先日、NHKBSプレミアムの映画劇場(BSシネマ)で、黒沢明監督作品の「羅生門」が放送されていた。同監督作品のなかでも秀逸の映画であり、過去に何度か観たものであるが、この作品が、戦後間もない昭和25年に作られたものとは思われないほど新鮮味があり、改めて感動しながら観た。
武士とその妻が旅の途中で、都でも名高い盗賊に出会い、その山中で三人によって繰り広げられた出来事から武士が死亡した。山中に薪を取りに行った杣売(そまう)りがその死体を発見し、驚くとともに検非違使に届け出た・・・。
その検非違使に杣売りと旅の途中で武士とその妻に出会った旅法師が、呼び出されそれぞれ見たことを話した。その内、盗賊が捕えられ検非違使に尋問される。
また、行方知れずであった武士の妻も発見され、検非違使に尋問される。さらに巫女が呼ばれ、その巫女を通じて武士の霊魂が出来事について語った。
ところが、その出来事について、盗賊、武士の妻、武士の霊魂が語ったこと。それらが、すべて三者三様の説明であった・・・一体、真実はどこにあるのだろうか。
映画を観ている観客にその出来事の真実は、どこにあるのかと問いかけられるように物語が進む。また、検非違使に呼び出された杣売りと旅法師が、映画の冒頭に朽ち果てた羅生門に座り込み・・・「分からない。分からない」と述懐している場面から、映画がはじまる。
と、そこに雨に打たれてずぶぬれになった下人がやって来て、雨宿りの退屈しのぎにこの二人の話を聞きはじめる。
何とも物凄い量の雨を降らせながら、黒沢組の名カメラマンであった宮川一夫さんの素晴らしいカメラワークがスタートする。
黒沢映画独特のこだわりのカットが次々と見られる。どの場面を切り取っても、一枚の素晴らしい写真に、絵画にでも匹敵するような場面が続いており、物語の展開以上にその素晴らしい構図、光と影に感動をしながら観ることができる。
検非違使に盗賊が尋問されているところ、白州の後方に杣売りと旅法師の二人が座り込んでいるカット。さらに武士の妻が尋問され、やはりその後方に杣売りと旅法師の二人が座り込んでいるカット・・・とても印象的な構図になっている。
前にいる人物は大きく映され、後方にいる人物が実に小さく映されており、その対比がとてもユニークで一体どのようにして撮影されたものかと考えさせられる。しかも、戦後間もない昭和の時代であるから、兎に角凄いシーンであると・・驚かされる。
さらに山中におけるスピード感あふれるカット、木々の間からの木漏れ日の美しさ、木の葉が一陣の風にそよぐ逆光の部分、影の部分など美しいカットの連続である。次々と厭くことのないシーンが続き、その素晴らしいカメラワークの虜になってしまう映画である。
20年以上も前、NHKビデオクラブに所属していたころ、中央で有名であったカメラマンの方がこちらの放送局に転勤になり、そのカメラマンに指導を請うことができた時分があった
その時、黒沢映画の「羅生門」を見なさい。あれはすべての場面が、カメラマンにとってのお手本になり、あれ以上の教材は見当たらないから・・・と、おっしゃっていたことを思い出した。
今回、久しぶりにこの映画に触れて、この作品の素晴らしさを改めて実感した。正に芸術作品であると思い、感動を新たにしたものである。
ただ今BSシネマでは、昔懐かしいとてもいい映画が放映されている。(夫)
(一枚の絵画である)(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
[追 記]~あらすじ~
平安時代、荒れ果てた都の羅生門で、杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。そこへ雨宿りのために下人がやって来る。下人は退屈しのぎに、2人がかかわりを持つことになったある事件の顛末を聞く。
ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、武士・金沢武弘の死体を発見した。そのそばには、「市女笠」、踏みにじられた「侍烏帽子」、切られた「縄」、そして「短刀」が落ちており、またそこにあるはずの金沢の「太刀」がなくなっていた。杣売りは検非違使に届け出た。旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。
やがて、武士殺害の下手人として、盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は女を奪うため、武士を木に縛りつけ、女を手籠めにしたが、女が「生き残った方のものとなる」と言ったため、武士と一対一の決闘をし勝利した。しかし、その間に女は逃げてしまったと証言した。短刀の行方は知らないという。
しばらくして、生き残っていた武士の妻が検非違使に連れて来られた。妻によると、自分を手籠めにした後、多襄丸は夫を殺さずに逃亡したという。だが、眼前で他の男に抱かれた自分を見る夫の目は軽蔑に染まっており、妻は思わず自分を殺すよう訴えた。あまりのつらさに意識を失い、しばらくして目を覚ましたときには、夫には短刀が刺さって死んでいた。自分は後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言した。
そして、夫の証言を得るため、巫女が呼ばれる。巫女を通じて夫の霊は、妻は多襄丸に手籠めにされた後、多襄丸に情を移し、自らの夫を殺すように彼に言ったのだと回顧した。そして、これをきいた多襄丸は激昂し、妻を生かすか殺すか夫が決めていいと言ってきたのだという。しかし、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したと証言した。
だが、杣売りは、下人に「3人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件を目撃していたのだ。そして、杣売りが下人に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも無様で、あさはかなものであった。
参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他
