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イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【プジョーな話】トラクシオンの陰に隠れる一方の雄、プジョー402まつり。

2011-03-31 | プジョーな話。


アニメの名探偵ホームズが乗っていたような、馬車にタイヤがついたようなクルマではなく、
なんとか現代でも乗れるんじゃないか、というクルマが出始めた1930年代以降、
戦前のフランス車ではトラクシオン・アヴァンがあまりにも有名で、逆に言えば、
ライバルだったプジョーや、ルノーがどんなクルマを作っていたのか、
むしろあまり知られていないように思います。


今日の「まつり」は、一部の方に熱狂的に支持をいただいた2週連続のタルボからいったん脱出し
(汗→でもいったんってことはまだ続くンかw)、
そんな戦前、1930年代のプジョーの1台...アールヌーボ的であり、アールデコ的でもある、
フランス以外からは出得ぬサルーン、「プジョー402」をお送りします。



きゃーすごい寄り目!



え、今度は急に古すぎだって?(汗


メーカーの発足から、402の登場までをおさらいすると誌面があっというまに尽きるほど、
歴史のあるメーカー、プジョー。なにしろ創立は1890年!
元は自転車や歯車などの製造をしていた会社なので、
現在でも、自転車、ペッパーミル等の製品を生産しているのは有名な話です。


発足以来、同族経営、堅実な設計、それでいて実際は進歩的な技術を持っていたこのメーカーは、
戦前から前輪独立懸架、シンクロメッシュ付きのギア、そして自製のダンパーまで備え、
他のメーカーより一歩先んじていたのですが、ルノー、そしてシトロエンのライバル車たちも
追いついてきてしまいました。


とくに、シトロエンは1934年、なんと前輪駆動、モノコックボディを先駆採用した量産乗用車として
あまりにも有名な「トラクシオン・アヴァン」を登場させました。
それに対するプジョーの答えとも言えたのが、この402なのです。



いうまでもなくトラクシオン・アヴァン



現在にも通じる、プジョーの「X0X」という数字車名は、402が登場するのをさかのぼること6年前、
大衆向け大量生産車として登場した1Lクラスの「201」で、最初に採用されました。
その後プジョーは、201のひとつ上の1.5Lクラスをになう「301」、さらにその上、
1.7Lの「401」、そしてハイエンドモデルとして、2.2Lエンジンを積んだ「601」と、
次々と「01」シリーズを生み出して行きます。


そして次の「02」シリーズの最初を飾ったのが、この402。
シャーシ設計こそ401のものを低床化したもので、
トラクシオン・アヴァンとは異なり後輪駆動でしたが、
この車のエポックは、なんと言ってもその流線型のボディ・デザインでした。



402B リムジン



この頃流線型がとても流行しており、
日本でも蒸気機関車に流線型のカバーをつけたC55が、
まさにこの402と同じ頃に登場したりしています。
ですが、自動車(量産車)に流線型を取り入れて販売数を伸ばしたのはプジョー402が始めてでした
(流線型を取り入れたといえば、厳密に言えば、
その直前に出たクライスラー/デ・ソートのエアフローという
クルマ...商業的には失敗...があって、しかも402はこれに似てるんですが...)。



グリルの中のライトがよくわかる



スラント気味のグリルにはなんと中にヘッドランプが仕込まれ、
前後フェンダーの間にはステップもないという、当時では相当に大胆なデザインだったのです!


402には4ドア6ライトのリムジン、ロードスター、
クーペ・デカポタブル(コンバーチブル)、クーペ・トランスフォルマブル(格納式ハードトップ!)、
タクシー、コメルシアルなどなどの、数多くのバリエーションがありました。




いちばん標準的なモデルのリムジンでは、全長は4.85m、全幅1.65m、全高1.58mもある大きなクルマでした。
ホイールベースは3.15mのノルマルと、3.3mのLの2種類が用意され、
後者になると全長は5mを超えていました。



たぶんこれはリアドア以降の窓がちょっと長いのと
サードシートがあるので、リムジンの「L」だと思うんだが。




ちなみにこれもリムジンの「L」だ。
ファミリアールって名前ではなかったのかな?


