ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

47、ロマンを求めて

2007年09月17日 | Weblog
今回はアメリカではなく日本の古代にロマンを求めてみました。
先日吉野ヶ里遺跡に行ってきました。
吉野ヶ里遺跡に行ったのは今回で5回目になります。
吉野ヶ里遺跡発見のニュースはアメリカでも報道されていたので、日本に帰ったらぜひ行きたいと思っていました。
1993年3月に帰国した夏、さっそく見に行きました。
その時は発掘が始まったばかりで一部分しか調査されていませんでした。
その後2~3年おきに行きましたが、行く度に姿が変わっていて今も発掘調査が行われています。
2回目に行ったときは福岡から自転車で山越をしました。
険しい山を自転車を押しながら登り、峠を越え佐賀へ入りました。
3時間くらいかかりました。
帰りは遠回りでしたが平地を自転車を漕ぎながら福岡まで帰りました。
途中足がつって何度も休みながらやっとの思いで辿り着きました。

今回は5年ぶりの訪問でしたがビジター・センターなどもでき見違えるようにりっぱになっていました。
発掘された遺跡も広がり、当時の「クニ」の全体像が見えてきたようです。
現在、国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっています。
以前はJR長崎本線の神崎駅で降りて歩いて20分くらいでしたが、今回は1駅鳥栖寄りの
吉野ヶ里駅で降りました。(新しい駅なのかな? 5年前にもあったのかな?)
駅を降りるとそこは古代の匂いがしていました。
遺跡まで歩いて10分くらいですが、途中に古代米を栽培しているところがあり、山並みを背に広がる遺跡が見えました。

位置的には北(背後)に山を抱え、南(前方)に有明海を臨みます。
最初に訪ねたとき小高くなっている遺跡から周りを見渡し、古代の「クニ」を創るには最高のロケーションだと感じました。
背後の山は敵の侵入を防ぎ、前方に広がる海は交易を盛んにします。
卑弥呼も中国や朝鮮と盛んに交易を行っていたようです。

邪馬台国は何処にあったのか?
多くの人がさまざまな説を唱えていますが、謎のままです。
同じ魏志倭人伝を研究して推理しても百人居れば百の意見があります。
邪馬台国についての多くの本を読みましたが、方位に関するものが多かったように思います。
人によって解釈がまちまちでした。
ある人は「当時の中国では東のことを南と言った」とか「当時の1里は今の半分だった」などと言ってその人なりの場所を推定しています。
これでは「百人居れば百の意見があるな」と思いました。

専門的なことは分かりませんが、私が最初に魏志倭人伝を読んだとき、気になったのは
「冬でも生野菜を食す」という箇所でした。
「へー、冬でも生野菜ができるんだったら、温暖なところなんだろうな」と思いました。
当時どんな野菜があったか分かりませんが、品種改良して耐寒性の作物を作ったとは思えません。
冷蔵庫もなかったと思います。(自然の貯蔵施設はあった。)
まして弥生時代は現在よりも寒かったようなのでなおさらそう思いました。
私が読んだ本で、この事に触れた本はあまりありませんでした。

吉野ヶ里遺跡は1986年から発掘調査が行われています。
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に広がる、弥生時代の大規模な環濠集落跡です。
物見やぐらや二重の環濠などがあり、日本の城郭の始まりとも言えるもので、日本100名城に選出されています。
弥生時代前期(紀元前3~前2世紀) に吉野ヶ里の丘陵地帯のあちこちに「ムラ」ができ、南のほうの集落に環壕が出現します。
中期(紀元前2~紀元1世紀)になると 吉野ヶ里の丘陵地帯を一周する環濠が出現し、墳丘墓や甕棺が多く見られるようになっていきます。
集落が発展していくにつれ、防御も厳重になっていきます。
後期(紀元1~3世紀) になると建物も巨大化していきました。
環壕がさらに拡大し、二重になり北内郭と南内郭の2つの内郭ができ、最盛期を迎えます。
これらは魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の記述に良く似ていて国の特別史跡も指定されています。
また、有柄銅剣やガラス製管玉等の出土品は国の重要文化財に指定されています。
卑弥呼が活躍したのはこの頃で、「邪馬台国」の時代を彷彿とさせます。

弥生時代は約600年間も続いた長い時代で、吉野ヶ里遺跡はこの長い弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見されています。
しかもそれぞれの時期の特徴をよく表しているものが見つかっており、この時代にどのように社会が変化していったかが分かる極めて学術的価値の高い遺跡です。
吉野ヶ里歴史公園では「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」を復元整備対象時期として、これまでの発掘調査成果や民族学などさまざまな専門分野の研究をもとに復元整備が行われています。

巨大な物見やぐらに立って周囲を見回すと「弥生時代の人たちもこのような光景を見ていたんだろうな」と感慨にふけりました。