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武士とその妻が旅の途中で、都でも名高い盗賊に出会い、その山中で三人によって繰り広げられた出来事から武士が死亡した。山中に薪を取りに行った杣売(そまう)りがその死体を発見し、驚くとともに検非違使に届け出た・・・。
その検非違使に杣売りと旅の途中で武士とその妻に出会った旅法師が、呼び出されそれぞれ見たことを話した。その内、盗賊が捕えられ検非違使に尋問される。
また、行方知れずであった武士の妻も発見され、検非違使に尋問される。さらに巫女が呼ばれ、その巫女を通じて武士の霊魂が出来事について語った。
ところが、その出来事について、盗賊、武士の妻、武士の霊魂が語ったこと。それらが、すべて三者三様の説明であった・・・一体、真実はどこにあるのだろうか。
映画を観ている観客にその出来事の真実は、どこにあるのかと問いかけられるように物語が進む。また、検非違使に呼び出された杣売りと旅法師が、映画の冒頭に朽ち果てた羅生門に座り込み・・・「分からない。分からない」と述懐している場面から、映画がはじまる。
と、そこに雨に打たれてずぶぬれになった下人がやって来て、雨宿りの退屈しのぎにこの二人の話を聞きはじめる。
何とも物凄い量の雨を降らせながら、黒沢組の名カメラマンであった宮川一夫さんの素晴らしいカメラワークがスタートする。
黒沢映画独特のこだわりのカットが次々と見られる。どの場面を切り取っても、一枚の素晴らしい写真に、絵画にでも匹敵するような場面が続いており、物語の展開以上にその素晴らしい構図、光と影に感動をしながら観ることができる。
検非違使に盗賊が尋問されているところ、白州の後方に杣売りと旅法師の二人が座り込んでいるカット。さらに武士の妻が尋問され、やはりその後方に杣売りと旅法師の二人が座り込んでいるカット・・・とても印象的な構図になっている。
前にいる人物は大きく映され、後方にいる人物が実に小さく映されており、その対比がとてもユニークで一体どのようにして撮影されたものかと考えさせられる。しかも、戦後間もない昭和の時代であるから、兎に角凄いシーンであると・・驚かされる。
さらに山中におけるスピード感あふれるカット、木々の間からの木漏れ日の美しさ、木の葉が一陣の風にそよぐ逆光の部分、影の部分など美しいカットの連続である。次々と厭くことのないシーンが続き、その素晴らしいカメラワークの虜になってしまう映画である。
20年以上も前、NHKビデオクラブに所属していたころ、中央で有名であったカメラマンの方がこちらの放送局に転勤になり、そのカメラマンに指導を請うことができた時分があった
その時、黒沢映画の「羅生門」を見なさい。あれはすべての場面が、カメラマンにとってのお手本になり、あれ以上の教材は見当たらないから・・・と、おっしゃっていたことを思い出した。
今回、久しぶりにこの映画に触れて、この作品の素晴らしさを改めて実感した。正に芸術作品であると思い、感動を新たにしたものである。
ただ今BSシネマでは、昔懐かしいとてもいい映画が放映されている。(夫)
(一枚の絵画である)(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
[追 記]~あらすじ~
平安時代、荒れ果てた都の羅生門で、杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。そこへ雨宿りのために下人がやって来る。下人は退屈しのぎに、2人がかかわりを持つことになったある事件の顛末を聞く。
ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、武士・金沢武弘の死体を発見した。そのそばには、「市女笠」、踏みにじられた「侍烏帽子」、切られた「縄」、そして「短刀」が落ちており、またそこにあるはずの金沢の「太刀」がなくなっていた。杣売りは検非違使に届け出た。旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。
やがて、武士殺害の下手人として、盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は女を奪うため、武士を木に縛りつけ、女を手籠めにしたが、女が「生き残った方のものとなる」と言ったため、武士と一対一の決闘をし勝利した。しかし、その間に女は逃げてしまったと証言した。短刀の行方は知らないという。
しばらくして、生き残っていた武士の妻が検非違使に連れて来られた。妻によると、自分を手籠めにした後、多襄丸は夫を殺さずに逃亡したという。だが、眼前で他の男に抱かれた自分を見る夫の目は軽蔑に染まっており、妻は思わず自分を殺すよう訴えた。あまりのつらさに意識を失い、しばらくして目を覚ましたときには、夫には短刀が刺さって死んでいた。自分は後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言した。
そして、夫の証言を得るため、巫女が呼ばれる。巫女を通じて夫の霊は、妻は多襄丸に手籠めにされた後、多襄丸に情を移し、自らの夫を殺すように彼に言ったのだと回顧した。そして、これをきいた多襄丸は激昂し、妻を生かすか殺すか夫が決めていいと言ってきたのだという。しかし、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したと証言した。
だが、杣売りは、下人に「3人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件を目撃していたのだ。そして、杣売りが下人に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも無様で、あさはかなものであった。
参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他
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