東日本大震災の被災から復旧に向けて動き始めて2ヵ月が経ちました。
いまだ行方不明の方もいらっしゃいますし、不自由でプライバシーの無い避難所での生活を送られている方々、ライフラインの復旧もままならない地域、まだまだ予断を許さない福島第一原発の状況も理解した上でこんな書き出しをしてみました。
事実、3月12日からこの2ヵ月間の当方の仕事内容がタイトルから冒頭にある様な事続きだったのです。
例年なら、繰り越しになった業務を淡々と消化したり年度末にサボっていた社内書類の作成などで、比較的余裕のある時期ですが、驚く量の休日出勤と残業でした。
当方が回ったところは、栃木県内各所と茨城県の一部市町村です。
震度6強を記録した地域ですが、津波の被害を受けなかったところがほとんどでしたので何もかも無くなってしまうような光景を見る事はありませんでしたが、瓦が落ちたり塀の倒れた町並みには、波打つ道路・床板が落ちて橋脚のみになってしまった橋、土砂崩れや落石跡を見ると気持ちが大きく落ち込みました。
宇都宮市内から被災地に向かうと川ひとつ、山ひとつ越えて行くたびに被害状況が深刻になっていくのは、仕事で向かうと行っても、気持ちは沈んでいきました。
当方は、物見遊山に向かう事は出来ないです。
個人的な事情でとても衝撃的だったのは、既存の橋梁や法肩にバルコニーのように付け足した、いわゆる張り出し歩道が軒並み折れている道路を見た時です。
この構造物は何箇所か設計した事がありまして。。
決して、震度に弱い構造ではなかったはずですが、今回の地震のように、震度が浅く揺れる時間が長いと揺れが増幅してしまうのか、連結部に負担が集中してしまうのか、折れてしまうようです。
中途半端に土木構造物や地盤工学的な知識があるため、被災現場の光景を理屈化すること出来てしまうのですが、これが結果として怖さを薄める事に繋がったと思います。
こうやって気持ちを切り替えないと、自分の使命である被害状況の確認と復旧方法の検討を忘れて、被害状況に茫然としてしまうので。。
津波に街ごとのまれてしまったような場所には行きませんでしたが、現場に行くと映像とは違って嗅覚や触覚で感じ取る状況があるので、より恐ろしさが増しました。
補足
当方は仕事であるという責任感で被災地に行く事が出来ました。ボランティアで行けるかどうかというと地震や勇気はありません。
いまだ行方不明の方もいらっしゃいますし、不自由でプライバシーの無い避難所での生活を送られている方々、ライフラインの復旧もままならない地域、まだまだ予断を許さない福島第一原発の状況も理解した上でこんな書き出しをしてみました。
事実、3月12日からこの2ヵ月間の当方の仕事内容がタイトルから冒頭にある様な事続きだったのです。
例年なら、繰り越しになった業務を淡々と消化したり年度末にサボっていた社内書類の作成などで、比較的余裕のある時期ですが、驚く量の休日出勤と残業でした。
当方が回ったところは、栃木県内各所と茨城県の一部市町村です。
震度6強を記録した地域ですが、津波の被害を受けなかったところがほとんどでしたので何もかも無くなってしまうような光景を見る事はありませんでしたが、瓦が落ちたり塀の倒れた町並みには、波打つ道路・床板が落ちて橋脚のみになってしまった橋、土砂崩れや落石跡を見ると気持ちが大きく落ち込みました。
宇都宮市内から被災地に向かうと川ひとつ、山ひとつ越えて行くたびに被害状況が深刻になっていくのは、仕事で向かうと行っても、気持ちは沈んでいきました。
当方は、物見遊山に向かう事は出来ないです。
個人的な事情でとても衝撃的だったのは、既存の橋梁や法肩にバルコニーのように付け足した、いわゆる張り出し歩道が軒並み折れている道路を見た時です。
この構造物は何箇所か設計した事がありまして。。
決して、震度に弱い構造ではなかったはずですが、今回の地震のように、震度が浅く揺れる時間が長いと揺れが増幅してしまうのか、連結部に負担が集中してしまうのか、折れてしまうようです。
中途半端に土木構造物や地盤工学的な知識があるため、被災現場の光景を理屈化すること出来てしまうのですが、これが結果として怖さを薄める事に繋がったと思います。
こうやって気持ちを切り替えないと、自分の使命である被害状況の確認と復旧方法の検討を忘れて、被害状況に茫然としてしまうので。。
津波に街ごとのまれてしまったような場所には行きませんでしたが、現場に行くと映像とは違って嗅覚や触覚で感じ取る状況があるので、より恐ろしさが増しました。
補足
当方は仕事であるという責任感で被災地に行く事が出来ました。ボランティアで行けるかどうかというと地震や勇気はありません。