元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ベイビー・オブ・マコン」

2008-12-01 06:33:23 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Baby of Macon )93年作品。イギリスの異能監督ピーター・グリーナウェイによる本作の舞台は17世紀イタリアだ。バロック式の大劇場で17歳のメディチ家の末裔(ジョナサン・レイシー)が最前列に陣取っている。出し物は「ベイビー・オブ・マコン」という芝居。世紀末の乱れた時代に、年老いた醜い妊婦が子供を産み落とす。ところが生まれたのは玉のように美しい男の子だった。

 その子の姉(ジュリア・オーモンド)は自分が処女懐妊して生んだキリストの生まれ変わりということにして大衆をだまし、一発大儲けをたくらむ。これを知った教会側は神への冒涜だとして反発。両者の対立は高まっていくが・・・・。この演劇になぜか観客であるメディチ公が介入。すると出産の場面では本当に赤ん坊が生まれ、その子は奇跡を起こし始めた。いつしか映画は芝居と本編の区別がなくなり、当時の殺伐とした社会情勢も反映して、思わぬ方向に発展する。

 もとよりこの無茶苦茶なストーリーに意味などあるわけがない。グリーナウェイが重視するのは映画の“中身”ではなく“外見”である。いかにも頭で考えただけのような、奇をてらった設定を、どれだけ自分の美意識(とはいっても、とことん“個性的”)で塗りかため、観客を圧倒させるか、それだけが狙いだ。このひとつ前にグリーナウェイが作った「プロスペローの本」(91年)はその意味で大成功だった。シェイクスピアの「テンペスト」を原作とし、摩訶不思議な魔法の世界を驚異のハイヴィジョン合成で見事に映像化。次々に押し寄せる強烈なイメージ、あれほどSFXにモノを言わせた映画は前代未聞だった。それではこの新作ではいかなる仕掛が披露されているのか・・・・。

 残念ながら、完全に物足りない。敗因は明かで、演劇様式にこだわりすぎたため、構図を左右対称に固定してしまった点である。これではグリーナウェイの必殺技“延々続くカメラ横移動”が使えない。そして何より空間の広がりが希薄である。そのかわりに前後へのカメラ移動を多用するが、ラストを除くと効果があがっていない。赤を多用した色彩造形、ディー・ファン・ストラーレンによる衣装は見事だが、前作ほどではない。

 そして何より、いつものマイケル・ナイマンの音楽がないのが不満。かわりにパーセルやフレスコバルディ、トーマス・タリスといったバロックの既成曲が使われるが、インパクトはかなり弱い。

 クライマックスは長々と続くヒロインへのレイプ場面である。レイプする人数が映画史上最高らしいが(マジかよ)、大したことないと安心しきっていると、ラストの突然の一大スプラッタ・シーン。ここで映画館の観客の半数が席を立ってしまった(笑)。でも、この程度では「コックと泥棒、その妻と愛人」のラストの“ホイル焼き”には及ばない。もうちょっと芸を見せてほしかったぞ(-_-;)。

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