ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

地の底から

2012-04-14 | 雑記
今年は桜をじっくり眺めることがなかったなぁと思い、先日は近所のカレー屋で飲んだ後、川沿いを歩いてみた。

歩道を覆うかのように枝垂れた桜のトンネルが出来上がっており、薄暗い街頭によって幽遠な趣を漂わせている。


ふと一本の桜の枝が、手を伸ばせば届きそうな位置にあった。


立ち止まりしばし眺めた後、これは触るべきではないと思い直し、そのまま帰途に。


そのすぐ近く、一応立ち入りするなとなっている広場で、おっさん達が発電機と照明を持ち込んで、花見をしていた。

騒がしいのは嫌いなので、バカバカしいと思いながら通り過ぎた。



さて、桜とは何か。


桜に纏わる話を古典を紐解いて、などとやれるほど学はない。


昔読んだマンガやらで覚えている、桜の話を少し書いてみよう。


『花の慶次~雲のかなたに~』で、ちと気障ともいえるような話と、花見といえば酒、というしかないような話がある。

戦から帰るといつも咲いてくれている(咲く時期の間にだが)山奥の桜に、お松を連れて行って見せる、なんつう話があったと思ったら、奥州の伊達政宗が花見の席で家臣を切り殺した際、使いで奥州に出向いていて、さらにその近くでこれまた花見をしていた慶次の杯に血がかかり、泥酔していたのもあって、伊達政宗を殴って気絶させるなんて話があった。


奇怪な話としては、諸星大二郎の『栞と紙魚子』という読みきり形式のマンガに一つ。

花見をしに行く話ではあるのだが、その桜が奇妙な桜。

ずっと咲かなかったのだが、ある事件を境にその翌年から決まった周期で咲くようになったという。

その事件とは、そこで首吊り自殺をした人物の命日と、その周忌だった。

いつの間にかいた怪しげな花見客に「もう少しすれば咲く」と言われ待つと、本当に咲き始めるのだが、やはり普通の桜ではなく、怨霊の花が咲き乱れ、荒れ狂う。

その桜は、平将門の残党の首塚の上に咲いたもので、怪しげな花見客は将門を討った平貞盛の武将の亡霊。彼らの百年に一度の花見に出くわしてしまった、という話。


原典があるのかは浅学ゆえにわからないのだが、その本編にこんなセリフがある。


「桜の木の下には死体が埋まっている」とはけだし有名な言葉だが・・・


桜の木の下に死体、といえば、とあるゲームの話で一つ。


東方妖々夢」という、同人のシューティングゲームがある。有名だが、知っている人ばかりがここを読んでいるとは思えない。のだが、細かい説明は省く。

そのラスボス(亡霊である)の邸宅の敷地内にずっと咲かない桜があり、その桜を咲かせようとし、それが原因で春になっても雪が降り続けるという事件が起きる。

そして主人公たちが解明に乗り出して懲らしめられるというわけなんだが、その桜の下には、その亡霊の生前の体、つまり遺体が埋まっており、その桜が咲けば実は成仏してしまうのだとか。成仏だけじゃなくて、その世界が引っくり返るようだが、その辺りはなんとかペディアとかで詳しく読みたい方はどうぞ。



さて、桜のあるところといえば公園だったり寺社仏閣の敷地だったりする。仕事の逝き返り、じゃなくて行き帰りに遠くの山を眺めたりしてみたが、山に桜が咲いている、というのは見えなかった。

あるのかもしれないが、そういえば、自生している桜というのはついぞ話にも聞いたことがない。


メディアで「桜の名所」などと紹介されるところは、やはりどこも何らかの造成された場所であることが多い。恐らく、それしかないだろう。


寺社仏閣は言うまでもないだろうが、なんとか公園と名のつくところ。文献に載っているのかどうかは知らないが、何もないところに記念碑的な何かをするとは到底考えられぬこと。

オカルトだとかスピリチュアルの方面の人の話だが、桜のある公園(公園自体だったか)というものは、そこで人が殺されて埋められた場所であるのだという。


本当は意味が違うが、一般的に言えば、桜を植えているのは「怨霊を鎮めるため」であると。


ならいいじゃないか、と思うだろう。だが、本当にそうだろうか。


「我々」が見える姿(生きた人の姿だったとき)に不当に苦しめられ、奪われ、そして殺された存在。

そして、「我々」が見えない存在(怨霊)となっても、「お前たちは鎮まっていろ」と命令され続ける。


花見とは、知ってか知らずか、殺した訳でもない相手を死後にも痛めつける行為の片棒を担いでいることなのだろう、と感じるのである。


花見から引き上げるときに寒気を感じたとしたら、それは酔いが醒めたせいなのだろうか。飲んでなくても感じたとしたら?はてさて、私には何も見えませんので。


というわけで、今回の話はここから来ている。

お昼寝ごろにゃん島「だんぼーるはうす」の、後半の記事、追伸とあるところから。


誰も面と向かって「元からおかしかったが、とうとうおかしくなったか」などと誰も言わないので、先に言っておく。三十年遅いと。

生まれて三十年掛かって、ようやく私は狂気に戻ったのである。狂気ついでにゲームも辞めようと、こうなったわけである。

今となっては、今まで普通にしてきたことが狂気の沙汰だった、そう感じずにはいられないのである。一体どっちなんだそりゃ。


狂気の沙汰ついでにもう一つ。そろそろこのブログを閉鎖しようかとも考え始めている。

某オンラインゲームの縁で始めたブログである。もうそちらに戻ることはないのだから、辞めるにはきっちりと折り目をつけようと考えているが、一時の気の迷いかもしれない。ブログの閉鎖自体がね。

このブログを消さなかったとしても、あちらのブログのブックマークからこちらに飛んで、てっきりゲーム仲間だと思ったら怨霊がどうとかインボーがなんだとか書いたかと思ったらまったく関係ない話をしたりする怪しげなブログに飛ばされた日には、そちらの感性が疑われること請け合いである。


というわけで、たぶん読んでなかろうが、もし読んでいたとしたら、頭の片隅に留める振りでも。該当はほぼ一ブログのみなので、名指しに近いが。(もう一つは完全な日記なので、別に気にならんだろうと勝手な基準)


私はもうTVゲーム全般を楽しむ気がないが、どうぞ、新しいのが始まったらご堪能ください。では、また。