昨日の新日曜日術館は、日本画家・堀文子さんだった。 89歳と聞いて驚いた。
作品の透明感あふれるみずみずしさ。 また緻密な筆致、さらには可愛く楽しい作品も描かれている。
思い立ってイタリアに移住されたことや海外を放浪して周るなど、とてもアクティブだ。
驚いたのは、幻の花ブルーポピーを訪ねてヒマラヤの5000メートルの高地に登ったのが82歳の時という。
日々の平穏が続いてくると、何か違うことをやりたい衝動に駆られ新しい驚きに会いに出かけていくようだった。
こどもの頃のような ハラハラ・どきどき する気持ちを持ち続けたい。
死ぬまで、驚いていたい と語っていた。
なるほど、そんな堀さんだから あんな作品が描けるんだろうと頷けた。
テレビを見ながら、とても共感を覚えている自分がいた。 そうなんだ、わたしも 驚きたい のだと思った。
旅するのもそうだし、絵を観たり音楽を聴くのもそう、花を見たり他にも色々・・
だから驚くことが少なくなると、詰まらなくなって何かしたくなる・・
驚くこと とは、感動や発見と言い換えてもいいだろう。 そして、ハラハラ と どきどき と わくわく。
堀さんは、「小さい頃からそうだった」 とおっしゃっていた。 そういえば、わたしもそうかもしれないと思った。
こどもだから大してでっかいことはできなかったけれど、学校帰りのみちくさは小さな冒険だった。
未知の世界へ足を踏み入れる わくわく感・・ そして、いつもの道でさえ驚きの世界に出逢うこともできた。
道端に咲いている野ばらは、うっとりするほど いい匂いがしたし・・
中くらいの川には、たくさんのめだかが泳いでいて、橋の上から腹ばいになって群れて泳ぐさまをしばらく眺めていたり。
ある時 田圃の脇に、水を引く水車が置かれたことがあった。
一度でいいから回してみたいと思いながら、そのそばを毎日通っていた。
シャッ シャッ シャッ ..... やってしまった。
何回か廻したところで 足をとめた。 汲み上げられた水の勢いは止まり、流れがしずくに形を変えた。
あの時見た一滴のしずくの美しさは、忘れられない思い出。
午後の日を浴びて ぴかぴか 光ってた。
小学校の何年生の時だったかなぁ .....
「小さい頃から そうだった。」 堀さんの言葉が思い出される。
死ぬまで、驚いていたい とは、、、
死ぬまで色々なもの(こと) に感動できる心を持ち続けていたい ということじゃないかと思った。
みずみずしくも しなやかな・・・
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ここからは、現在。。
死ぬまで色々なもの(こと) に感動できる心を持ち続ける、、、 ここの部分、今はちょっとわからないし自信もない。
実際、死にそうになっている時は、そんな余裕ないんじゃない、感動とか、、 などといやに現実的な考えがどうも浮かんでくる。
命の期限に対しての自覚の違いから、その差が出てきたのかな。 同じわたしなんだけど。
なんか違う。
そういう事じゃないよね、死ぬ間際までびっくりしたり感動したりっていうのは実際無理な話で、やっぱりそういうことを言ってるんじゃないよ。
今日とか明日とか、今っていうか、そういうことだよ。
頭の中でぐるぐる回って、最終的に堀さんが言われていた言葉にまた戻ってきた。
こどもの頃のような ハラハラ・どきどき する気持ちを持ち続けたい
死ぬまで、驚いていたい
来週からせっかく念願の地に旅できるんだから、おもいっきり うわあぁ~!って気持ち復活させたいものだ。