(原題:WILD AT HEART )90年作品。主人公セイラー(ニコラス・ケイジ)は、恋人ルーラ(ローラ・ダーン)の目の前で因縁をつけてきた一人の黒人を殺してしまう。だがそれは、娘に対して偏執狂的な愛情を持っているルーラの母親が、二人の間を引き裂こうとして仕組んだ罠だった。それから22か月と18日後、刑務所を保釈になったセイラーは、ルーラを連れて母親の呪縛から逃れるため、カリフォルニアへと旅立った。ストーリーは以上のように粗野で情熱的なカップルの逃避行を追っていて、文字通りワイルドなタッチのラブ・ストーリーを狙ったデイヴィッド・リンチ監督作である。
結論から先に言おう。まったくの期待はずれだった。その理由はリンチ監督のこの前の作品「ブルー・ベルベット」(86)と比べればすぐわかる。あの作品の凄さはいわば“日常の裏に潜む非日常”を鋭くえぐったことであった。平和な街で起こる異常な殺人事件。平凡そのものの市民生活に忍び寄る悪夢のごとき不吉な影。その危険なイメージを過激な映像で容赦なく提示していく、リンチ監督のテクニックに終始ゾクゾクしっぱなしだった。
ところがこの作品はベースとなるリアリティがまるで欠如している。主演の二人は“翔んだ”ままだし、狂態を見せるルーラの母親や、ウィレム・デフォー扮する変質的な殺し屋など、まわりのキャラクターも皆かなり異常だ。普通の人たちが一人も登場しない。そんなキ印だらけの世界をリンチ監督はギラギラの映像と猛烈なスピード感とぶっとんだ音楽で描き出す。
しかし、観る側が感情移入できるキャラクターがおらず、映像だけが流れて行くだけの映画とも言える。たしかに冒頭の殺人シーンやクライマックスの銀行強盗の場面には圧倒されたが、それが映画自体の面白さにはなっていない。監督自身が自分のフリーク趣味だけを満足させたような作品である。最初から物語をつくることを狙っていない。こういう映画もあっていいとは思うが、私はまったく興味がない。映画はまずリアリティである。
それにしても、取って付けたようなラストシーンには笑ってしまった。いっそ主役の二人が殺されてしまった方が、映画としてサマになっていたと思う。同年のカンヌ国際映画祭で大賞を獲得しているが、主要アワードを受賞した作品が良作とは限らないのは毎度のことなので、あまり気にならない。