まあトラクシオン・アヴァンのノルマルも、正直大きなクルマでしたが(^^
しかも、この「L」には、いかにもフランスらしい屋根の開くモデルが用意され、
まだまだ戦前の華やかなりしころの自動車文化の香りを漂わせていました。



その中でも白眉は、「トランスフォルマブル・エレクトリーク」です。
のちの206CCや207CCもびっくりな「電動格納式ルーフ」を持っていたんです!
格納ルーフで有名な1957年のフォード・スカイライナーよりも20年以上も前に!



派手にトランクが開くが剛性は平気なのかw



犬っぽい


実際には前述の601や401でもすでに採用されていたものではあるのですが、
この402がその集大成ともいえるものでしょう。



402のエンジンは1935年から1938年までは2Lでしたが、
1938年途中からマイナーチェンジを行い402Bに進化した際に、2.2Lとなりました。




ところで、プジョーは402の生産をしつつ、ひとまわり小さな1.8Lの「302」を1936年にリリースしています。
トラクシオン・アヴァンでいう「レジェール」に相当するモデルとも取れる302は、
外観こそぱっと見402とそっくりですけど、全長4.5m、ホイールベースも2.88mと、
402に比してだいぶコンパクト。


で、ややこしいのはここから。
1936年、この302に402の2Lエンジンを積んだ「302SS」が登場するのですが、
これが翌1937年、「402レジェール」として402シリーズに編入されるのでした。



402レジェール



402レジェール コーチW3
世界で初に近い、Bピラーのない設計。




さらにさらに、翌1938年には前述のとおり402は402Bになったのですが、その際この
402レジェールも402Bレジェールになり、エンジンも2.2Lになり、
その際、ベルリンの外観も大幅にモディファイされたのです。
窓を大きく、ピラーを細く、ボンネットも長めに見せるなど、
プジョーが「ベルリン・スポール」と呼ぶほどのスポーティなスタイルになりました。



402Bレジェール。


これも402Bレジェール。サンルーフもプジョーの伝統。



402B レジェール コーチ・デカポタブル グランリュクス。
302、402時代からある、5座のコンバーチブル。





しかし、この頃のクルマってのはほんとうに優雅ですね...。
402は、サイズの大きめなふつうの乗用車...
今で言う、407あたりのクルマなのですが、
リアフェンダーにはライオンをモチーフにした飾り、そしてさらには
グリルの上にはマスコットのライオン、402の車名の入れ方...何もかもが、
エレガントです(この車名の入れかたは、402の後期型でもある402Bのもの)。





なお、プジョーにも、ルノーのアルピーヌ的なチューナーがいたのですが、
それが「ダールマ」。
ダールマはこの優れた設計の402を用い、
402レジェールをベースにした「ダールマ・スポール(402DS)」を販売しただけでなく、
レーシングバージョンとしてルマンにも出場した「レーシング・スパイダー」も製作していました。


レーシング・スパイダー
丸い熱気抜き穴が魚っぽい(汗


さいごおまけ。
世界最悪クルマ大全という本で、「プジョーの...あの...なんだっけ
60いくつだっけ?」って言われちゃってた604との2ショット(涙







>>うう、402Bのでっかいリムジンか、402Bレジェールが欲しい。

>>ちなみに402の生産台数は約8万台、402レジェールは2万5千台だそうで、
生産年月が23年にも及び75万台を生産したトラクシオン・アヴァンと比べてしまうと、
だいぶ少なく感じてしまいますね。

>>トヨタ博物館にあるらしいんだよね402。ううむ、見に行きたい。


>>ちなみに402Bの後ろ姿はこんなの。







コメント (11)
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