもドラマティックな出来事は何も起こらない。リリとの再会、プロヴァンスに別荘を持っている作家の一人娘との初恋、一家が週末ごとにプロヴァンスに通う際に通り抜ける古城の持ち主とのふれ合い、古城を流れる運河の管理人や、ドジな警官とのほほえましいやり取り、優しい両親、気のいい土地の人々、美しい自然の風景と南仏プロヴァンスの明るい陽光は、前作同様、観る者を子供時代の素晴らしい世界へと誘ってくれる。



 しかし、前作の夏休みと同じく、確実にマルセルの人生の“夏”は終わりに近づいていくのだ。夢のような日々はまたたく間に過ぎ、マルセルは有名中学の受験のためにマルセイユから離れられなくなる。

 そして5年の月日が流れ、マルセルの周囲から親しい人々が次々にいなくなり、時代は第一次世界大戦の暗い世相に突入する。もう、楽しかった少年時代は完全に過ぎ去ってしまっているのだ。今までの楽しい雰囲気が一変するラスト近くの10分間は夢から世知辛い現実に戻った時のような、厳粛な気分になる。そして最後は舞台は数十年後に飛ぶ。映画製作者として成功したマルセルは、プロヴァンスを再び訪れ、あの頃を思い出すのだった。

 人間として普遍的な少年時代の記憶の最もいいパターンが描かれていて、ノスタルジアに心が締め付けられるのは事実だが、結局、豊かな記憶を持てば、たとえそれが失われても、有意義な人生を送ることができるのだ、という真実が胸に迫ってくる。

 マルセル少年はじめとする子役、および大人の俳優の達者な演技に感心しながらも、この企画を20年も暖め続けた監督、イヴ・ロベールの執念に感嘆してしまった。前作と同じく、必見の映画である。
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「プロヴァンス物語 マルセルの夏」

2014-01-07 06:36:39 | 映画の感想(は行)
 (原題:La Gloire de mon Pere )90年作品。間違いなくこの時期のフランス映画を代表する秀作だ。「愛と宿命の泉」の原作者としても知られるフランスの国民的作家マルセル・パニョルの自伝的大河小説「少年時代の思い出」の一部をベテラン監督、イヴ・ロベールが構想20年の後に映画化。19世紀末から20世紀初頭の南仏プロヴァンスを舞台に、主人公の少年マルセルが両親や友人たちと過ごした夢のような夏休みを描く。

 ドラマティックな出来事は何も起こらない。土地の少年リリとの出会いがあり、合理主義者の父親と敬虔なクリスチャンの親戚たちとの対立がある。でも、それらが物語の大きなポイントになることはない。



 ここに描かれるのは、あくまでマルセルの一家の思い出に過ぎない。しかし、実際に自身が見たことがなくても、経験がなくてもかまわない。おそらくは人種や年齢を超えて普遍性を獲得するような原風景、原体験とでも呼ぶべきものをロベールは映画を通じて発見していくのである。

 例えばラストに“時が止まったかに見えても、夏は息絶える”というモノローグがある。ここで観客一人一人が自らの幼少時代の夏休みを思い浮かべるなら、そのセリフは単なる状況説明以上の価値をもたらす。最初のうちは永遠のように感じられた夏休みも、8月も押し詰まった頃になると、残りの日数ばかり気にかかる。少しづつ夜風に秋の気配が感じられ、文字通り夏が息絶えようとしているのである。

 時は無情に流れるばかりで、世の中も人間も変わっていく。そんな中で数々の思い出が失われていくとしても、この作品にはまだまだそんな豊饒な記憶が溢れている。そしてそれは誰の心にとっても“いつでも回帰出来る風景”であるに違いない。キャストは馴染みの無い名前ばかりだが、いずれも好演だ。
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