ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

変換されない魚屋

2008年12月26日 08時29分07秒 | 観察屋ねーさん
このさば、おろしていただけますか?


はい、やりますよ!
一匹選んでいただいて、こちらにください。


(良さそうなさばを一匹選んでカウンターに差し出す)
お願いします。


どういたしましょう?


煮付けにしますんで…
(と言えばそれに見合ったおろしかたを切り返してくると信じて疑ってない(ね))


(?というような表情)
どういたしましょう?


(はぁ?と、まだ彼を魚屋だと信じて疑ってない(ね))
煮付けにしたいのよぅ!(笑)


二枚におろします?
三枚におろします?


(横にいた母親が…)
さばを煮付けにするんだから二枚がいいわねぇ。
骨付きのままが美味しいわ。


分かりました。



(二枚におろしたさばを受けとって、他の買い物をしながら…)
「煮付けにする」って言ったら、魚屋は「だったら二枚おろしね、そのほうがいいよ!」とか言わないかね?普通。
あたしゃ、あの彼を真の魚屋だと思って、たててたのに。


ここはスーパーの中の魚屋だからねぇ。
そういう気の利いた切り返しはしてくれないのよ。
あの子若そうだし、そういうことを知らないんじゃないかしらね?
仕方ないわね、街の魚屋じゃないしね。


(魚担当ならそんくらいのこと気にして学習しろよぅ…親の作るゴハン食べてそんくらいのこと擦り込まれてないんかい?…上役もそういうこと教えろよ…買い物が事務的でツマラナイじゃんか…と思ってる(ね))

ガッカリさせんな、若人よ!

2008年12月26日 02時52分48秒 | 吠えるねーさん
MBAゲーム理論


はぁ~。(深いため息)


朝の通勤電車でまだ20代前半と思われる、オシャレなスーツに身を包んだ男子。


も~、ガ~ッカリしちゃったさぁ。


その理屈を仕事に活かそうと思ってるなら手遅れだよ?


多分、手遅れ。
いや、絶対に手遅れ。


それが通じる会社なんて楽しくないはずだよ。


もっと楽しい本を読み解けよぅ。

莫大な金を賭けたギャンブルだったんだよ。

2008年12月26日 02時16分34秒 | 観察屋ねーさん
この世界不況はなるべくしてなった。

こうなるシナリオ(経典)の上を随分前から歩きだしちゃった博打打ちはこうなることも想定していて、そうなった時に世間から出来るだけ叩かれないように、マスコミにお金をばらまいて、擁護してもらっている。


たくさんスポンサーについて貰っている企業のマイナス要因になるニュースはあまり拾わず、そうではない企業をここぞとばかりにニュースネタに使い、ハイエナの如く拾いあさる。


何なんだ、君達は。
呆れるよ、君達は。
企業とそういう結託して、一体何を企んでいるんだ?
真にいいことあると思う?


今度はそんな程度のハイエナを喜ばすような騒ぎを起こす人達が出てくる。
騒ぎを起こす君達が悪いわけじゃないけど、間違った変な騒ぎにして欲しくない。
喜ばすつもりじゃないのは分かるが、喜ばしているんだ、ハイエナを。


「こんな時は利用しちゃえ、味方になって貰っちゃおう」とばかりにそんなハイエナを利用して、

「全くどっちもどっちだぜ。」

とシラけている人はいないんだろうか。
いるよねぇ??


感情任せで動いてしまったら、ますます歪みは酷くなるんだ。



莫大な博打の場に、色々な企業は「ギャンブラーになりそうな人達」を高額なお金で吊って集めた。


「野望に満ちたギャンブラー達」は、「グローバル」だか「コングロマリット」だか知らないけど、単なる危険な博打をカッコイイ体裁にごまかす為に、そんなお題目を付けて、かっこよさげにごまかし、世間を世界を踊らせた。



ここ約20年間の世界は「莫大なお金をかけたギャンブルの場」だったんじゃないかと思う。


それも、

お金に困って必死になったギャンブルじゃなくて、

特にまだ困ってはいないんだけど、使えるお金もいっぱいあるから、

「いっちょ、やっちゃうか。夢に賭けようぜ。」

みたいなギャンブル。


しかし君達ギャンブラーの「夢」って一体なんだった訳?
「夢」じゃなくて「持ち金を倍に出来たらいいよなぁ。」ってそういう「欲」が勝った気持ちだけだったんだよねぇ?


ギャンブルってそういう腹の括りだと大損を食らうもんじゃない?
そうやって博打打って人生そのものがすっからかんになる人がいるよねぇ。


わかってるのかなぁ。
ギャンブルってそんなところあるでしょ。


お金に困っている状態のギャンブルのほうが真剣さが違う。
「欲」じゃなく「夢」に賭けてるギャンブルのほうが楽しさが違う。


真に困ってる人は自分自身が必死だから、人の痛みが真に分かる。
自分自身が相当痛いからさ。

「欲」が全面にでた人は決して楽しそうじゃない。
「どうやって騙そう?どうやって甘えてやろう?」と片側の口角を吊り上げるかの如く画策してるばかりで、決して楽しそうじゃない。
真に「夢」を追ってる人は楽しんでギャンブルをする。


だから余計に「誰かに甘えて勝つ」とか「誰かを騙して勝つ」とかいうんじゃなくて、「他人に迷惑かけずに自分自身で勝つ強さ」が鍛えられる。


ここで言う「他人に迷惑をかける」というのはマナー知らずを云々言う手の話じゃない。
ルール知らずを云々言う手の話じゃない。


「自分で勝つ」ことに腹を括ってない人は、知らぬうちに他人に迷惑をかけてることを少し気にしたほうがいいと思う。(厳しすぎる?)



