(原題:DER FALL COLLINI)良く出来た法廷ものだが、同時に釈然としない気持ちもある。裁判劇に歴史解釈に関するネタを持ち込むと、かなり盛り上がる反面、筋書きに対して賛否両論出てくるのは仕方がないと思う。しかも、事件の真相が登場人物達にとっては記憶が生々しい第二次大戦時の出来事に準拠しており、一方的に否定するのは相応しくないものの、諸手を挙げての高評価も付けがたい。難しい立ち位置にある映画だ。
2001年5月、ベルリンに住む新米弁護士のカスパー・ライネンは、ある殺人事件の国選弁護人に任命される。被告人は30年にわたってドイツで模範的な市民として働いてきた67歳のイタリア人コリーニで、大物実業家ハンス・マイヤーをベルリンのホテルで殺害したという容疑だ。カスパーはこれが刑事事件としての初仕事になるが、何と被害者が彼の少年時代からの恩人だったことを知り、狼狽する。
早速カスパーはコリーニと会うが、相手は取り調べ中から黙秘権を行使し、カスパーの問いかけにも一切答えない。それでも彼はコリーニの出生地まで足を運んで調べると、事件の背景に第二次大戦下で彼の地で起こった犯罪があることが分かる。フェルディナント・フォン・シーラッハによるベストセラー小説の映画化だ。
ドイツ映画で第二次大戦時の出来事がモチーフになると、ナチスによる狼藉がネタとして出てくることは十分予想され、本作もその通りに進む。興味深いのは、戦時中の不祥事を不問にするという“ドレーヤー法”という法律だ。これによってかつてのドイツ兵は“恩赦”のような形で、戦後はカタギの生活を送ることが出来たらしい。だがこの映画は、そんな事実に真っ向から異議を唱えている。
確かに、戦争中にあくどいことをやった連中が現在涼しい顔しているという構図は道義的にあり得ない。しかし、戦争というものは大抵悲惨なものだ。数多くの非道な仕打ちをいちいち摘発していては、キリがないのではないかと思ってしまう。この“ドレーヤー法”も、そのあたりのケジメを付けるために制定されたものなのだろう。
注視したいのは、この映画はフィクションであり、実録ものではない点だ。そのため、私怨を抱えたまま戦後を生きるコリーニと、過去を悔いてはいるが努力と善行を積んで社会地位を得たマイヤーというキャラクター配置は、図式的に見えてしまう。だから、イマイチ観ている側に響かない。それよりも、トルコ移民の血を引くカスパーが差別に苦しむくだりの方が興味深い。特に、かつて恋仲だったマイヤーの娘が彼に対して侮蔑的なセリフを投げつけるシーンは苦々しく、映画としてはこちらの方を中心に描いた方が成果が上がったのではと思う。
マルコ・クロイツパイントナーの演出は堅牢で脆弱な部分が無く、ラストの処理も鮮やかだ。主演のエリアス・ムバレクをはじめアレクサンドラ・マリア・ララ、ハイナー・ラウターバッハ、ピア・シュトゥツェンシュタインといった面々は良い仕事をしている。そして何より、コリーニ役のフランコ・ネロの存在感には圧倒される。とはいえ、毎度ドイツ国民にとっての“ナチスは絶対悪”という定説が前面に押し出されるのは、正直言って食傷気味だ。