ウヰスキーのある風景

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言葉は壁

2018-02-20 | 雑記
改めて、というほどではないが、前回の記事を振り返れば、結局いつも言っていることと変わりはない気がする。

要約すれば、枠組みから外れていないのに、まるで脱却出来たかのように思っている上に、その枠組み内で、否、むしろその枠組み内にいるからこそだが、こちらは正しい、あちらは間違っている、ということをやっているだけだという話である。

漸く、要約できたなぁ、などとふざけても仕方ないので、もう少し補足を。

何ゆえああいう風に考えるのかという所を詳しくいうならば、そもそも理解している人なら読んだら、というより既にわかっているだろうが、それはというと、「人間は素晴らしい」という既成概念である。

キリスト教は、神が自身に似せて人間を創ったから素晴らしいのだ、という。

あさりよしとおの漫画に『るくるく』という、宗教を扱った漫画がある。その中で、下級天使のキャラがいて、「神が創った人間は完璧なんだ」みたいなことを言って、まわりに馬鹿にされるというのがある。
二足歩行したせいで腰痛になったりするのに、どこが完璧なんだ、と吹きだしではない台詞で皮肉っていたものである。細かい台詞やらは本当に忘れたのだが、そういう内容である。

前回にも触れたが、現在の人類には原罪があるからよろしくない、ともキリスト教は言っているのかはしらんが、これも有名なところ。

それから振り返ってもらおう。神様と言っていないだけで、あれらの論理はまるっきり変わらないのだと。


オカルトやらスピリチュアル的な話になるがもう少し。あれらもかつて触れていた話なのだが、地球というのはロクデナシの魂が集まった、いわば監獄なのだという。

もしそうだとして、監獄としての地球に最初に収監されていた人類の祖先というのを神様と見なすというのは、ただのコンプレックスの裏返しでしかないのでは?となる。

そしてもう一つ。キリスト教は白人の宗教である。神に似せて創られた人間というのは、すなわち、白人を指している。

何ゆえそうなったのかは前回は触れてないのだが、そもそも、白人は黒人のアルビノの末裔である。

黒人に迫害されていた白人のコンプレックスの裏返しでもって出来上がったのが、キリスト教なのだといえる。

だから、キリスト教の神は白人である。ただ、大昔は大雑把にキリスト教などと言っても白人だけのものではなかったので、ある地域のマリアの肖像は肌が褐色だったりする。発生直後のキリスト教と、現代のものは完全に同じではないのかもしれないが、その辺りは余談になるので、上記の理解でよろしい。

「人間は素晴らしい」という思い込みは、その思い込みの基準からしたら「人間」らしくない存在は人間ではないという理屈とセットになる。
上記の白人のための白人によるキリスト教の歴史を紐解くまでもないが、つまりは選民思想になるというわけだ。

先ほども触れた、地球が牢獄というのから、考えてみよう。囚人同士が、「俺は一人しか殺してないから、三人殺したお前よりマシだ」などと罵り合っているようなもので、余りにもバカバカしいというのは想像がつくだろう。

こういう見方は、何も今に始まったわけではない。昔も触れたが『歎異抄』に、悪人正機というのがある。

善人なほもて往生をとぐ。況や悪人をや。という一説は、他でも聞いたことがあるだろう。

宗教学者のひろさちやが解説しているが、悪人というのは、この世に生きている人全部を指している。うっかり悪事を働いたり、人を傷つけてしまったりと、本来皆悪人なのだと。悪人といっても、大量殺人鬼だとかそういうことだけを指しているわけではない。
善人というのは、そういう人間の情けなさやバカバカしさを自分も持っているのに頬かむりしている、偽善者だという。

そんな悪人より救い難い善人ですら往生できるから、悪人が往生できて当然だ、という意味である。

地球を牢獄だと見立てた話で続ける。そこにいるのは「悪人」である。

「俺は一人しか殺してないから、三人殺したお前よりマシだ」などと言い合っているのを見たとして、どう思うか?

どっちも同じだろうと。


そのようなわけで、「人間は素晴らしい」とかいうつまらん思い込みは投げ捨てるに限るのである。

良いとか悪いとかというのは、上の囚人の罵りあいと変わらんのだと。

とはいえ、牢獄内で殺しを犯した、とかなれば、刑が重くなったり、死刑になったりはするので、そういう意味での良い悪いは当然ある。ご注意を。


本当は別の話をする予定だったが、長くなってしまった。が、続けてしまう。


先日、去年の六月ごろから再開していた、オンラインゲームにログインしなくなった。一週間近くなる。

そもそも始めた理由は、大っぴらには「家から出ないようにする理由作り」だった。

ここで触れたかは忘れたが、大っぴらでないほうは、自宅で書いてる妄想駄文のキャラに、そのゲームのプレイヤーキャラを使ったので、どんな顔だったか見に行こうと思った、というのもある。

