夏である。
嫌ごめん、嘘ついた。もう秋です。太陰暦では。
我が掃き溜めのようなワンルームの窓を開けると、向かいのスーパーの駐車場から、宝くじ売り場の宣伝が煩かったりする。
今は休憩なのか聞こえないが、また聞こえるだろう。
今年は冷夏になる、などと言われていたが、雨の降りすぎで肝を冷やしたという意味では冷夏だった方も多かったと存じている。
そーゆー言い方は不謹慎ではないか?といわれそうだが、隣の家も地球の裏側も、わしにとっては等しく遠いので、関係ない。
さて、冷夏(本当に冷夏だったかは措くとして)というからには、今年は蝉の鳴き声があまり聞こえないだろう、そう思っている時期がわしにもありました・・・。
先日は、近所の街路樹の脇を歩いていると、急に「みーん!」と鳴き始めた。
ほお?と思って近づくと、蝉がいる。そりゃまあ、蝉が鳴いてて蝉がいなかったら、空蝉の術だわな。
宝くじ売り場の声が止んでいる今、耳をすませば、かすかに聞こえるような気がするが、パソコンに向けた扇風機の音の方が煩いので、ワカラナイ。
ところで、蝉の世界にも変わり者がいる。変わり・・・物か?まあいい。
土の下にも七年出てきたら七日、というのが蝉の一生だそうだが、何故か子を生さず、その生涯を音楽に捧げる物もあるという・・・。
その生涯は、障害として子供にとっつかまり、標本として生涯さらされるのである。
ともかく、交尾しなかったら延々鳴き続けるらしい。蝉が生きていけないくらい時まで鳴いていたりするとかなんとか。本当かは知らんが、以前、バーで聞いた話である。
夏は蝉の季節。日本ではいたるところで鳴いている。アイスランドとか北極に蝉がいるかは知らんが、きっと世界中で鳴いていたに違いない。
しかし、季節を越え、延々鳴き続ける蝉が、世界には多くイル!
その鳴き声を聞くと、「みーん!」と鳴いているようだが、よく聞くと前に小さく「セン」と鳴いているようである。
センミンゼミとでも呼ぼうかと思っている。
聞き続けるとツクツクいやになるので、拡散をボウシしたいところだが、風物詩は放置するのが華である。
彼らも変わり者の蝉のように、子を生すつもりがない。
代わりに、儒教思想でもあるまいが、音楽で持って礼を身に付けさせるかのごとく、その鳴き声で持って聞くものを修身させようというわけである。
ある意味では、子を生している。
夏が過ぎても終身せず、人の就寝を邪魔しようというのだから、たまったものではない。
※夜勤明けの帰宅後に書いている。
高名な猫のスピリチュアルブログ、『幻の桜』では、「自然はやられたことを返す」という風にいっておられた。
センミンゼミは何故、センミンと鳴くのか。
そりゃあ、センミンゼミの声をずっと聞いてきたからでしょうなぁ。
センミンゼミの子は、やっぱりセンミンと鳴くのではなかろうか。
やられたことをやり返す。ごく自然の風景である。もう夏は過ぎた。終身の秋(とき)である。
嫌ごめん、嘘ついた。もう秋です。太陰暦では。
我が掃き溜めのようなワンルームの窓を開けると、向かいのスーパーの駐車場から、宝くじ売り場の宣伝が煩かったりする。
今は休憩なのか聞こえないが、また聞こえるだろう。
今年は冷夏になる、などと言われていたが、雨の降りすぎで肝を冷やしたという意味では冷夏だった方も多かったと存じている。
そーゆー言い方は不謹慎ではないか?といわれそうだが、隣の家も地球の裏側も、わしにとっては等しく遠いので、関係ない。
さて、冷夏(本当に冷夏だったかは措くとして)というからには、今年は蝉の鳴き声があまり聞こえないだろう、そう思っている時期がわしにもありました・・・。
先日は、近所の街路樹の脇を歩いていると、急に「みーん!」と鳴き始めた。
ほお?と思って近づくと、蝉がいる。そりゃまあ、蝉が鳴いてて蝉がいなかったら、空蝉の術だわな。
宝くじ売り場の声が止んでいる今、耳をすませば、かすかに聞こえるような気がするが、パソコンに向けた扇風機の音の方が煩いので、ワカラナイ。
ところで、蝉の世界にも変わり者がいる。変わり・・・物か?まあいい。
土の下にも七年出てきたら七日、というのが蝉の一生だそうだが、何故か子を生さず、その生涯を音楽に捧げる物もあるという・・・。
その生涯は、障害として子供にとっつかまり、標本として生涯さらされるのである。
ともかく、交尾しなかったら延々鳴き続けるらしい。蝉が生きていけないくらい時まで鳴いていたりするとかなんとか。本当かは知らんが、以前、バーで聞いた話である。
夏は蝉の季節。日本ではいたるところで鳴いている。アイスランドとか北極に蝉がいるかは知らんが、きっと世界中で鳴いていたに違いない。
しかし、季節を越え、延々鳴き続ける蝉が、世界には多くイル!
その鳴き声を聞くと、「みーん!」と鳴いているようだが、よく聞くと前に小さく「セン」と鳴いているようである。
センミンゼミとでも呼ぼうかと思っている。
聞き続けるとツクツクいやになるので、拡散をボウシしたいところだが、風物詩は放置するのが華である。
彼らも変わり者の蝉のように、子を生すつもりがない。
代わりに、儒教思想でもあるまいが、音楽で持って礼を身に付けさせるかのごとく、その鳴き声で持って聞くものを修身させようというわけである。
ある意味では、子を生している。
夏が過ぎても終身せず、人の就寝を邪魔しようというのだから、たまったものではない。
※夜勤明けの帰宅後に書いている。
高名な猫のスピリチュアルブログ、『幻の桜』では、「自然はやられたことを返す」という風にいっておられた。
センミンゼミは何故、センミンと鳴くのか。
そりゃあ、センミンゼミの声をずっと聞いてきたからでしょうなぁ。
センミンゼミの子は、やっぱりセンミンと鳴くのではなかろうか。
やられたことをやり返す。ごく自然の風景である。もう夏は過ぎた。終身の秋(とき)である。