元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ドッペルゲンガー」

2008-08-08 06:28:27 | 映画の感想(た行)
 2003年作品。黒沢清監督の作品がポピュラーにならないのは、何を描いても最後にはドラマを彼独特の(終末思想的な)世界観の中に放り投げてしまうからだと思う。黒沢の映画を全て観ているわけではないが、今のところ彼の作品で真に楽しめたのは「CURE/キュア」だけ。つまりプロデューサーの力量によって彼の持ち味がコントロールされ、娯楽映画の範疇からはみ出させない場合のみ観客は納得するのだ。

 しかし、この前の作品「アカルイミライ」(2002年)からどうも傾向が変わってきたようにも感じる。自分の完全に世界に没入せず、映画を何とか物語の枠内で踏み止まらせようと努力している様子も見られる。この新作では、役所広司扮する研究者がエゴに満ちた“もうひとりの自分”に出会うという絵に描いたような前半のホラー的素材から、中盤以降に奇天烈なアクション・コメディに転化するという相変わらずの勝手ぶりを見せるものの、観客を楽しませようとする意図だけは一貫しているようだ。

 「ジキル博士とハイド氏」みたいに複数の人格が一人の人間の中に同居するのではなく、別の人間として細胞分裂していくドッペルゲンガーの扱い方は面白いし、柄本明や永作博美、ユースケ・サンタマリアら脇のキャラクターも良い。

 後半の展開をすべて“(批評無用の)自分の世界”に持ち込んではおらず、平易なドラマツルギーのままなので、それだけ辻褄の合わない点が指摘されるのは仕方がないが、全体的に楽しめる映画にはなっている。果たして黒沢監督の「ミライ」は「アカルイ」か?
コメント
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