なんのゲームかというと、S○GAのPS○2である。知っている人は知っている、キャラクターメイクが優秀なゲームなので、なかなか凝った姿を作れたりする。

あれの4つ目のシナリオの舞台が地球で、ゲームだと思ったら現実だった、という流れのものになっていたのもあって、つい書いてしまったのだが、そこは余談である。

さて、ある日のこと。

公式HPには、予定表がある。年次改革要望書、ではないが、この日の何時にこのイベントがある、と一週間書かれている。

その週だけのブースト企画で、敵を強くする代わりに手に入るかもしれないアイテムの出易さやらを調整したイベントがあった。

高級品は、わざわざ出現時に画面の真ん中へ「RARE DROP」などと表示し、最高、もしくはその一個手前なら、文字の色と効果音まで変えてお知らせしてくる。
現物だったり、種類だけは拾う時には判るが、どういうものかは鑑定にかけないと判らなかったりだが、最高級、もしくはその一個手前は虹色に光る。
今後のアップデートでさらに上のランクが出ていたら、今の説明はちょっとずれることになるが、気にしないで頂く。

というわけで、昔からの付き合いの仲間一人と出撃し、粛々とアイテムを拾い、鑑定を済ませた後、拙はいった。

「虹は雨上がりだ!宇宙にはない!」と。いい物が出なかったと、捻っていったわけだ。

虹については、長々と説明した上の件である。別にオリジナルの用語ではなく、界隈では略称で虹と呼ばれたりする。上記のブースト企画は、そういうのが出易くなるよう調整したものであった。

宇宙は、そのイベントの戦闘場所が宇宙空間だったからである。ゲーム内で設定されている地球やら他の惑星上ではない。天候の設定があって、場所によっては時間経過によって雨が降ったりする設定がある。

別に言ったことを全部理解してもらう必要もないので、「いいものが出なかったんだろうな」ぐらいで受け取ってもらえればいい話なのだが、何故か突っかかってきたのである。

「何の話かな?」と。これ自体は突っかかりとはいえないが。

そりゃ、さっきのイベントの話だと返し、上のような説明を簡単にした後、こう返してきた。

「もっと通じるように言葉を選んでもらえないかな」と。

今思えば、相方のその時のキャラがシャーロックホームズをパクった台詞をやっているキャラだったので、そう突っ込んできたのかもしれない。ロールプレイというやつである。平たく言えば、なりきり。

わからんのなら、ああそう、で流せばよかろうと返すと、そっちがそれでよければ、そうするけども、という。

そこで不思議に思ったので、いつもの壁(物陰から覗き見しているアスキーアート。相方は辞書に登録して、「かべ」を変換してだせるようにしてあった)がそういう意味ではなかったのか?と問うてみると、こういう。

「あれは突っ込み」だと。

そして意趣返しで、「言葉にしなければ通じないと思うがねぇ?」と嫌味たっぷりに返して、それから別れの挨拶をして終わり、それっきりという流れになったものである。
それを持って辞めた、というより、以前から上記の言い訳が無意味だと感じていたのを、そのやり取りが後押しして確信にした、というところか。
そのやり取り自体も不毛だったし、楽しんでいるならまだしも、そもそも楽しむのが目的で始めたわけではないという不毛な理由なのだから、不毛の二乗が功を奏してしまったようである。


拙の上記の突っ込みも辛辣であろうし、その日は何か嫌な気分がしていたので、そこはかとなくイライラしていたことも覚えている。通じにくい発言だけでああいうやり取りになったわけではなかったのだろう。
仙人などと呼ばれたりすることもあるが、飽くまで悪人であるゆえ、半ば八つ当たりをしたりするわけである。


そのやり取りの後日に思い出したが、その件のAA(アスキーアート)が突っ込みになっていなかったという件があった。

別の人物とのやり取りで、詳しい内容は知らんが、別のゲームかアニメだかのキャラの話をしていたのだろう。そこで壁の人(今思いつきでつけた)が、話に呆れたのか、件のAAを出した。

すると、「突っ込まれた」方は勘違いして「なんだ、興味あるんじゃないか」とやり取りしていたものである。

そのAAが突っ込みになっていた時もあるだろうが、万事が万事、ただの記号で出来るわけもなく、頭の中で思い描いたか何かで印象に残ったことをただ繰り返しているだけなのだろうと感じる。

これは、別にそのAAだけの話ではなく、我々が普段用いている言葉自体が、そのAAと同じことになっているのである。



言葉は壁かもしれない。そう考えてみるのもよかろうと、思うしだいである。


では、よき終末を。