元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022-03-13 06:22:12 | 映画の感想(あ行)
 (原題:WEST SIDE STORY )本作の評価の分かれ目は、言うまでもなく現時点で製作された意義である。前回、このミュージカルがジェローム・ロビンズとロバート・ワイズによって映画化されたのは61年だ。そして映画の時代設定は1950年代後半である。当時のアメリカは景気は良かったが、一方では公民権運動が巻き起こって人種問題がクローズアップされてきた時期だ。

 ニューヨークの下町を舞台にしたストリート・キッズたちの派閥争いは、まさしくそんな世相を反映したものであった。原作者はラテン系の若者による暴力事件を目にしたことからインスピレーションを得たという。さらにシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」を下敷きにするという、斬新な発想。まさにその時代の前衛を走るような仕事であったといえる。



 ならば今回のスピルバーグ版はどうなのか。人種やセクトなどに関する格差や対立は、相も変わらず存在している。コロナ禍も加わり、まさに我々は分断の時代を生きている。だから、一見このリメイクはタイムリーであるように思える。しかし、あくまでそれは設定や筋書きをアップ・トゥ・デートに再考した上での話だ。その点、本作が上手くいっているとは言えない。

 この映画におけるマンハッタンのウエスト・サイドは、都市開発により建物が次々と取り壊されている。つまりは、もうすぐ無くなってしまう地域なのだ。そんな先が見えているような状況で、主人公たちは縄張り争いをしている余地があるのか大いに疑問である。そして、前回におけるシェイクスピア作品の翻案という目新しいモチーフは、現在そのまま持ってくるには無理がある。

 トニーとマリアはダンスパーティーで互いに一目惚れ状態になるが、いくら細かいプロットが必須ではないミュージカルとはいえ、これは出来すぎだ。そしてヒロインは、事情はあったにせよ自分の兄を殺害した男と懇ろになる。加えて終盤は、大時代な“すれ違い”による愁嘆場だ。どう考えても、現在に通じる要素は希薄である。

 もちろん、スピルバーグはこのネタに思い入れはあったのだろう。そして丁寧に撮られていて、(長い尺のわりには)作劇もスムーズ。ミュージカル場面は前回に負けないほど訴求力は高い。だが、観る側としては最後まで“どうして今ウエスト・サイド・ストーリーなのか”という疑問を抱かざるを得なかった。

 アンセル・エルゴートにレイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、デイヴィッド・アルヴァレス、マイク・ファイスト、ジョシュ・アンドレス、コリー・ストールといったキャストは特に派手さは無いが堅実である。また、前回に引き続きリタ・モレノが登板しているのは嬉しかった。ヤヌス・カミンスキーによる撮影は万全。お馴染みのナンバーを演奏するのはグスタボ・ドゥダメル指揮のニューヨーク・フィル及びロス・フィルだが、この指揮者のライトな持ち味が活きた妙演である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする