元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「12日の殺人」

2024-04-15 06:07:18 | 映画の感想(英数)
 (原題:LA NUIT DU 12 )似たようなテイストを持つジュスティーヌ・トリエ監督「落下の解剖学」よりも、こっちの方が面白い。同じフランス映画であるだけでなく、物語の舞台も共通しているのだが、題材の料理の仕方によってこうも出来映えが違ってくるのだ。諸般の事情で米アカデミー賞には絡んではいないが、2023年の第48回セザール賞で作品賞をはじめ6部門で受賞しているので、世評も決して悪くはない。

 10月12日の夜、フランス南東部の山間部の町で、女子大生クララの焼死体が発見される。何者かが彼女にガソリンをかけ、火を付けたらしい。捜査を担当するのは、昇進したばかりの刑事ヨアンとベテラン刑事マルソーだ。2人は早速被害者の周囲の者たちに聞き込みを開始するが、何とクララはいわゆる“お盛んな女子”で、交際範囲はけっこう広いことが分かってくる。



 当然のことながらクララと痴話ゲンカの間柄になる男も複数存在しており、計画的な犯行であることから遅からず容疑者が特定されると思われた。だが、決定的な証拠が出てこない。捜査が行き詰まり、ヨアンの表情も焦りの色を濃くしてゆく。2020年に出版されたポーリーヌ・ゲナによるノンフィクションを元ネタにしている。

 冒頭、この事件が未解決であることが示される。ある意味ネタバレなのだが、何かあると思わせて実は何も無かった「落下の解剖学」に比べると実に潔い。それどころか映画自体がミステリー的興趣を否定していることにより、観客の興味を別の方向へ誘導させる仕掛けが上手く機能している。それは何かというと、事件の“背景”である。

 この山あいの町は風光明媚ではあるものの、かなり閉鎖的で多様な価値観を認めない。特に男女差別は深刻で、後半にヨアンの同僚となる女性刑事はそのポストに就くまでに辛酸を嘗めた。劇中、関係者が洩らす“クララはどうして殺されたか。それは女の子だったからだ”という身も蓋もないセリフがシャレにならない重さを伴ってくる。また、社会の一般的なレールから外れた者に対する仕打ちも酷い。

 マルソーは家庭の問題を抱えているが、誰も救いの手を差し伸べない。終盤に重要参考人と目される者が現われるが、当人の境遇も哀れなものだ。ヨアンはスポーツバイクに乗ることが趣味で、暇を見つけては屋内の競技用施設で汗を流している。だが、屋外やオフロードに出向くことは無いのだ。そもそも彼はいい年なのに独身で、交友関係も充実しているとは言えない。この、どこにも捌け口が見出せない状況こそが事件の核心であるという作者の視点は、高い普遍性を獲得していると思う。

 ドミニク・モルの演出は堅牢で、作劇に余計なスキを見せない。ヨアン役のバスティアン・ブイヨンをはじめ、マルソーに扮するブーリ・ランネール、またテオ・チョルビやヨハン・ディオネ、ムーナ・スアレム、ポーリーヌ・セリエ、そしてクララを演じるルーラ・コットン=フラピエなど、馴染みは薄いが皆良い演技をしている。ヨアンがそれまでとは違う生活スタイルに踏み込むことを決断するラストは、強い印象を残す。
コメント
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