「単に持ち金を倍にしようとしたギャンブラー達」は、自分達の浅はかな思いだけで突っ走りすぎた。


だから大事な従業員を、過労死という死にいたらしめたことすら何のことか分からない、おまけに「ルールを知らなかった奴が悪い。」とでも言いたげな面をして、今だにギャンブルを続投している企業はいくつもあるはずだ。


思うにこういう世の中で、
戦死のごとくの過労死じゃなく、
自分で何もかも背負いすぎて耐えられなくなった自殺でもなく、
世を憂いだだけ、自分を憂いだだけの自殺はやっぱり卑怯だ。

厳しい激としてあえて言う。

これは止められない。
こんな世の中がいけないのかもしれない。
こんな自分を分かってくれない誰かが悪いのかもしれない。
でもこれはどうにもならないんだ。
そんな程度で簡単に死ねる人なら止めやしない。



(ね)は真に困ってない浅はかなギャンブラーが集い、ギャンブルを始めてしまった会社に心底嫌気がさして辞めた。

「夢を持ってるんだろう」と思った、最初は。
「人となりと仕事を認めてくれたのだろう」と思った、最初は。
だから真に力を注いだ。
だけど1年もして、どうやら違うということが手に取るように分かった。

「夢」は「単なる浅はかな欲」だった。
認めるも何もなく「単に使えそうだから」という浅はかな理由なだけだった。
「使えるが使いやすくはない」ということが、彼らのような欲に走ったギャンブラーには都合が悪かったようだ。


頭にきた、相当に。
逆手に取って居続ける気分さえ沸かないくらい、頭にきた、相当に。
やっていて自分が楽しくない。


こんなギャンブル、相当にツマラナイ。
ルールと理屈だけで詰めて勝つギャンブルなんて、相当に子供じみててツマラナイ。
どうせやるギャンブルなら心理戦の駆け引きで楽しめる大人のギャンブルが相当に楽しい。


このうねりは少なくとも17年前から始まっている。(ね)の実体験では少なくとも17年前から始まっている。


これを「世界経済の動きだから仕方ない」と世界のみんなが言うんだろうか。


そんな「仕方なかった」というセリフは、浅はかだったギャンブラー達だけのセリフにして欲しい。


「仕方がなかった」のはもう呆れすぎて追求する気もない。
そんな体力はもうない。
そんな気力も失せ果てた。

そんな時間ももったいない。
そんな時間が無駄の何ものでもない。


そうならないネクストステージは個人個人の心掛けだけが頼りだと思う。
いや、ホントにそうだ。
カッと心の目を開いた人間だけが頼りだと思う。


このまま「仕方なかった」を追求だけしていけば、争いにしかならない。
また繰り返すのか、超馬鹿げた争いを。
何にも楽しいことはないじゃんか。


(ね)は自分をごまかさず、他人をごまかさず、仕事は仕事でキッチリやる。
(ね)の中の当たり前を当たり前にやるしかない。


当たり前を当たり前にやれない何年を過ごしたか。
だけど、あえて当たり前を当たり前でやっていこう。

当たり前が通じぬならば、適当な案配ですり抜ける。
当たり前が通じて、思いがぶつかれば、その思いが伝わる言葉を必死で探す。


少なからず1990年代終わりからのここ10年はそういう人間を捜しつづけた。
「このオヤジはひとまず残すカード(夢を持ってたり真に困ってるオヤジ)」とか「このオヤジはひとまず捨てるカード(浅はかなギャンブラーや真に困ってないで困った振りをして同情を買うオヤジ)」と目を凝らした。
「この坊やはひとまず拾うカード(聞き分け悪くても口が悪くても素直だったり)」とか、「この坊やは悪いけど(ゴメンね、まだヌル過ぎて。)拾えないカード」とか「この坊やは悪いけど(ゴメンね、聞き分け良くても素直さがなさすぎ。)拾えないカード」目を凝らした。


案外目利きははずれてないと思っている。


捨てたカード、拾えないカードがダメということじゃない。
相手を活かせられない、(ね)が活きない、そんな関係をわざわざ作る必要は無い。
ごまかして、ごまかしあって、無理をして、わざわざ関係を作る必要が無い。
楽しくないじゃんか。


単にそうなる機会や時期を観察して待てばいいだけだ。
機会や時期が巡ってこないで終わることはある。
でもそれは縁がなかったということだ。


でももしかしたら忘れた頃に復活はあるかもしれない。
(ね)はそうやって再会の時期を待ってる人がいる。
相手も同じ思いでいてくれれば復活すると信じている。
時期を待つしかない。
絶好のタイミングをはかってアクションを起こすしかない。


夢があってやってる人間達や、逃げじゃなく真に困っている人間達に幸運が巡ってくる世の中になって欲しい。


思うだけでも気分は違う。