ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

効果のほど

2011-02-09 | 雑記
酒を飲んで寝てみたものの、特に変わりない。まあ、寝たのが明るくなってからだったので、酒はすっかり抜けていた。それにしても茶がうまかった。先日実家へ顔を出したときに書いたのかどうか忘れたが、実家でも母親が時折、小さめの茶碗と茶筅で茶を点てて飲んでいるのだとか。ただ、母親はコーヒーも飲むので、カフェインのとりすぎにならないように気をつけたほうがよいと伝えた。

あまり口外するな、と言われているのだが、兄が最近医者にかかって聞いたところによると、軽いパニック症候群になっているとのこと。年末年始に帰省した折に本人から母親が聞いたそうだ。

パニック症候群の詳しい話は検索するなり関連書籍にあたるなりを推奨するが、兄の場合はちと動悸がするらしい。ひどく不安になると、健康な人でも胸が苦しくなるようなことがあり得るが、あれよりひどい状況か、頻度が高いか。

パニック症候群の直接の原因かははっきりしたことは決まってないのだが、パニック症候群の人間がよくカフェインを大量に(缶コーヒーを大量に飲んでさらにカフェイン錠剤を飲むのだとか)摂取することがある。それも毎日だそうな。

兄がコーヒーにカフェイン錠剤を飲むような重度のカフェイン中毒かは知らないが、摂りすぎには気をつけて、と余計なお世話をしてきた。母親の代わりにこれを見ているあなたが「なら、お前はアルコール中毒だろう」というのは構わない。だが、本当にアル中だったら一週間そこいらを金がないからといって飲まずに過ごすことはないと思う。しかし、まったくもって証拠立てができないのであった。


さて、前回の終わりにそのまま動画を載せようかと思ったのだが、たまには動画だけ載せて終わることにしようと思って今回に譲った。

そう考えた割りにはなんだかどうでもいい前置きが着いたのは習性というやつである。


四十七発目


いきなり谷から落っこちて、そのまま敵に囲まれて九死に一生を得た感じになった。いやあ、あぶないあぶない。


世十八発目


国内版とオリジナルたる海外版の残虐表現の違いについてつぶやいていたら、コメントが入っていた。ちょっと前に出たPS3版では、虫型モンスターが砕けずに原型を留めてしまうのだとか。なんのためのレーティングなのか小一時間問い詰めていただきたいが、それを決める人間にそんな感性などないのだ、ということで諦めよう。


おまけ


これは、某有名ミリタリーFPSのマルチプレイの練習モード。他のキャラは皆、CPUの自動操作になる。マルチプレイの雰囲気が多少伝わると思う。うっかり歩いてあっさり撃ち殺される歩兵の悲しさに満ち満ちてもいる。では、また。

お一人様

2011-02-09 | 雑記
酒も飲んでない(日曜にワインをグラス一杯飲んだのは気のせい)のに妙な失敗をするので、といっても相変わらず進歩しないと言われるいつものことなのだが、こうなったら酒を飲もうと思い、帰り道にグルメシティへ。

夜中上がりだったので、日付も変わろうかという時分。部屋には先月下旬くらいに買った日本酒が残っている。ならば湯豆腐はどうだろうか、などと考えていたが、いっそのこと一人だけで茶会形式で仕度することに決めた。

茶の湯、または茶道で「茶会」と言えばいろいろあるのだが、丸一日使うような正式なお茶の場合は、まずは茶室に招いて軸を見たり花を見たりという一連の作法の後に、その座敷でお茶、その後懐石、さらに茶となる。大雑把に書くとこうなる。

遥か昔、というほどではないが茶の湯のお茶には二種類ある、と書いたかもしれない。実は人にしゃべっただけなのを混同しているのかもしれないが、改めていう。

茶杓という専用の匙のようなものでお茶碗に二杯ほど入れ、柄杓で一人分のお湯を注ぎ、茶筅で攪拌したものを一人ずつに供するお茶は「薄茶」という。

茶室で亭主が正客やその隣に座す人物にだけ出して、後は裏方から順に出していったり、もしくは茶碗一つを洗って(そういう点前ももちろんある)同座するもの全員に出すという場合もあるが、ともかく一人一碗には変わりはない。

こちらの茶は横文字で言えばカジュアルなお茶で、ゆったりと寛ぎながら茶を喫する。茶の入門にはこのレベルから。

さて、それに対を成す存在が「濃茶」。こちらは茶の湯の奥義とも言える。言うのかは知らないが、一番格式の高い茶で、出すほうも出されるほうも高いレベルを要求される。たぶん。

文字通り濃いわけだが、茶杓一杯を一人分とし、一碗に人数分入れていく。その一杯が薄茶で使う量より多い。表千家総本山の「不審庵」で講習を受けた先輩が言うには「薄茶の量が我々の濃茶並だった」とのことで講義の先生も「これくらい使わないとダメだ」とも言っていたという。料理の匙でたとえるなら薄茶が小匙山盛り一杯なら濃茶は大匙一杯だと思えばいいかもしれない。

そしてその大量の抹茶に対し、注ぐ湯の量はある程度平たくした抹茶が浸かるくらいの量。そして練る。本当に練るのである。テレビなどで茶を点てている場面を見たことがあるだろうか。小気味よいシャカシャカという音を立てるあの映像を。

シャの字もしない静寂。あるとすれば釜で沸く湯の音である。松風(しょうふう、まつかぜとは言わない?)と呼ばれるそうだ。

それを客全員で廻し飲みしていく。色々と動作があり、知らない人にはできないというのもあるのだが、何よりお茶の味が強烈で、お茶が嫌いな人はさらに嫌いになること請け合いである。そこまでいうと冗談が過ぎる。

変な言い方がだが、気付けには打ってつけである。もともと緊張感漂う席にさらなる緊張が走り、終了まで持続できる。


というわけで、その濃茶を、というのはありえないので、懐石と薄茶だけにする。懐石は一汁一菜を基とする。

ご飯と味噌汁と主菜でなる。グルメシティでこういうものを見つけた。



丹波シメジという。さらに大粒とついている。エリンギには及ばないが小さなマツタケのような大きさである。

これで味噌汁にしようというわけだ。


そしてこれが我が懐石である。




茶道部で何度か、茶会を納会のような感じで年の瀬にやった覚えがある。懐石の際に梅酒が出てきたのもまた、よく覚えている。調子に乗って二杯ほど飲んだのは自分だけだった気がするのは忘れたくても忘れられない。

と、いうわけで日本酒も少々飲んで今に至る。これから茶を、と思ったのだが、懐石が出来たのが夜中の二時だった。こうして夜は更け、いつしか明けていくのである。では、また。