ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

計画通り

2009-09-17 | 雑記
こんばんは。

前回の更新分の動画は消えております。執筆開始時点では。

わざとらしく挑発的な事を書いたら案の定コメントが着たのはいいが、
残しておくのも不愉快になったので消してしまいました。

勘違いすんなといわれても、最初から今までも
自分の声がいいなどと思ったこともなく、慣れたくらい。
調教云々はそう考えないからこそ調教されてんだってだけの話。

消えてしまっているので、まあ、見た人にしか伝わらない話ですが。

録音した声が自分と別人の声に聞こえる。テレビに出る人間なんかは
いつも自分の声を妙に思いながら聞いているのかもしれない。
そう考えると、どんな人間の声も不快感を抱く可能性があるわけだ。
誰もそうは思わなくても本人が嫌いだというのもね。

ぐぢぐぢ書いたが不愉快極まることを言われようが言われまいが、
どっちにしても自分の声は嫌いだとしかいいようがない。腹は立つが。

ああいう罵倒する奴の声を不特定に聞かせてどういう反応されるか、
試してもらいたいもんだが、わしの声が不利なのでなんとも言えんが、
昔言われた一言で表すなら「そんな度胸ないんだろう」でしょう。

こんな話ばっかりしててもしょうがないので、録音の声が
別人になる理由について。まあ広く知られてることだろうけど。

声は、声帯を震わせて空気を振動させ、鼓膜へ振動が伝わって、
ということだが、振動したり反響するのは声帯と空気だけではない。

声を出した時に少し観察すると、色々な箇所に何かを感じると思う。

横隔膜の収縮で空気が押し出されて、だとか、声帯の振動がとか。
これはしかし、「ということだが」の前の部分になる。

これは、骨や体内の空洞での反響が原因だそうな。
具体的に簡潔に聞いた話では、頭部内での反響音が聞こえるから、
だったと思う。文字通り直接頭に響いているわけだ。

と書いているうちにアップロードが終わってしまいました。
これからは動画説明文白紙で提出しようかね。

当ブログのアクセス数からすると、ここに来て見てる人はそんなに
いないようで。ここに何を見に来てるのか不思議ではある。



いわゆるお役立ちや時事評論めいたことなんぞ一切なし、
感動もなければ共感も得ない。そんな無駄なことが延々と続く。

感動も何も、そんなものも実際は「無駄」なんだろうがね。

畜生は餌を喰って繁殖する。ヒトは金を喰って繁殖する。
そう譬えるなら、ヒトも畜生も大して変わりませんな。

人間と畜生の違い。おそらく、それは「無駄」の有無。

腹立ち紛れに何書いてるかわからなくなって終わり。またそのうち。