太郎左。たろうざ、と読みます。
昔、我が家に居たオスのヒマラヤンです。
彼が17歳くらいで死んだのはもう7~8年前になるかと思います。
この子は、はっきり言うと未熟児で、我が家に来たときは手のひらに入るほどの
小さな猫でした。お袋が、エプロンのポッケに入れていたくらいです。
成猫でもまるで子猫のような大きさにしかなりませんでした。
猫としては、ちょっと抜けていて、ベッドで逆さまに落としても回転できず
(猫は、逆さまに落としても必ず足で着地する)、
トイレの躾も全然覚えませんでした。
我が家はそこいら中にタロウザのおしっこのニオイで、大変でした。
カバンや、新聞、フロアマットなど、
フロアに置いてるものには容赦なくおしっこするので、
いっつも、家族に怒られていました。
今思うと、ほんとに厄介な子だったのだけど、
でも、この子は本当に可愛かったんです。
お日さまが大好きでした。太陽が出ていると、ほんとうに嬉しそうに、
目やにで一杯の目を薄くしながら、目一杯の伸びをして、
そして気持ちよさそうに転がるのです。
冬の夜は、布団に一緒に入れて、腕の中に抱えると、
ゴロゴロいいながらもみもみし始めてやがて眠ってくれたり。
そんなタロウザと、今日会いました。
え?死んだ猫でしょ?
いえ、たしかに、会ったんです...。
...お昼、会社で昼寝していたときのことです。
自分は椅子を2~3並べて横になるのですけど、その時はうつらうつらで、
深い眠りでは無かった。椅子の存在を、明らかに知覚していたからです。
つまり、僕は夢の中には居なかった。
でも、頭の横に、猫が居るのを感じました。
知っている猫が。
その猫は、頭の脇に来たあと、横になっている僕の胸元に来たようです。
目は閉じています。意識は、半分くらい起きています。
その猫がタロウザだとわかるのに、時間はかかりませんでした。
手を伸ばして、触ってみたら、痩せたからだの背骨の隆起がわかりました。
ちょっと貧相な毛並みは、明らかに触ったことがある猫の...
僕は涙を流していました。
タロウザは、確かにそのとき、僕のそばにいたようです。
撫でてあげました。その時のリアクションも、
僕の涙を誘うに充分でした。
気が付くとお昼休みは終わっていました。僕はその後、熟睡してしまったようです。
でも、手のひらのタロウザの感触は、忘れていません。
来てくれたのかな、タロウザ。何を思って来てくれたかわかんないけど、有り難う。
お前は、暗いところにいるんではないんだね。
良かった。のんびりと、好きなもの食べて暮らしているのかな。
>>我が家には、動物がいなかったときがほとんどありません。
その都度、別れと出会いの繰り返しでした。
今、実家にいる3匹の愛しい猫たちにも、きっといつか別れがきてしまう。
そんなこと考えたくないけど、でもそれもまた哀しい現実なのです。
昔、我が家に居たオスのヒマラヤンです。
彼が17歳くらいで死んだのはもう7~8年前になるかと思います。
この子は、はっきり言うと未熟児で、我が家に来たときは手のひらに入るほどの
小さな猫でした。お袋が、エプロンのポッケに入れていたくらいです。
成猫でもまるで子猫のような大きさにしかなりませんでした。
猫としては、ちょっと抜けていて、ベッドで逆さまに落としても回転できず
(猫は、逆さまに落としても必ず足で着地する)、
トイレの躾も全然覚えませんでした。
我が家はそこいら中にタロウザのおしっこのニオイで、大変でした。
カバンや、新聞、フロアマットなど、
フロアに置いてるものには容赦なくおしっこするので、
いっつも、家族に怒られていました。
今思うと、ほんとに厄介な子だったのだけど、
でも、この子は本当に可愛かったんです。
お日さまが大好きでした。太陽が出ていると、ほんとうに嬉しそうに、
目やにで一杯の目を薄くしながら、目一杯の伸びをして、
そして気持ちよさそうに転がるのです。
冬の夜は、布団に一緒に入れて、腕の中に抱えると、
ゴロゴロいいながらもみもみし始めてやがて眠ってくれたり。
そんなタロウザと、今日会いました。
え?死んだ猫でしょ?
いえ、たしかに、会ったんです...。
...お昼、会社で昼寝していたときのことです。
自分は椅子を2~3並べて横になるのですけど、その時はうつらうつらで、
深い眠りでは無かった。椅子の存在を、明らかに知覚していたからです。
つまり、僕は夢の中には居なかった。
でも、頭の横に、猫が居るのを感じました。
知っている猫が。
その猫は、頭の脇に来たあと、横になっている僕の胸元に来たようです。
目は閉じています。意識は、半分くらい起きています。
その猫がタロウザだとわかるのに、時間はかかりませんでした。
手を伸ばして、触ってみたら、痩せたからだの背骨の隆起がわかりました。
ちょっと貧相な毛並みは、明らかに触ったことがある猫の...
僕は涙を流していました。
タロウザは、確かにそのとき、僕のそばにいたようです。
撫でてあげました。その時のリアクションも、
僕の涙を誘うに充分でした。
気が付くとお昼休みは終わっていました。僕はその後、熟睡してしまったようです。
でも、手のひらのタロウザの感触は、忘れていません。
来てくれたのかな、タロウザ。何を思って来てくれたかわかんないけど、有り難う。
お前は、暗いところにいるんではないんだね。
良かった。のんびりと、好きなもの食べて暮らしているのかな。
>>我が家には、動物がいなかったときがほとんどありません。
その都度、別れと出会いの繰り返しでした。
今、実家にいる3匹の愛しい猫たちにも、きっといつか別れがきてしまう。
そんなこと考えたくないけど、でもそれもまた哀しい現実なのです。