ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

33、プリマス植民地

2007年07月14日 | Weblog
プリマスプランテーション(Plymouth Plantation)1620年にイギリスからメイフラワー号に乗ってきたピリグリム・ファーザーズによって開かれた開拓村です
開拓時代の生活を再現していて、12戸の入植者の家、先住民のキャンプ跡、物々交換の場となった砦の集会所などが再現されています。
当時の衣装をつけた人が開拓時代の生活を再現して見せてくれるので、その当時にタイムスリップした気分になります。
彼らはこの地で自給自足の生活をしていました。
プリマス植民地はアメリカ合衆国の出発の地です。
以後続々と建設された植民地の先がけとなり、1776年の独立へと続いていきます。
神を敬い、人々を愛する良心を重んじるアメリカの精神的ふるさとです。

日本人は神という概念がありませんが、アメリカ人に「神を信じますか?」という質問は成り立ちません。
神(GOD)は彼らの生活の一部になっています。
それはキリスト教の神です。
しかし、最近はいろんな人種の人が住むようになってきたので多様化されてきているようです。
私がアメリカに行った1973年ごろは日曜日にはほとんどの商店は休みでした。
日曜日は仕事を休んで教会に行のが当然のことと考えられていたのです。
しかし、80年代に入ると日曜日も開いている店が多くなり、その後日曜日に閉まっている店は無くなりました。

32、メイフラワー2世号

2007年07月14日 | Weblog
ボストンから車で1時間ほど南に行ったところにある、小さな町プリマスに係留されています。
現在係留されているものは当時のものではなくメイフラワー号を模して復元された三本マストの帆船で、メイフラワー2世号と呼ばれています。
1957年にイギリスで建造され53日かけて実際に大西洋を航海して来ました。
181トンで、長さ35m、幅8mあまりで、船内にはピルグリム・ファーザーズが航海した当時の船内での生活が再現されています。

メイフラワー号( the Mayflower)は、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖たち)が1620年イギリス南西部のプリマスから、新天地アメリカに渡ったときの船の名前です。
11月19日にケープコッド、12月21日にプリマス沿岸に到達しました。
イギリスからアメリカに向けて大西洋を航海してくると位置的にケープコッドを通過してプリマスに到達することになります。

メイフラワー号はイギリスからアメリカまでの大西洋4,400kmを66日間かけて横断しました。
天候のせいか、または操縦が未熟だったせいか、イギリスのプリマス港をでてからアメリカ大陸のケープコッドをみるまでに64日かかり、予定よりも大幅に到着が遅れました。
ちなみにコロンブスは、スペインから46日で新大陸に着いています。
最初の冬に食料不足と病気で、半数以上が亡くなるという不運にみまわれましたが、先住民の助けにより、また不屈の努力でニューイングランド最初のプリマス植民地を築き、歴史に不滅の名を残しました。
当初はボストンよりも約1000キロも南の温暖なバージニア地方を目指してやって来ましたが、嵐のために北に流され、寒いプリマスに上陸したそうです。
翌1621年の秋、初めての収穫が行われ神の恵みに感謝しご馳走をいただいたことが感謝祭の始まりであるとされています。

メイフラワー2世号の近くにはピルグリム・ファーザーズが上陸第一歩をしるしたと言われる大きな石プリマス・ロック(Plymouth Rock)があり、1620と刻まれています。
アメリカでは神聖な“国家の礎石”と呼ばれています。
近くにはプリマス植民地があり当時の生活を再現しています。

写真はメイフラワー2世号とプリマス・ロック