ウヰスキーのある風景

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計画通り

2017-06-07 | 雑記
先日、馴染みのお店で問われた。

「結婚しないのか?」と。

そういえばこの話はしていないと思い、実家が創価学会で云々とはじめ、拙自身は所属していることに嫌気がさしている点、もし仮に結婚することになれば、一般人なら入会を勧めるというより半ば脅迫されるであろうから、そうなると相手が可愛そうだと伝えた。

「色々つらかったろうね」と少し同情されたものである。親については、今はそうでもないと、答えておいた。

さらに、「そういうのを乗り越えられる人がいたら?」とも聞かれた。

「いたら、考えるかもしれません」としておいた。

つまり、そういう人はいない、というつもりである。

拙は結婚できない理由として、上記のことをいつも取り上げる。

後は金がないとか、生活態度がメチャクチャだとか、いわば言い訳ではある。


それでふと考えた。


人というのは、しようと思ったことしか出来ないのである。当人はそう感じてないだけで、そう動いているのだという。

本当に彼女が欲しいなら、それに沿った行動をするものである。だが、まったくしない。以前やりかけたが、梨の礫である。

家庭の理由でしづらいのは飽くまで想像(だけではないが)であり、するだけなら出来るだろう。まあ、実家には顔を見せるだけで、縁を切るかもしれんが。

しつこくて申し訳ないが、件のおっさんとその愛人。

結婚しようとしないのは、本能に反する的な言い草で、拙に説教してきたものである。

「幸せになりたくないのか?」というのである。

記憶は多少曖昧だが、その時も冒頭の話をしたものである。


さて、話は昔に戻る。

中学の英語の授業だったか。将来の夢というか流れというかを、それまで習った英語で書くというのがあった。

その時の一行と、それを見た教師との遣り取りを今でも覚えている。

I will not marriage.

英語教師は目の前で添削しながらこれを読み、「しないの?気になるなぁ」と言っていた。


拙は当時から思っていた。己のようなものは結婚すると、必ず相手を苦境に立たせるだろうと。

そういう風に考えていたのだが、我が親の結婚生活とその家族の様子を見ていて、「こうなるからやりたくない」と思っていたのだろう。

拙の中学時代の夢は既に叶っていたのである。結婚しないというのが。


ついでに、拙に恋人ができたり、もしくは結婚したらどうやり取りしかねないか、想像してみよう。

女「ディズニーランド行きたい」

拙「ミッキーより多摩のモグラがいい」


女「犬飼いたい」

拙「でかい猫がいい」


女「どこか行きたい」

拙「どこでもいいな?」

そして数時間街中を散策。しかも相手は興味のないようなところばかり行く。
仮にお互い興味のある場所でも、歩いていける距離(拙基準)なら歩いていく始末。


恐らくこんな感じになるだろう。もしくはこうする予定である。これでは相手も疲れる。


テレビや一般的なネットの話題もなしで延々喋ったりと、人によっては受けるかもしれないが、静かなのが嫌な人にはBGM代わりにいいかもしれない。

しかし、そういうつもりで掛かっていくと、貝のように口を閉ざすかもしれない。ううむ。侮り難し。


これを言ったら人のそしりは免れないが、ついでに書いておく。

女「子供欲しい」

拙「ちゃんと餌やるんだぞ」

ここで、「いらぬ」と言っていないのがポイントか?



昔読んだ漫画で見た遣り取りを。

主人公(に変装した別人)が、女をはべらせている。そのうちの一人が抱きつきつつ問う。

女「ねぇ。○○(主人公の名)さん。彼女いるの?」

男「いらん」

女は「何言ってんだこいつ?」みたいな顔をして、もう一度問う。

女「だから、彼女いるの?」

男「だから、いらんっつってんの」


というわけで、結婚しないという子供のころの計画通りに進めておる。
だから、「彼女いるの?」と問われれば「いらん」と答えることにする。

まあ、滅多に聞かれないので、よく忘れる。


では、よき終末を。