元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「山河ノスタルジア」

2016-05-21 06:33:08 | 映画の感想(さ行)

 (原題:山河故人)面白いとは思えない。この監督(ジャ・ジャンクー)がこれまでの作品とは異なる新たな展開を示そうとして、余計に気負い過ぎたのだろう。とにかく、筋書きや映像がサマになっておらず、作り手の思いだけが空回りしているように見える。

 99年。山西省の汾陽に住む小学校教師のタオは、幼なじみの炭鉱労働者リャンズーと若手経営者ジンシェンから同時に想いを寄せられていた。3人の微妙な恋のさや当てを経て、彼女が結婚相手として選んだのはジンシェンだった。ショックを受けたリャンズーは職を辞して去る。やがてタオとジンシェンの間に息子が産まれ、ドルにちなんで“ダオラー”と名付けられる。

 2014年、タオはジンシェンと離婚。ダオラーはジンシェンに引き取られて上海で暮らしている。ある日、長年の炭鉱労働で塵肺を患ったリャンズーが妻子と共に故郷に戻っていることを知った彼女は、彼の家族に治療費を手渡す。また、突然世を去ったタオの父親の葬式のため、彼女はダオラーを一時的に汾陽に呼び戻し、久々に親子の時間を持とうとする。

 2025年。父親と一緒にオーストラリアに移住したダオラーは19歳になっていた。すでに中国語を忘れ、父親との仲もしっくりせず、満たされない毎日を送る彼の前に、香港から移住してきた中国語教師ミアが現れる。ダオラーは同じような立場の彼女に対し、親子ほどの年の差も顧みず、恋愛感情を抱くようになってくる。

 3つのパートに分かれているが、一番の敗因は第三部の舞台を“近未来のオーストラリア”に置いたことである。過去の同監督の作品は国内に暮らす庶民の苦悩をすくい上げていたが、そこ(中国)から抜け出すことは見果てぬ夢ではあっても、取り得るべき選択肢では無かった。なぜなら、登場人物達のバックグラウンドは国内にあり、その国民性は一生付いて回るのは確実で、彼らはその地点で折り合いを付けるしか無いという状況が作劇の核として捉えられていたからだ。

 国外に出ることは手っ取り早い解決策にはなるかもしれないが、根無し草のようになった彼らにはアイデンティティの喪失という虚脱感しか提示できない。事実、第三部の締まりの無さは致命的で、中途半端な“近未来の描写”を含めて、画面にすきま風が吹きまくっている。

 ならば第一部と第二部の出来は万全なのかというと、それも違う。最後に密度の低い第三部が控えていることで、その前段としての意味しか持たなくなっている。そもそも、第二部で病床にあったリャンズーはどうなったのか。タオは結局どちらの男が好きだったのか。そんな大事なことが描かれていない。

 最初と最後に流れるペット・ショップ・ボーイズの「ゴー・ウエスト」の歌詞をあからさまなメタファーにしてしまう芸の無さと、ジャ・ジャンクー作品とも思えない雑な映像が、鑑賞意欲を盛り下げる。ヒロイン役のチャオ・タオをはじめキャストは熱演だが、映画の出来がこの程度ではそれも空しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする