元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「十九歳の地図」

2014-05-01 06:20:25 | 映画の感想(さ行)
 79年作品。今年(2014年)惜しくもこの世を去った蟹江敬三だが、個人的に彼のフィルモグラフィの中で最も印象に残っている映画が本作だ。監督は柳町光男で、この後に撮る「さらば愛しき大地」(82年)と並ぶ彼の代表作である。

 主人公の吉岡まさるは、地方から上京し予備校に通う浪人生だ。生活費を浮かせるために彼は新聞販売店に住み込み、配達と集金の業務をこなしている。仕事は楽ではなく、集金に行けば客から煙たがられる。まさるの部屋は相部屋で、相方は紺野というまったく甲斐性の無い独身の中年男だ。

 紺野が出会うのが、自殺に失敗した挙げ句に片足が不自由になった娼婦のマリアである。そんなマリアを紺野は慕う。まさるはただでさえストレスの多い中、この小汚い中年男女の関係を見せつけられるに及び、鬱屈感を増幅させていく。そして、反社会的な行動に走るのだった。



 私がこの映画を観たのは、まさると近い年代の頃だった。どうしようもない日常に苛つき、勝手に他人を“査定”して自分なりの“地図”に閉じこもってしまう主人公の姿に、嫌悪感を覚えつつもどこか共感してしまったことを覚えている。あれから年月が経ち、私もダメ中年の紺野に大いなるシンパシーを抱く年齢に達してしまった(笑)。

 彼の“どうやって生きていったら良いのか、分からないなぁ”というつぶやきが、今考えると本当に身にしみる。もちろん、紺野とは違って一応私はカタギの生活を送っているのだが、いくら足元が確かな生活を手に入れたように思えても、先が見えない時代なのだ。何がリアルで何がフェイクか、掴み所の無い状態に我々は放り込まれている。この“どうやって生きていったら良いのか、分からないなぁ”という独白が身近なものに思える向きは多いだろう。

 紺野に扮しているのはもちろん蟹江敬三で、捨て鉢にも思える男の生き方が、開き直ったある種の“美学”さえ感じさせて圧巻だ。マリアを演じる沖山秀子のパフォーマンスも素晴らしく、神々しささえ覚えてしまう。白川和子や清川虹子、柳家小三治といった脇の面子も実に濃い。それらに比べれば主人公役の本間優二は軽量級に見えたのも仕方が無いが、却って未熟な若者像を上手く表現出来ていたと思う。

 柳町光男の演出は強力で、次第にまさるが追い詰められていく過程を息もつかせぬ筆致で追う。原作は中上健次だが、彼の小説の映画化では最も上手くいった例であろう。東京の下町の描写、特に巨大なガスタンクが放つ存在感には圧倒された。

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